4
「た、確かに、ここのところ……前世のご主人様を優先していたことは認めます。しかし、それはロージーも納得していたことです」
「我が娘のせいにするか」
「ヒィッ……しかし、じ、事実です! 入学式から説得に時間はかかりましたが……先日の学期末、大講堂でロージーは受け入れてくれた! しょ、証人は沢山います!」
「気安く呼ぶなというのに……」
「公爵よ、愚鈍な彼奴だからこそこうなっておるのだ。イーサン、前へ」
国王の指名により宰相が前に出る。分厚い書類を捲る音だけが、静まり返った広間に響いた。
ハロルドを擁護する証言を期待して、縋るように宰相を見つめる。しかし、彼は冷たい視線のまま首を横に振った。
「ローズマリー嬢は、苦言を呈していたに過ぎません」
「そ、そんなはずは、ありません!」
「最後に『貴方の考えは、理解しました』と仰ってはおりますが」
「っ! それ! それです! やはりロージーは分かってくれていた!」
宰相の言葉にバンッと床を叩く。しかし「それ見たことか」と得意満面な顔のハロルドを、クスリと嘲笑う音が広間に響いた。
「……失礼。いやしかし、これは……滑稽だな」
コンラッド公爵家の長男は、耐えきれないという風に口元を抑えている。その目元は、相変わらず軽蔑を滲ませたままだ。
「この様子では侯爵も苦労なさったでしょう」
「はっ。お恥ずかしい限りでございます。息子は浅慮なところがあり、何度言っても直らず……」
「侯爵が手を尽くしていたことは把握しております。まさか家や格上の婚約者からの文を読まないほどの阿呆だとは、思いもしなかったでしょうし」
「なっ……!」
「返す言葉もございません」
あまりの言われように、ハロルドの顔が屈辱で赤く染まる。しかし誰一人として擁護する者はいない。それどころか、視線すらハロルドに向けてこない。
「宰相殿。この阿呆に、妹が何を理解したのか教えてやってください」
彼の言葉の意味が分からず、ハロルドは皆に倣って宰相の言葉を待つ。宰相は手元の資料から視線を上げると、射抜くような眼光をハロルドに向けた。
「彼女は『優先すべきものを、間違えないで』と言いましたね?」
「……え?」
宰相の言葉に、珍しく言葉を崩したローズマリーを思い出す。縋るような瞳。扇子の持つ手の震え。
あの時、彼女の言葉の意味をよく考えようと思った、はず。しかし……レイラが泣いて、安心させてあげようと──。
「それに対して、貴方は侯爵家の子息であるにも関わらず……公爵令嬢ではなく男爵令嬢を優先させました」
さっと血の気が引く。宰相は敢えてローズマリーを「婚約者」ではなく「公爵令嬢」と言ったのだと、ハロルドですら分かった。
ユラシリス獣人王国で、爵位の差は一つでも大きい。番であるから、婚約者であるから……そんな理由で蔑ろにしてはいけないもの。
だからハロルドは婚約してから、ローズマリーの屋敷に通っていた。決して彼女に負担をかけてはいけないと、教わってもいたのだ。
へたり込んだまま顔を青ざめるハロルドを、誰もが呆れた目で見ていた。今更なのだ。
「加えて、貴方は男爵令嬢を侯爵邸へ住まわせ、自室で囲うと宣言しました」
「そ、そんなつもりは……! レイラに……彼女に恋愛感情など一切ありません!」
「貴方の気持ちなど、関係ありませんよ。真意はどうであれ、公爵家を蔑ろにすると公言した。その事実がどれほどの罪か、侯爵家で育ったのならお分かりのはず」
厳しい視線と声を向けてくる宰相に何も言えない。周りの目も同じだ。当事者であるコンラッド公爵とエリトリン侯爵家からは、殊更冷徹な視線が送られてくる。
「我が公爵家は、入学式での〝忠誠の誓い〟で、彼を切り捨てる気であった。しかし娘が猶予をくれと泣くから待ってやったに過ぎん」
「侯爵家は……我が家の護衛や従者の制止を振り切って、毎日低位貴族女子棟へ通い始めた時に切り捨てました」
「ハロルド……貴方は諌める彼らへ、立場を盾に圧をかけましたね」
本日初めて発せられた母の冷たい声にギクリと顔が強張った。確かに毎回彼らが行動を止めてくるのが鬱陶しくて「解雇して家族を路頭に迷わせるぞ」と言ったことはある。しかし仕える主の言うことが聞けない彼らが悪い。
強く言えば大人しくなったから、てっきりハロルドの正しさを理解したのだと思っていたのに……まさかそれも家族から見放される要因の一つだったのだろうか。
「全く……見下げた息子だ」
「本当に……ローズマリー嬢が自らが矢面に立つと言って、我が家の使用人を救ってくれたのよ」
「お前には勿体無い、素晴らしき婚約者であったよ」
両親に侮蔑の言葉を浴びせられ、カーッと頭に血が上る。どうして自分ばかりが責められないければならないのか。
──正義は……こちらにも、ある!
ハロルドはキッと両親やコンラッド公爵家を睨みつける。先日の学期末に、ローズマリーと対峙した時のように。
「ならば、ご主人様……レイ、ラ嬢への卑劣ないじめは、許されるというのですか! 嫉妬から彼女を虐げたロージ……ローズマリー嬢は、高位貴族にあるまじき失態を犯していた!」
公爵家からの圧を受けて呼び名を改めつつも、ハロルドは学期末の時と同様、声高に主張した。誰もが自分に謝罪するだろうと、ハロルドは口角を上げる。
しかし──返ってきたのは、呆れた宰相の溜め息のみだった。
「貴方は私の話を、ちゃんと聞いていなかったようですね」
「……イーサン、あれらをここへ。連れてこれば、目も覚めるであろう」
「はっ。かしこまりました」
宰相は国王に頭を下げると、数人の騎士と共に扉の向こうへと消えていった。
誰もハロルドに状況を説明しようとしない。ハロルドの主張に応える者もいない。
いつもハロルドに分かりやすく説明してくれるローズマリーがいないせいだ。
胸の痛みはもうないのに、頭の隅でローズマリーの姿がちらつく。恋しかった気持ちは、今や苛立ちに変わっていた。
彼女がレイラを虐めなければこんなことにはならなかったのだと、ハロルドは唇を噛み締める。そのローズマリーがどこにいるのかも、誰も何も言わない。
もしかして……国王が宰相に連れてくるように言ったのは、ローズマリーのことだろうか。もしそうならば、いつものように自分を立てる役目を果たさせなくてはいけない。
ギリッと奥歯を噛み締めていると、宰相が再び謁見の間に現れた。
その開いた扉から続いて出てきたのは、騎士たちに両腕を掴まれて引きずられている前世の主人──レイラだ。




