信徒発見
幕末になって開港すると長崎などの開港地に外国人居留民のために教会が建てられた。大浦天主堂はフランス人居留民が元治二年(一八六五年)に建てた。正式名称は日本二十六聖人殉教者聖堂で、殉教した二十六聖人に捧げられた教会である。当時の日本人にはフランス寺と呼ばれ、観光名所になっていた。
浦上村の潜伏切支丹らはフランス寺を覗きに行った。国内では禁教令が続いていたため、幕府の罠と疑うこともあった。しかし、杉本ユリら潜伏キリシタン一五人は「殺されてもいいから」と出かけ、ベルナール・プチジャン神父に会った。ユリらは神父を質問攻めにし、本物の神父と確信した。
「我らの宗、あなたの宗と同じ」
ユリは神父に囁いた。これは「私達もカトリック教徒である」との告白である。神父は非常に驚き、また大いに喜んだ。
「本当ですか。どこから来たのですか」
「私たちは皆浦上の者です。そこの殆どの者が同じ気持ちです」
神父は彼らをマリア像の前に導いた。二世紀を経てカトリック教会に信徒が発見された。これを「切支丹の復活」と言う。復活とはカトリック教会の教階制に入ることである。これは宗教史上の大きな奇跡として、ヨーロッパの人々に強い衝撃を与えた。
この後、浦上村の潜伏切支丹達は公然と信仰を表明するようになる。しかし、幕府は国民への禁教を解除するつもりはなかったため、迫害された。
「さあ、出ていけ!」
「そんな無茶苦茶だ!」
「うるさい! 早く立ち去れ!」
「嫌だと言ったら?」
「斬るだけだ」
「くっ……」
「お前たちも行くぞ!」
諸外国公使がこれを宗教弾圧だと抗議したため、幕府は一旦拷問を行わないことを約束した。
潜伏切支丹達は倒幕の動きに期待した。
「幕府の横暴を許すわけにはいかない!」
「そうだ! そうだ!」
「我らの手で幕府を倒すべきだ!」
「その通りだ! みんな立ち上がれ!」
「我々は幕府を倒して新しい日本を作るために戦うぞ!」
「おおっー!!」
一方で倒幕を進める志士達が攘夷を叫んでいたことを警戒していた。その後、江戸幕府は倒れて明治政府が成立したが、明治政府もキリスト教を弾圧した。
明治政府は発足当初の慶応四年(一八六八年)に五榜の掲示が出した。その第三札でキリスト教を禁止した。
「切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ若不審ナル者有之ハ其筋之役所ヘ可申出御褒美可被下事」
潜伏切支丹達は明治政府に失望させられた。
「何ということだ……」
「父上……私はどうしたらいいでしょうか? このままでは切支丹の教えを捨てなければなりません」
「馬鹿なことを言うでない。捨てるなどとんでもない。今まで通り教えを守りなさい」
「でも、この国の人々は私たちを殺そうとしているんですよ」
「それは違う。彼らはただ怯えているだけなのだ」
「そうなんですね……。分かりました。これからもずっと教えを守っていきます」




