13話 やればできる男
6月11日、風の曜日、午後1時45分。
私は国立博物館の前にいた。
今日はクラウス様とのデートである。
服は以前お母様が買ってきたフリルのブラウスとラベンダー色のミモレ丈のスカート。髪型は、服に少しでも合うようにハーフアップにしている。
今持っている服の中で一番良く見えるのがこれなので致し方ない。たとえクラウス様に服が浮いていると指摘されようとも我慢するしかない。
私は気合を入れ直そうと、メガネをくいっと上げた。
『もう、リリー!そんなに緊張しなくても!クラウスが素敵だからってさ』
肩掛けカバンの中からのドーちゃんの言葉に、私は違うから!と念話で返した。
『見たくて仕方がなかったの。人生初の特別展なのよ?』
『本当に素直じゃないんだから』
どーちゃんはブツブツ言っているけれど、とりあえず無視することにした。
国立博物館、4月からの特別展テーマは『古今東西の陶磁器』であり、図書館の入り口に飾られたポスターを見て行きたくてしかたなかった展示だった。
ミアの作者、クルト・アルバトロスの作品もあるらしいので、なおさら。
しかしチケット代が高く諦めようとしていたところでの誘いに、つい乗ってしまったのだ。
ここに来て胃が痛んできた。
思わず下を向いてしまう。
展示を見に来た人はきっとクラウス様に釘付けになってしまうだろう。そして、隣にいるのが地味で冴えない女だということで逆に目立ってしまう。
「はぁ」
私は小さくため息をついた。
「せっかく素敵な格好をしているのに、ため息をつくと幸せが逃げてしまうよ」
真正面からのその人の声に、私ははっと顔を上げた。
しかし、オレンジゴールドと空色はどこにも見当たらない。
「クラウス、様?」
目の前にいたのは、黒い癖毛をした、黒縁眼鏡の男だった。眼鏡の奥に見えるは深緑色の瞳。
とてもクラウス様には見えない。
「正解。なかなかいい感じに化けるだろう?」
その嬉しそうな声は間違いなくクラウス様のもの。
脳が視力と聴力の誤作動を修正しようと無駄に頑張っている気がする。
彼いわく、黒いウィッグと深緑色の透膜で変装しているのだと言う。透膜とは瞳に装着する色彩のついた透明な膜で、瞳の色を調整できるものらしい。まだ開発途中らしく、ほんの一部の貴族にだけ出回っているそうだ。
"クラウス・シルト"はあまりにも有名で目立つので、お忍びで出掛ける時はこのように変装するらしい。
「すごいです。キラキラしてないです」
「やればできる男なのさ。これならデートしてくれるかい?」
「はい」
思わず頷いてしまった。
彼はニコリと微笑んだ。
あぁ、この笑顔は彼のままだなと思った。
道中は彼からの褒め殺しに遭い、どうしていいかわからなくなってしまった。髪の毛から靴まで、そして性格までも褒めてくるのだから恥ずかしいことこの上ない。
こうやって他の女性も口説いているのだろうと思うと、なぜだか少しだけ胸が痛くなった。
ドーちゃんは私の反応を見てクスクス笑ってきた。本当に失礼な手帳である。
◇
王国立博物館。
国民の見識を広げるために作られた施設であり、様々な歴史的価値のある資料や作品などが保管・展示されている。
普通展示のコーナーは庶民でも利用できるような料金だけれど、奥にある別館の特別展示はかなり高額な設定になっている。
盗難などを避けるために強固なセキュリティーを敷く必要があるので致し方ない。
特別展示は半年に一度ほどラインナップが変わる。他国からの観光名所にもなっているので、客を呼び込むためにも常に変化が求められるらしい。
私達はまず、一般展示フロアを散策していく。
ここは学生の頃にも校外の学習の一環で訪れたことはあったので、初見のものはさほどなかった。
ちなみにこのフロアにはアーチファクトはなかった。
"特別展にはどれほどのアーチファクトがあるのかしら"
そうドーちゃんに問えば、『間違いなくたくさんあるでしょ』と返ってきた。
『ミアも行きたかっただろうにね、兄弟に会える機会だし。まぁ、持ち物検査があるから盗難を疑われちゃたまんないけどさ』
『そうなのよね、作品集買って帰らなくちゃ』
ダダをこねたミアをなだめるのは至難の業だった。
危うくデート当日を大雨にされるところだったけれど、作品集だけでもいいから買ってくるという約束で納得してもらった。どうしても確かめたいことがあるのだと頻りに言っていたのが気がかりではある。
ちなみに、入場チケット代よりも作品集の方が安いけれど、それでも私の貯金の殆どが持っていかれてしまう。
兎にも角にも、貧乏男爵家の末子ではめったに体験できない機会なので、楽しませてもらうしかない。
「本当に嬉しいんだね。リリーがそんな顔をするなんて」
「う」
私は言葉に詰まってしまった。ニヤニヤしていたに違いない。
彼に見られていたなど恥ずかしい。
「嬉しい、です」
やっと返した私の言葉に、クラウス様は一瞬驚いたような顔をした後、とびきりの笑顔を向けてきた。
「俺、初めてお金持ってて嬉しいって思った」
「嫌味ですか」
「大丈夫、全部ちゃんと自分で稼いだお金だからね」
「何が大丈夫なのかはわかりませんでした」
「すごく重要な点だからさ」
「はぁ」
そんな会話をしていると、別館の特別展の入り口についた。
入り口のガードマンにより、手荷物や身体の検査が行われた。よかった、ミアを連れてこなくて。
古今東西の陶磁器展。
大陸中の珍しい陶磁器が集められた、素晴らしい空間。
ドーちゃんも見たいというので彼を腕に抱えて歩く。
平日だけあり、人はさほど多くはなかった。
色鮮やかな釉薬をふんだんに使った南国の陶器や、宝石をはめ込んだ東国の食器類、そして、艷やかでバリエーション豊かなノルデンベルギシアの美しい白磁器。
見るものすべてが新鮮で、美しく、心が刺激を受ける。
そして、ここはアーチファクトの宝庫だった。
古い陶磁器は半数近くがアーチファクトであり、楽しそうに会話している。
アーチファクト同士の会話は言語に頼るものではないので、意思の疎通は難しくはないらしい。
『やっぱり南は温かいのかい?』
『そうね、温かいのはいいのだけれど、体が湿気るのは嫌なのよ』
隣り合った食器たちはこんなふうである。和やかな雰囲気に私まで嬉しくなってしまう。
隣を歩くクラウス様は、私が思っていた以上に陶磁器に興味があったようで、眼の前にある紺色の器をじっと見つめている。
「こんなに深い色を出せるなんて」
「クラウス様もこういう物に興味があるんですね」
「興味は後付けかな。仕事柄他国に赴くことも多いだろう?文化の違い、その歴史背景を知ることが相手の理解にも繋がるからって調べているうちにのめり込んだ感じだね」
「意外です」
「リリー、俺はただのチャラチャラしたイケメンじゃないんだよ。根は真面目な美男子だからね」
「えっと、はい」
変装していても自信家なところは変わらないらしい。
博物館に来てからの小一時間程で、彼の隣に居ることに慣れてしまった。これは警戒心が強い私にしては珍しいことだった。彼が変装していることが大きいのだろうか。
しばらくすると、クラウス様が順路の少し前を見て、目を見開いた。
「ごめん、他国の知り合いが来てるみたいで、ゆっくりと見ててもらえると助かる」
そう言うとクラウス様は先にいる男性たちの方に行ってしまった。
少しだけ寂しさを感じたものの、順路に従ってゆっくりと動き始めた。
食器類から室内装飾品に展示が変わったところで、足を止めた。
「あ、この子」
目が合ったのは、赤い瞳をしたミアにそっくりな仔猫の置物だった。
『うわ、そっくりじゃん!』
ドーちゃんも思わず声を上げた。
じっと見つめると、"鼓動"を感じた。
やはりこの子もアーチファクトであるらしい。
『めっちゃ見られてるな。まぁ、しょうがないか、オイラ美しいもんな』
初等部生の少年のような聲が聞こえた。その自信たっぷりの言葉に私は思わず吹き出してしまった。
『オイラのこと見て笑うなよ嬢ちゃん。その髪の毛燃やしちまうぜ?!』
どうやら彼はミアの対になる存在、そしてマギファクトらしい。彼の真っ赤な瞳は緋石と呼ばれる火の魔石なのだろう。
私は声をかけることにした。
『あの、貴方、ミアの兄弟なのですか?』
『話しかけてきた!嘘だろ、おい』
反応がミアそっくりでまた笑いそうになった。
『ん?!嬢ちゃん、ミアって言ったか?!姉貴は生きてるのか?!』
『私の家にいます。元気ですよ』
『なんてことだ!ってか、嬢ちゃん何者だ?!なんでオイラと話せるんだ?!ミアはどうしてそこに?!』
私は手短に自分の能力やミアのことを話した。念話は連続して5分ほどしか使えないため、ずっと話しているわけにはいかない。
『そうだったんだな。すまない、名乗り遅れた。オイラはレオ。ミアの弟分だ』
『ミアが聞いたら喜ぶわね』
『いや、どうだろうな。俺のこと恨んでるかも』
『どうして?』
レオはミアとセットでノルデンベルギシアの王城に献上される予定だったのだという。しかし、納品の道中でミアは盗まれ、レオは難を逃れたらしい。彼はそのまま永きにわたり王城で飾られ、こうして王家から貸し出される形でこの特別展にやってきたのだという。
『ミアは貴方が無事だと知ったら喜ぶんじゃないかしら。恨んでたら真っ先に愚痴を言ってきそうだしね』
『それならいいんだけどさ。ミアが元気で本当によかった。彼女をよろしく頼むな、リリー殿』
私は小さく頭を下げた。
『大変だー!!!』
そこでドーちゃんの叫び聲が頭に響いた。彼に言われるまま、レオの近くにあった看板に目を通した。
そこにはこう書かれていた。
"コメートラント初公開、赤瞳の白猫。クルト・アルバトロス晩年の作品。対となる"青瞳の白猫"は輸送中に盗難に遭い、行方がわかっていません。情報提供を求めます。報奨金については、、、
その額に、軽く目眩がした。
目撃情報を提供しただけで、この特別展に何度も行けるような額。そして、本物を王家に譲渡するならば、ここにある作品を何点かお買い上げできてしまうような額が提示されていた。
『うっわ、、、ミアってすごい猫だったんだね』
ドーちゃんもドン引きだった。
「おまたせ、リリー。ん、あんまり顔色が良くないね」
そこにクラウス様が戻ってきた。
「いいえ、大丈夫です」
私は笑顔を作ってみせた。顔色の悪さの原因は明らか。念話のしすぎと、ミアの金額に対する衝撃なのだから、彼に心配をかけるわけにはいかない。
「特別展を堪能したら、お茶にしよう」
「はい」
こうして、私達はゆっくりと順路を進んでいった。
◇
特別展は素晴らしかった。
ミアの兄弟だというレオにも会えたし、美しい作品に心が洗われるようだった。
私達は博物館を出て、王都フォルモントーナの中心街ルトゥーナを目指して歩き始めた。
「すみません、作品集まで買っていただいてしまって」
「卒業祝いだからね。もっと貢ぎたいくらいさ」
そう、クラウス様に作品集を買ってもらってしまったのだ。特別展の販売コーナーで手に取ったところ、「じゃあ買ってくるね」とさらりと奪われ、丁寧にラッピングまで施されて手元に戻ってきた。
「ふふ。さぁ早く、リリー」
「う。く、クラウス、さん」
「うん。今のところはこれでいいかな」
彼は嬉しそうに微笑んだ。
あまりにも申し訳なさすぎて、何か私にできることはないかと尋ねたのが間違いだった。
恥ずかしい。
クラウス様、改めてクラウスさんは本当は呼び捨てで呼ばれたいらしく、「次のお楽しみだね」などと怖いことを言っている。
片や上級貴族、片や落ちこぼれなのだから、これ以上は本当にご容赦いただきたい。
「友人にさん付けされるのはむず痒いだろう?やっぱり対等で居たい」
「ゆ、友人ではありませんし、対等にはなり得ません」
「そんなこと言わないでよ」
そう言いながら、クラウスさんは少しばかり寂しそうに笑った。
少々の申し訳無さを感じた。
なぜ彼はこんなに私と友人になりたいと言ってくれるのだろうか。
私達は他愛もない話をした。
話の中心は学生時代のことで、どの先生がよかっただの、どの授業が楽しかっただのというものだった。
そこでわかったのは、クラウスさんは私が思っていたよりも真面目に授業を受けていたことだった。こんな言い方をするのはだいぶ失礼であるけれど。
イメージで人を決めつけてはいけないことを改めて学んだ。
「ジャンがすごく負けず嫌いでね、本当に良いライバルなんだ」
「素敵な関係ですね」
それは本心だった。
私には、そこまでの友人は居ない。
なんだか羨ましいなと思ってしまった。
◇
彼に連れて来られたのは、最近できたエクレア専門店。
1階はテイクアウト専門、2階は飲食ができるカフェになっている。
私達は2階に上がり、案内された席についた。
「来てみたかったんだ。男一人では入れないだろう?」
店内の席は半分ほど埋まっており、たしかに女性同士かカップルしかいない。
「そうですね。でも、クラウス様なら他の女性とでも来れるでしょう?」
「俺は君と来たかったの。リリーだって、ここのエクレアたべてみたかったんだろう?」
「な、なんでそれを」
驚きとともに少しジト目で見てしまう。事実が故に、いくらなんでも少し気持ちが悪い。
「そんな目で見ないで。いつしかの帰り道に君を見かけた時、ここの店の前を名残惜しそうに通っていたからね」
「クラウスさんが怖いです」
確かにここの前を通ったことはあった。確かに美味しそうだと思っていた。もちろん、そんな金銭的余裕はないので食べなかったけれども。
エクレアと紅茶のセットを頼んだ後、しばらくの沈黙が流れた。
私は意を決してクラウスさんに話しかけた。
「どうして、私に構うんですか?」
私の問いに、クラウスさんは目を見開いた後、何を言うんだとクスクスと笑った。
「何度も言ってるとおり、ただ仲良くなりたかった、それだけなんだ。一緒に出かけたり、食事をしたり、他愛もないことを話したり。それこそ、今日みたいにね。そんなことができる友人がほしかった」
その言葉に、いつもの軽さはなかった。
それ故に疑問しか浮かばない。
「クラウス様にはたくさんいるでしょう?私なんかにこだわらなくても」
「いや、君じゃないと駄目なんだ。君とがいい」
「意味がわかりません」
「そのうち教えるよ」
本当に意味がわからなかった。彼が私にこだわる理由がどうしても見当たらない。
在学中にたった一度話しただけなのに。
エクレアと紅茶は本当に美味しかった。お土産で家族にも買って帰りたい程で、幸いにも作品集を買わなくて済んだのでお金には余裕がある。
一階の売店で買おうとしたところ、店員さんに「ご予約の品です」と包を手渡された。人違いです、と返そうとしたところ、隣りにいたクラウスさんに止められた。
エスパーなのだろうか。クラウス様はご丁寧にお土産まで用意してくれていたのだ。それも、家族だけでなく使用人たちの分まで余裕がある。
「君のご家族には賄賂を贈っておかないとね」
そう言いながらニコッと笑みを浮かべられては、突き返すことはできなかった。
「官僚が賄賂って言うと背徳感がありますね。でも、その、ありがとうございます」
私は頭を下げた。
「またデートしてくれるかい?」
すがるような目に、思わず言葉に詰まってしまった。
「目立たないんでしたら」
断ろうと思っていたのに、私の口は正反対の言葉を紡いでしまった。
「それは約束するよ。次はコイレーピアのお土産を渡すから楽しみにしてて」
こうして、人生初のデートは無事に終了した。
◇
『シルビア、聞いてよー!リリーったらデレデレだったんだよ?!』
『あらそうなの?ドーちゃんが羨ましいわ。私もくっついていきたい』
『ほんとよね!ワタクシも行きたかったのに!』
『クラウスは相当リリーのこと気に入ってるよ。"友人になりたかった"だなんて、新手のプロポーズだね』
『まぁ!!リリーも隅に置けない女ね』
『進展が楽しみだわ!』
「3人ともやめて、恥ずかしい」
しばらくからかいが収まらなかったのは言うまでもない。




