天草崩れ
肥後国天草郡では享和三年(一八〇三年)に牛の屠畜事件が起こり、潜伏切支丹を探索するようになった。
「切支丹は危険です。切支丹は殺すべきでしょう」
「切支丹どもは、また反乱を起こす気らしいぞ」
「切支丹がいるとしても、これまで平和に暮らしていた。ならば、放っておいてもよいのではないか?」
「甘い! 切支丹は危険なのですぞ!」
「そうは言うが、切支丹は何もできぬはずだ」
「それはわかっております。だが、油断は禁物でございます」
「うーむ……」
「ここは切支丹どもを徹底的に叩くべきでござる!」
「しかし、民を殺すわけにはいかんだろう」
「何を悠長なことを言っておられるのか! 切支丹どもは、いずれ必ず反乱を起こしますぞ!」
「切支丹は根絶やすべし!」
「わかった。そこまで申すなら、お前に任せよう」
「ありがたき幸せに存じ上げまする」
「では、切支丹の根城をすべて調べよ。切支丹の隠れ家を見つけ出せ」
「かしこまりました」
文化二年(一八〇五年)に天草崩れが起こり、大江村、﨑津村、今富村、高浜村の約五千人が切支丹の嫌疑をかけられた。村人は役人から取り調べを受けた。
「何者か?」
「名乗る必要はない」
「しかし……」
「黙れ!」
「はっ、はい……」
(こいつらは何を言っているのだ?)
「切支丹について知っていることはあるか?」
「いえ、何も知りません」
「嘘をつくな。正直に話せ」
「本当です」
「では、この絵を見てくれ」
村人の前に一枚の絵が差し出された。そこには十字架に磔になっている男の姿が描かれていた。
「これは……切支丹でしょうか?」
「そうだ。これが何か分かるか?」
「さぁ……」
「では、これを見てみよ」
役人が見せたのは一冊の書物であった。
「それは?」
「聖書というものだ」
村人は表紙に書かれた文字を読んだ。そこには『新約聖書』と書かれている。
「それは……キリスト教に関するものですよね?」
「その通りだ」
「それがどうかされたのですか?」
「お前は切支丹ではないのか?」
「違います」
村人は大きく首を横に振った。
「ならば、何故これを読めるのだ?」
「それは……」
「答えられぬか……。まあいい。いずれ、お前は死ぬのだからな」
「どういうことです?」
「お前の罪が明らかになれば、死は免れない」
「私の罪とは一体……?」
「それは言えぬ」
「何故ですか?」
「お前の罪を暴くのは我々の役目だからだ」
「そんな……」
「お前は切支丹の疑いがある」
「私は切支丹ではありません!」
「お前の言い分など聞いていない」
「あなた方は狂っている!!」
村人の言葉を聞いた瞬間、役人の顔つきが変わった。
「今……なんと言った?」
「貴方たちは頭がおかしいと言っているのです」
「ふざけたことを言うな!!」
「いいや、大真面目です」
「貴様……。言わせておけば……」
役人は刀に手をかけた。だが、それを別の役人が止めた。
「待て!」
「何故止める?」
「ここは私が話をする」
「分かった……」
幕府は島原の乱のような事態になることを恐れた。検挙し罰則を与えるということでなく、誤りを糺すという方針をもって臨んだ。拷問をしたり、自白を強要したりするのではなく、密かに宗教的異物を持っている者は、それを夜半こっそりと、指定したところへ投げ込めさせることをした。
「まったく、忌々しい連中だぜ」
「こんな奴らを生かしておく必要なんてあるんでしょうか?」
「まあ、そういうわけにもいかないだろうよ」
「ふむ……。ところで、切支丹ども様子はどうか?」
「はい。今のところ大人しくしておられますが……」
「何か企んでいるのではないか?というわけか……」
「おそらく……」
「ならば、監視を強化する必要があるだろう」
「御意……」
こうして監視体制が強化されることになった。
最終的に幕府は切支丹として罰せず、「宗門心得違い」と扱った。比較的穏便な対応には島原の乱の一揆の頑強な抵抗が影響している。島原の乱は一揆の敗北に終わったが、抵抗には大きな意味があった。
切支丹と認めると踏み絵などこれまでの切支丹対策の機能不全を認めることになってしまうという問題もあった。潜伏切支丹達は、それほど抵抗なく踏み絵を踏んでいた。踏み絵は板製が壊れやすいため、一七世紀中頃から真鍮製に変わった。仏教徒が作成した雑な絵で、ロザリオや十字架が抜けており、切支丹にとってあまり苦痛にならなかった。




