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◇
その日、ハロルドはギュッと締め付けられる胸の痛みに足を止めた。あまりの苦しさに、息が詰まる。
助けを求めるように彷徨った視線が、高級宝石店の店前に飾られた新緑色のネックレスを捉えた。
自身の瞳の色と同じ、温かな輝きを放つ宝石。それを愛しい番に身につけてほしいと、魂の奥底から渇望が湧き上がる。
久しぶりにローズマリーのことを思い出している自分に驚いた。そういえば……彼女に贈り物をしたのは、いつが最後だろうか。
毎月の贈り物は? 週に一度渡していた花や菓子は?
急に襲ってきた焦燥感に、身体が強張った。
自身の番であるローズマリーは、夏の長期休暇に入ってから会っていない。
レイラが一緒に過ごそうと言ってきたから、ハロルドは寮に残っていた。帰宅を促す手紙が実家から届いたが、その激怒具合に肝を冷やし、一通読んでからは封も開けていない。
今の学園で毎日レイラと過ごす日々を咎める者はいなかった。ローズマリーが分かってくれたおかげだろう。レイラへの嫌がらせも止んでいた。
今日はレイラが欲しがったから、王都の宝石店へ出向いていたのだが──。
「ハロぉ? どうしたの?」
硬直したハロルドの腕に、レイラが当然のようにすり寄ってくる。
その瞬間、これまで感じたことのない違和感がハロルドを襲った。第六感が働いて、ハロルドの尻尾が逆立っている。
自分の獣としての本能が、レイラに対して明確な不快感を示した。何故番ではない者が腕を組んでくるのかという、明らかな拒否。そのことに、ハロルドは愕然とした。
しかし、レイラは呑気に宝石店を指差しながら「早く入ろぉ」と腕を引っ張ってくる。
レイラの笑顔がもたらす幸福──ずっとそれに抗えなかった。前世の主従がハロルドを突き動かすのだ。
彼女に前世の記憶はないが、頭を撫でてくれる手の温かさは変わらない。
だから何もかもを放り出してレイラに尽くした。
しかし……その幸福は、番との時間を凌駕するものだったのか?
急に幼い頃のローズマリーの笑顔が頭をかすめる。五年の歳月を一緒に過ごした最愛。その甘やかな匂いに、この期間でハロルドは慣れてしまっていた。
それなのに今は、彼女の匂いが──恋しい。
そんなハロルドの胸の苦しみを知る由もないレイラは、自身の思い通りにならないことに眉をひそめた。彼の腕を強く引っ張る彼女の指には、男爵令嬢が付けるには高価すぎる指輪が三つも嵌められている。
「ちょっと! 早く新しい指輪、買ってよ!」
レイラが不満げに声を荒らげた、その時だった。
にぎやかな王都の大通りの奥から、激しい馬蹄の音が響き渡り、周囲の歩行者たちが悲鳴を上げて左右に割れていく。
現れたのは、白銀の甲冑を纏う王宮騎士団。
彼らは驚愕で固まるハロルドとレイラを、慣れた手付きであっという間に円陣で取り囲んだ。
「ひぃっ。なに!? なんなのよぉ‼︎」
軍馬の巨体に怯え、レイラがハロルドの背中に隠れて甲高い悲鳴を上げる。しかし、馬上の騎士たちは彼女に気遣うこともなく、冷徹な視線を向けてきた。
先頭の騎士が胸元から一枚の羊皮紙を広げ、大声で告げる。
「エリトリン侯爵家のハロルド。並びに、ドイル男爵家のレイラ。各家に下された王家からの召集命令を無視し続けた不敬罪により、両名を拘束する。強制連行だ、連れていけ」
「はっ‼︎」
「ちょっと、離してよ! フケー罪? あたしは悪くない! ハロが無理矢理付き纏ってるのよォ!」
騎士たちに腕を掴まれて暴れるレイラに、愕然とする。
──無理矢理? 付き纏っている?
レイラの主張が信じられない。いつでも仲良くやってきた。何故そんな嘘を言うのか。
最後に見たローズマリーが脳裏によぎる。無実を主張する彼女と……公の場でも滲ませた涙を。
騎士の手にハロルドは抵抗しなかった。封を切らなかった家からの手紙を無視したのは自分自身。その中に王家からの召集も知らせてあったに違いない。
それなのに親が強制的に連れ帰らなかったのは──ハロルドが家族から見限られていたから。
「ちょっと、ハロっ‼︎ 助けなさいよぉ‼︎」
レイラの声に、いつものような正義感が湧かない。ただただ、己の身にこれから降りかかるであろう破滅の予感に、ガタガタと歯の根が合わずに震えることしかできなかった。
◇
王宮の謁見の間には、王族をはじめ、そうそうたる顔ぶれが揃っていた。国家の重鎮たちが放つ圧だけで、惨めに耳が垂れ下がってしまう。
連行される途中で引き離されたレイラは、この場にいない。彼女のことを問うことが許されないことくらい、ハロルドでも分かった。
「……さて。申し開きがあるのなら聞こうか」
王座から響く国王の声に、本来なら子を守るはずの親であるエリントン侯爵は、身じろぎ一つせず口を閉ざしたままだ。
代わりに凍りつくような鋭い視線だけを、ハロルドに向けている。入学式の日以来に見る家族も同様だった。皆が「侯爵家の恥晒し」だと思っている顔だ。
ここでハロルドを助けてくれるのは、ただ一人しかいない。ハロルドは、両親の隣に並ぶコンラッド公爵家の面々に目を向けた。しかし目当ての彼女の姿はない。
「ロージー……ロージーは、どこ──」
「我が娘を気安く呼ぶな、痴れ者が」
久しぶりに呼んだ、愛しい番の名。彼女を求める声は、怒気によって遮られた。殺気も含まれたコンラッド公爵の視線に腰が抜けて、ハロルドはその場にへたり込む。
「婚約破棄された侯爵家の息子の分際で。口を慎め」
「……こ、……婚約破棄……?」
公爵から向けられる恐ろしい圧よりも、その言葉の意味が理解できず、ハロルドの頭は真っ白になった。
意味が分からず両親に目を向けるが、家族は公爵家へ向けて謝罪の黙礼を捧げているのみ。誰もハロルドの顔など見ようともしない。その態度で、婚約破棄が事実であることが窺えた。
「そ、んな……僕たちは……僕たちは! 番です! 婚約破棄など、許されない!」
腰が抜けた状態でハロルドが吠えた。しかし、その声に応えたのは公爵ではなかった。
「我の裁定した婚約者を蔑ろにしたのは誰だ? お前ぞ」
玉座から響く国王の声に、謁見の間が一瞬で凍りつく。ハロルドもあまりの恐ろしさに全身がガクガクと震えた。
しかし、ここで声を上げなければ、全ては自分のせいとされる。何としても、その誤解は解かなくてはならない。




