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番の婚約者が前世の主人にご執心のため全てを無に帰します  作者: 沢野みら


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 離れる前の溌剌とした様子とは違い、歯をカチカチと鳴らしている彼女はされるがままだ。身に纏っている紺青のドレスの一部が、ドス黒い色に変わっているのに気付いて頭に血が上る。


「ご……ごしゅ、っ……!」


 グッと足に力を入れた刹那、首元にヒヤリとした刃が当てられた。同時に恐ろしいほどの殺気も浴びて、身体の力が抜けていく。


「動けば切る」


 背後でハロルドに抜刀しているのは、声からしてコンラッド公爵家の次男だろう。国境要塞を守る戦闘特化の騎士隊の団長だ。

 本気なことが伝わってきて、ハロルドはただ視線だけをレイラに向けることしか出来ない。


 彼女の横には、同じように騎士に支えられている犬獣人がいた。徽章からして、レイラの義父であるドイル男爵だろう。

 彼もまたレイラ同様、倒れそうなほど顔色がない。


「ドイル男爵家のレイラ、国王の御前である。嘘偽りなく真実を述べると誓うか?」

「ちち、誓う、っ誓いますぅう! だから殺さないでぇ!」


 泣き叫ぶレイラに駆け寄りたいのに、全身の全てが凍ったように動かない。本能が死を敏感に感じ取っている。


 騎士から解放されてしゃがみ込むレイラに、宰相は表情を変えることもなく資料を捲りながら口を開いた。


「学園での虐げられていたとの証言は、嘘か真実か?」

「な、ないですぅ!」

「ないとは?」

「虐められてなんて、ないっ!」

「……え」


 レイラの言葉に、指先から身体が冷えていく。悲しげな顔で「ハロの婚約者に虐められてるの」と、何度も言ってきたことが……嘘。


「何故そのような嘘を吐いたのか?」

「だ、だって……だって、そう言えばハロが宝石を買ってくれるんだもん!」

「貴族の身分差については学んでいたはず。公爵令嬢を貶める発言をすれば処罰が下ることは知っていたのでは?」

「それは……でも……お母さんが大丈夫だって、言うから……」

「男爵夫人が?」

「ハロに愛されてるんだから、平気だって」

「愛……? 何を言ってるんだ?」


 驚いて声を上げたハロルドに、レイラの視線が動いた。ハロルドがいることに今気付いたのか、目を見開いた彼女が涙を溜めながら手を伸ばしてくる。


「ハ、ハロォ……助けてぇ」


 前のめりになったレイラの身体は、しかし、彼女の後ろに控えていた騎士が、床に波打つドレスに剣を突き立てたことで止まった。キンッと鋭い音が広間に響くと、レイラの身体がまたガクガクと震え出す。


「聞かれたことだけに答えるように。男爵夫人のようになりたくないのでしょう?」

「うっ、うっ……はいぃ」

 

 レイラの怯えようから、彼女の母親に何かあったことは明白だった。彼女のドレスに付いた染みがまだ乾いていなかったのか、床を真紅に汚している。


「ハロルド侯爵令息も口を挟まないように」


 宰相に釘を刺され、ハロルドは黙るしかなかった。従わなければ血を流すことになることはレイラのドレスが物語っていたから。


 それからレイラが語った言葉は、聞くに堪えないものだった。

 彼女は獣人にとっての「番」という存在すら理解していなかった。ハロルドと「番えば」ローズマリーの立場になれると、勘違いしていたのだ。

 そして自分が将来の侯爵夫人になって贅沢するためにローズマリーを貶めた。困ったことがあれば、あとはハロルドがなんとかしてくれるという他責の思考。それを恥ずかしげもなく語る姿には呆れるしかない。


 魂は確かに前世の飼い主。しかし記憶がないだけで、こうも人が変わっているとは思いもしなかった。彼女を信じていただけに、ハロルドの衝撃は凄まじかった。

 

「ドイル男爵。異国から連れてきた親子の教育なしに社会に出るとは何事ですか」


 宰相からの問いに、男爵は今にも生き絶えそうなほど震えながらこうべを垂れている。彼は商会にかかりきりで、この半年ほど各地を飛び回っていたらしい。

 家のことは自分の息子に任せていたらしいが、その息子が後妻と通じていたというから同情してしまう。ハロルドがレイラに送った宝石類は、彼らの贅沢へと変わっていた。その金で家の執事たちを買収し、男爵には何も伝わっていなかったという。


 先ほどの尋問で、後妻は王宮騎士に斬りつけられ、しらばっくれる傲慢さから一転、手のひらを返して罪を認めたらしい。


「誠に……誠に申し訳ございません! 息子共々、処罰を受ける次第でございます!」

「一家の罪に留まりません。高位貴族の契約を壊したため、一族連座の処罰となります」

「そ、そんな……」

「ドイル男爵家は爵位を返上。一族は鉱山にて下働きに就くことを命ずる。その中でも諸悪の根源となったドイル男爵家嫡男オリバー、男爵夫人アドナナと、その連れ子レイラは、鉱山のカナリア隊に就くように」


 国王の言葉に、辺りがシンッと静まった。鉱山の未通の道を調べに入る「カナリア隊」は、重罪人が死刑の代わりに就くほど過酷な任務だ。道奥のガスや山崩れで命を落とす者が後を絶たない。


 その過酷さを知らないからか、レイラは口を尖らせて不満げなだけだ。


「ハロォ……鉱山なんて汚い場所、嫌よ。ねぇ、助けて……いつも言ってたよね? あたしの幸せがハロの幸せだって」


 懇願するレイラに、前世の魂を知る心が痛む。しかし、彼女は嘘を吐いていた。最愛の番に成り代わろうとしていたレイラへの嫌悪感が拭えない。


 それなのに宰相が、「ハロルド侯爵令息が彼女と処罰を代わっても大丈夫ですが」などと言い出した。

 パァッと顔色を明るくしたレイラは、ハロルドが身代わりになることを疑ってもいない。その自分のことしか考えていない姿が、前世の主人と似ても似つかなくて更に幻滅した。


 ハロルドは下を向いて無言を貫く。遠くから鼻で笑う音がしたが、構うことはない。


「……ハロ?」

「ふむ……どうやら貴女は、処罰を受けざるを得ないようですね」

「え……嘘よね? ハロ、鉱山へ行ってよ! あたし、行きたくない!」

「傭兵。二人を連れていけ」

「いやっ! いやよぉぉおっ!!」

 

 レイラと男爵が謁見の間から出される間、ハロルドは冷や汗をかきながら思考を巡らせていた。

 先ほど大口を叩いてしまったが、結局ローズマリーは虐めなどしていなかったということになる。それなのにコンラッド公爵家の面々に噛みついた。


 それを侯爵令息として、裁かれる。


「お、お許しを! 僕は……僕は今世の彼女がこんなに性悪だなんて知らなかったのです!」


 頭を床に擦り付けて、ハロルドは許しを乞うた。みっともなさを哀れんで処罰が軽くなるなら、いくらでも頭を下げられる。犬のように腹を見せてもいい。


「どうか……どうかお許しを! 僕は騙されただけなのです!」

「何を勘違いしとるんだ、貴様は」


 頭上から降ってきた国王の冷たい声に、ひくりと喉が震える。魂が縮みそうなほどの圧だ。


「貴様が加害者で、あの連れ子は被害者だ。履き違えるでない」

「そ、そんな……」

「貴様が彼女に尻尾を振らなければ、彼女は普通の生活を送れていたのが分からんのか」


 国王の言葉は、ハロルドの考えを根底から覆すものだった。

 出会った頃は戸惑った様子だったレイラ。どんどん要求が増えていったのは、甘えてくれているからだと思っていた。しかし、ただハロルドが付け上がらせていただけなのだと突きつけられたのだ。


「貴様はあの娘をただただ腐らせ、周囲から孤立させたにすぎん」

「そんなことは……」

「貴方と違って、ローズマリー嬢はちゃんと彼女の居場所を作ろうしていたというのに……」

「……え?」


 宰相からの意外な言葉に、ハロルドは顔を上げる。周囲からの冷たい視線が、先ほどよりも身に沁みる。


「我が娘は男爵令嬢が孤立しないように支援すると、君宛の手紙に何度も綴っていたんだよ、子息」

「その気遣いにも気付かず暴走していた息子を、何故今更許せるというのか」


 国王や宰相のみならず公爵や父にも冷ややかな言葉を投げつけられ、ハロルドの全身から血の気が引いた。


「ま、待ってください! 知らなかったんです! 挽回の機会をください!」

「もう遅いのですよ。貴方は学期末に、ローズマリー嬢からの最後の温情を無碍にしたのです」


 言い分をピシャリと抑えつけられ、国王から告げられたハロルドの処罰は──。


「エリトリン侯爵家長男ハロルドは学園を退学し、このままヒスラン獣人王国との国境地帯に駐屯するセレンギ西辺境要塞守備隊の兵役に服することを命ずる」


 ヒスラン獣人王国は狼人族が統べる好戦的な隣国で、国境地帯では小競り合いが絶えない。要塞守備隊の死亡率は鉱山のカナリア隊にも劣らないと聞く。


 あまりに厳しすぎる処罰に呆然としている間に、ハロルドはセレンギ西辺境領へ輸送されることになった。



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