七話
とうとう終業式の日を迎えた。これで、毎日の授業で出される課題からは解放される。一学期の成績表も渡されたが、まぁうちはさほど厳しくないので、平均くらい取れていれば問題ない。冬華も似たようなものだろう。
というか、夏休み中に補習を受けるわけにはいかない彼女は、苦手教科を特に念入りに復習していると聞いたことがある。主役ともなると、演劇以外でも努力すべきところがたくさんあるのだ。心から尊敬する。
終業式を終えて教室に戻り、ホームルームまでの間に、結衣の「夏休み中、お互い忙しくて彼氏に全然会えないよ~」という嘆きの声が聞こえてきた。
結衣には他校の彼氏がいるらしい。彼女のグループはいつも恋話に花を咲かせているため、自然と耳に入ってくる。
お互い好きで付き合うというのは、どういう感覚なんだろう。私にも理解できる日が、来るといいのだけれど。そう思いながら冬華を盗み見ると、彼女は演劇の台本に夢中だった。こういう時の冬華は、たまに別人のように見えるので、そっとしておく。けれど、普段の彼女らしくないその表情も目に焼き付けて、帰ったらスケッチブックに残しておこう。
そうこうしているうちに短いホームルームが終わり、そのまま部活の時間になる。
「紬、また登校日にね」
「うん、部活頑張ってね」
すぐにでも部室に行きたいだろうに、冬華は律儀に私に声をかけて、今日は返事をする隙を与えてくれた。私の応援の言葉を受け取った彼女は、にっこりと笑って手を振り、教室をあとにする。
先日私が下描きをした画用紙は既に部室にあり、色を塗っている途中なので、私も部室に向かう。
部室の扉を開けると、珍しく雑談している生徒はおらず、みんな作品の制作に必死な様子だ。写生に行っているのか、姿が見えない部員もいる。その子たちについているのか、柴崎先生もいないようだ。佐々木くんには教える柄じゃないと言っておいて......と、少しもやっとするけど、私にとってもいい経験になる、と思うことにして矛を収めた。そういえば、彼の姿もない。
それはともかく、とりあえず自分の作品だ。画材の準備をして、色を重ねていく。私の世界に、命を吹き込むように、丁寧に。頭の中でイメージは定まっているので、その通りに描くだけだから、コンクール作品は夏休みの課題よりも早く終わるだろう。加筆したくなったら、その都度すればいい。
音楽からインスピレーションを受けた作品は良い。私なりの解釈の新世界が、少しずつ色づいていくのは、わくわくする。新世界を描くのに夢中になっていると、誰かに肩を叩かれ、はっと現実に戻る。
「すみません、何度も呼んだんですけど、反応なくて」
申し訳なさそうな表情を浮かべる佐々木くんは、画板を手に何か言いたげだ。
「ご、ごめん、集中してて気づかなくて......。えっと、下描きできたのかな?」
「はい、何とか。それで、一旦先輩に見てほしくて」
そう言って佐々木くんは画板から画用紙を取り外し、私に差し出す。これは、校舎の窓から見える風景だ。あまりに写実的なこの絵は、確かに上手い。私にはとても描けない絵だ。けれど。
「この絵、写真みたいだね」
「はい......?」
「――これ、写真に勝てる?」
佐々木くんは、はっと目を丸めた。そして、慌ててメモを取り出す。
「ご、ごめん、まず佐々木くんの意思を確認してなかった。コンクール、入賞したい?」
彼は、もちろんですと言わんばかりに強く頷く。
「それじゃあ、何が主役なのか、明確にした方がいいかも。この絵は、なんというか......見たままを描いてて、ごちゃごちゃしちゃってる。何を描いて、何を削るか、取捨選択してみるといいかも――しれない、です」
中学の先生の受け売りでしかない言葉だけれど、私に言われたことはない。私は、写実主義ではないから。佐々木くんはメモにペンを走らせ、困ったように頭を抱えている。
私もこれ以上何を伝えればいいか困っていると、気付けば柴崎先生は部室に戻っていて、こちらをにこにこしながら眺めている。今こそ先生の出番だというのに、口を出す気はないようだ。
「佐々木くんは、見たままを描くのが本当に上手だよ。でも、ただの現実じゃ、コンクールは厳しい、はず。だから、絵の中の現実を作っちゃえばいいんじゃないかな? それは、絵だからこそできて、写真では表現できないことだよ」
「なるほど......、俺には結構難しいけど、言いたいことはなんとなく伝わりました」
私が画用紙を返すと、彼はすぐに画板にセットして「修正してきます!」と部室から出て行った。
柴崎先生は嬉しそうに私に話しかける。
「朝倉さんのアドバイス、予想以上に良かったわ~! これから美術の授業は、朝倉さんにお願いしようかしら」
「や、やめてください!それじゃ完全に職務放棄ですよ!」
さすがに冗談とは分かるけれど、アドバイスにはかなり頭を使って消耗することがわかったので、できればもうしたくはない。でも、佐々木くんの作品については最後まで見なくてはならない。そういう約束だ。
「朝倉さんの方は締め切りには問題なさそうね。あなた、集中したら時間も見ないんだから、ちょうどいいしもう帰ってもいいんじゃない? 課題も多いでしょう? ほかの生徒には、下校時刻が近づいたら私から声かけに回るから」
これについては先生の言うとおりだ。また時間を忘れて描き始めると、先生にも迷惑がかかる。お言葉に甘えて、今日のところは帰ることにした。
画材を片付けて部室を出るところで、柴崎先生の「課題頑張ってね~」という声がしたので、振り返ってぺこりと頭を下げ、扉を閉めた。




