十話
八月十五日。夏休みの登校日がやってきた。
曲がり角から姿を現した久しぶりに見る冬華は、かなり青ざめていたので、思わず駆け寄る。
「お、おはよう、冬華。どうしたの?」
「おはよう、紬。部活の練習に夢中になりすぎて、課題が全然終わってない......」
うちの学校は、登校日に国語の自由課題を提出する以外では、他の課題の提出は任意だ。私はある程度終わらせてしまっているので、今日提出しようと思い持ってきている。
「私の終わってる分のノート、貸そうか? 今日出そうと思ってたけど、冬華がやばそうなら」
「本当に? めっちゃ助かる、ありがとう紬~」
心底感謝しているのを表すように彼女は私の腕をとり、抱きしめる。腕を組んだまま歩き出した彼女につられて私も足を進めるが、動きがぎこちなくなっていないか不安で仕方ない。加速した私の鼓動を、腕越しに彼女に届いていないことを祈ることしかできない。
下駄箱まで腕を組んだままだったけれど、いつも通り冬華は黄色い挨拶を浴びていた。あの子たちの目に私は映っていないのだろうか。特に嫉妬や羨望の目線も感じず、部室で起こったようなざわめきもない。安心と虚しさで複雑な感情に苛まれていると、靴を履き替えている最中に結衣がなにやら浮ついた様子で話しかけてきた。
「おふたりさん、やほ~! ねぇ紬ちゃん、彼氏できた?」
脈絡のない問いに私は戸惑う。
「え? お、おはよう、できてないけど......」
なんで? と言いたげな表情でもしていたのか、結衣はにやにやしながらまたもや爆弾を投下する。
「えぇ~? だって、紬ちゃんがCDショップで男の子と手繋いでたの見たよ~?」
――最悪だ。バレていないと思っていたのに、まさか見られていただなんて。弁明しようにも、結衣から逃げるためにしてしまっただなんて言えるわけがない。
「あ、あれは、急いでたから不可抗力で......」
苦し紛れの言い訳はきかないようで、結衣は変わらずにやにやしている。
「じゃあ、あの男の子って誰なの? 顔真っ赤だったけど」
「あれは部活の後輩で、たまたま会っただけだよ」
冷や汗をたらしながら必死に受け答えをしているところで、救済の女神が制止の言葉を告げた。
「はいはい、ストップ。結衣は恋話好きすぎ、紬も困ってるから。それに、そろそろ行かないと全校集会遅れるよ」
冬華は会話を遮るように手を鳴らした。おかげで結衣は少し不満げに、それでも素直に引き下がってくれた。話題を変えるように冬華は結衣に部活の話を始めて三人で教室にたどり着くと、結衣はさっきの会話はなかったかのようにいつものグループのところへ行って「久しぶり~!」と抱きつきに回っていた。私は冬華に今日提出する予定だった課題を手渡して、全校集会のために体育館へと向かった。
いつもの集会と違い、今日は終戦記念日でもあるので黙祷がある。校長先生の長いお話が終わり、教頭先生が戦争のことについて話を始める。そして、黙祷の合図を出した。
空襲や飢餓のない平和な時代に生まれたことへの感謝と、今もどこかで戦火に怯えて暮らしている誰かの無事を祈るように、目を瞑る。
非常に残念なことに、人間がいる限り戦争はなくならない。文化や宗教の違いを受け入れあえない大人たち。私利私欲のために領土や資源を搾取したがる大人たち。それだけじゃない。子供だっていじめをする。人間とは、そういう生き物だ。世界から戦争がなくなりますように、なんて、叶いもしないことを祈ることは、私にはできなかった。
静寂のなかで、そんなことを考えているうちに、終了の合図が体育館に響いた。
みんなはどういう気持ちで黙祷を捧げているのだろう。そんなこと、聞けるはずもないけど。
全校集会を終え、ホームルームで担任が「お前ら夏休みだからって羽目外しすぎるなよ~」というやる気のない指導を終わらせると、自由課題提出の時間だ。冬華の方を見ると、私の視線に気がついた彼女は苦笑いで手を合わせて軽くお辞儀をしてみせた。一つだけ提出しているのを見るに、自由課題だけは死ぬ気で終わらせてきたようだ。別に期限を少し過ぎたくらいじゃ、うちの高校では即補習なんてことはないはずだけど、彼女はストイックだ。
課題提出をみんなひと通り済ませると、部活のある生徒はそのままそれぞれ部室に行く。きっと冬華もそうだろうと思い、私も部室へ向かおうとすると、冬華がこちらへやってきた。
「課題、ほんとありがとねっ。返すがてらに夏休み中遊ぼっ! また、連絡するから」
「全然いいよ。わかった、待ってるね。部活頑張って」
「紬もねっ」
彼女は屈託のない笑顔で手を振り、部活に向かう。
別に返すのなんて夏休み明けでいいのに。演劇の練習で忙しいはずなのに、その合間を縫って遊びに誘われるなんて、期待していなかったのに。
私は彼女の言葉ひとつで下駄箱の一件も忘れ、胸を躍らせながら部室に向かった。




