第五話 前を向いて歩く
昔ながらの商店街にひっそり佇む小さな喫茶店。たまたま入った女子高生が、大学生になり、自分で出した答えとは。
昼下がりの喫茶店「 」。店内には、いつもの常連客が数人。それぞれがコーヒーを飲みながら、思い思いの時間を過ごしていた。
春菜は窓辺の席で、ティーカップの縁を指先でクルクルなぞってた。
「大学生になったら、少しは大人になれるのかなって思ってたんです……」
隣のテーブル席の椅子を春菜の方に向けて座っていた店主は、黙って続きを待っていた。
「なんだか、周りの大人は、私を大人扱いしてくるんですよね。高校生のときは、まだ子どもだからって言われてたのに」
「なるほど」
「でも、自分ではそんなに変わった気がしないんです。制服を着なくなって、通う場所が変わって……それだけなのに。甘えなのかなあ」
春菜はカップに目を落とした。
「大人になるって、何なんでしょうね」
店主は少し考えてから、口を開いた。
「ええと、少し話が長くなりますが」
「はい」
「大人になるというのは、年齢で決まる部分もありますが、それだけではないと思いますよ」
春菜は顔を上げた。
「例えば、何かを自分で決めること。決めたことに責任を持つこと。誰かに助けてもらいながらでも、自分で考えて進んでいくこと。そういう経験が、少しずつ人を大人にしていくんじゃないでしょうか」
「自分で決めること……」
「もちろん、大人だって迷いますし、失敗もします」
「そうなんですか?」
「ええ。大人になれば、何でも分かるようになるわけではありませんから」
店主は穏やかに笑った。
「むしろ、分からないことが増えていくような気もしますね」
「それって、ちょっと困りません?」
「困りますねえ」
あまりにあっさりと答えられ、春菜は思わず笑った。
「でも、分からないことがあるから、人は間違わないようにと、考える事を続けようとするのかもしれません」
店主はそう言って、空になった春菜のカップに目を向けた。
「おかわりはいかがですか?」
「いえ、今日はもう大丈夫です」
春菜は立ち上がり、会計を済ませた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。ごちそうさまでした」
扉へ向かいながら、春菜はふと振り返った。
「マスター、また来ますね」
「お待ちしています」
カラン・コロン
ドアベルが鳴り、春菜は商店街へと出ていった。その背中を見送っていた店主が、小さくつぶやいた。
「大人になるってのも、なかなか大変ですねえ」
カウンターにいた常連客が、コーヒーカップを置いた。
「大変といえば、マスター。一人で切り盛りするのは大変じゃない?」
「まあ、なんとかやれてますよ」
「それにさあ、看板娘がいると、この店も華やぐでしょうに」
店主は、少しだけ考えるような顔をした。
「善処します」
常連客は声を上げて笑った。
* * *
数日後。
春菜が喫茶店「 」を訪れると、店主はカウンターの向こうで豆の袋を整理していた。
「こんにちは、マスター」
「いらっしゃいませ。今日は何にしましょうか」
春菜はメニューに目を通し、少し考えてから顔を上げた。
「今日は、マスターのおすすめにしてみようかな」
「おすすめですか」
店主は、棚に並ぶコーヒー豆へ目を向けた。
「そうですね。では、こちらはいかがでしょう。中南米の豆で、ほどよい酸味と、すっきりした後味が特徴です。焙煎も深すぎないので、豆本来の風味が楽しめると思います」
「へえ、そうなんですね」
「ええ。産地の標高や気候によっても風味が変わりますし、もちろん、焙煎の具合でもかなり変わってきますから……」
店主の説明は、少しずつ細かくなっていった。春菜は、にこにこと聞いていたが、やがて遠慮がちに声を挟んだ。
「あのーーー、この話、長くなります?」
店主は、はっとしたように顔を上げた。
「すみません。つい」
「いえ、面白いんですけどね」
春菜は笑った。
「コーヒーって、思っていたより奥が深いんですね」
「そう言っていただけると、話した甲斐があります」
「(そうだ、あれを出してみよう)」
店主は、どこか嬉しそうに豆を挽き始めた。
ほどなくして、春菜の前にコーヒーが置かれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
春菜は一口飲んだ。
「うん。おいしい。なんかフルーティな香りがします」
「それはよかった。これは女性客にも人気のスペシャルブレンド。さっきの説明とは別物ですがこちらもおすすめだったのでお出ししました」
「なんだか、この前飲んでたコーヒーと全然違うんですね。すごく飲みやすいです」
「豆が違えば、味も変わりますからね。そしてブレンドコーヒーはその店の顔。店主が厳選した豆を複数ブレンドして出す。ブレンドの仕方も……」
店主は、いつもの調子で説明を続けようとした。そのとき、隣の席の常連客が声をかけた。
「(ナイスタイミング、さすが常連さん)」
「マスター、そういえば、この前教えてくれたメロンね、早速買って食べてみたよ。めちゃくちゃ美味しかったよ」
「ああ、あれね。あのメロンは最近出始めた新品種で、メロンにも色々な品種があってですね、網目の細かさや糖度、それから栽培方法によっても味わいが変わってきます。例えば、果肉の色だけでも赤肉系と青肉系がありまして……」
「マスター」
常連客が、穏やかな声で遮った。
「あ、そういうのはいいんで」
「……そうですか」
店主は、少し残念そうに口を閉じた。春菜はカップを口元に運びながら、笑いをこらえていた。その様子を見ていた別の常連客が、新しいスマートフォンを手にして声をかけた。
「マスター、新しいスマホにしたんだけど、最近のはずいぶんいろんな事が出来るんだねえ」
「そうですね。以前のものと比べると、ドンドン多機能、高機能になってますからね」
「説明書を見ても、何が何だかさっぱりでね」
店主は、スマートフォンをのぞき込みながら話し始めた。
「例えば、写真を撮るだけでも、撮影した画像を自動で整理したり、離れた場所にいる人と共有したりできます。地図を使えば、知らない場所へ行くときにも便利ですし、音声で検索することもできます。設定を工夫すれば、文字を大きくしたり、操作を簡単にしたりする事もできますよ」
「へえ、そんなことまでできるのかい。ガラケーで充分だったんだけどね」
「他にも、まだまだあります。便利な機能は多いですが、全部を覚える必要はありません。まずは、普段どんなことに使いたいかを考えるといいと思います」
店主は、そこで少し首をかしげた。
「ちなみに、普段はどんなことに使っているんですか?」
「電話とメールかな。あとは、孫の写真を撮るくらい」
「なるほど。それなら、今の使い方で困っていなければ、無理にすべての機能を覚える必要はないかもしれませんね」
常連客は、手元のスマートフォンを見つめた。
「……そりゃ、そうだね。最初からそう言ってくれればよかったのに」
「……確かに、そうですね」
店主は真面目な顔でうなずいた。春菜は、とうとう吹き出してしまった。マスターって、スマホみたいな人だなあ。
知っている事がたくさんあって、聞けば何でも教えてくれる。でも、ただ知識を並べるだけじゃない。相手が何を知りたいのか、何に困っているのかを考えて、ちゃんと話を合わせてくれる。多機能で高機能だ、この人は。
こんな大人になれたらなあ、思わずそう思ってしまった。お客さんとの会話も楽しく、春菜には、居心地良い空間が広がっていた。
大人になるって、まだよくわかんないけど……。生きていく中で、そっと背中を押してくれる人って、素敵だなあ。そんなことを考えていると、カウンターの奥に下がっていた店主が声をかけた。
「何か気になることでも?」
「えっ。あ、いえ。マスターって、本当にいろんな事を知ってるなあと思って」
「そうですか?」
「はい。でも、スイッチが入ると話が長くなりますよね」
「……そうでしょうか」
「そうですよ」
春菜が笑うと、店主は困ったように頭をかいた。それを聴いてた常連客達は、申し合わせたようにうなづいていた。
「気をつけます」
そのとき、先ほどの常連客が店主に声をかけた。
「マスター、アナログ人間はそろそろ帰るよ」
「あっ先生。今日もありがとうございました」
「こちらこそだよ、ありがとね」
先生?春菜は、常連客のほうをちらりと見た。けれど、それ以上尋ねることはしなかった。春菜は残りのコーヒーを飲み干し、席を立った。
「ごちそうさまでした。私もそろそろ」
「いつもありがとうね」
「また来ますね」
「お待ちしています」
扉を開けると、春の風がそっと頬を撫でた。春菜は振り返り、店の看板を見上げた。名前のない看板。けれど、自分にとっては、もう何度も訪れたい場所になっていた。
* * *
その日、春菜は勢いよく「 」の扉を開けた。
「マスター!! 私をバイトに雇って下さい!! お願いします!」
春菜はそう言うと頭をぺこりと下げた。店内にいた常連客達が、一斉に春菜の方を向いた。ある者は飲みかけた物をこぼしそうになり、ある者は小さくこぶしを握りしめ、ある者は腕組みをして頭を上下に振った。又ある者は、気を取り直したつもりの広げた新聞は、逆さ向きだった。店主は慌てて手を止め、春菜を見つめた。ジャズの心地よい音色が店内を包んだ。
「……まあ、とりあえず座ってください、何か飲みましょうか」
「はい!」
春菜は勢いよく返事をして、席に着いた。
店主はカウンターの奥へ戻り、先日出したブレンドコーヒーを用意した。やがて、カップを差し出して春菜の向かいの席に座る。
「それで、どうして急にここで働きたいと思ったんですか?」
春菜は、一緒に出された水をひとくち飲んでからこう言った。
「話が長くなりますよ」
店主は、少しだけ笑った。
「構いません」
春菜は、ゆっくりと話し始めた。
大学生になってから、周りの人との関わり方が少し変わったこと。大人として扱われることが増えたのに、自分自身はまだ何も変わっていないように感じること。出会いも増え、今まで思った事ないような考えの人達と触れ合うようになり、このままじゃいけないと強く考えるように。この店でマスターに色々話を聞いてもらったこと。
マスターは、春菜に答えを押しつけなかった。すぐに何かを決めさせようともしなかった。ただ話を聞き、考えるためのきっかけをくれた。背中を押してくれた。それが、春菜には嬉しかった。
「ここに来ると、いろんな話が聞けるんです。マスターの話もそうだし、常連さんたちの話も」
春菜は少し照れくさそうに笑った。
「私の知らないことが、まだまだたくさんあるんだなって思うんです。いろんな人の話を聞いてて、いろんな考え方を知って……そういう経験を、もっとしてみたいんです」
店主は、黙ってうなずいた。
「マスターのところで働けたら、きっと、もっとたくさんのことを学べると思って……」
春菜は、そこで少し言葉に詰まった。
「そのお、師匠!あっ、いえ!マスター!」
春菜は慌てて言い直した。
「師匠?」
店主は首をかしげた。
「それに、社会勉強しながらバイト代ももらえるなら、最高じゃないですか!」
その言葉に、店内の常連客たちが笑った。
「看板娘の誕生かあ!」
「いいんじゃないかあ。マスター、店もにぎやかになるよ」
春菜は、恥ずかしそうに頬を赤くした。店主は苦笑したがまんざらでもない様子だった。店主は、そんな春菜を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「私は、前向きに生きようとする人、努力する人、結構好きですよ」
春菜は、思わず顔を上げた。
店主はいつもの穏やかな表情で、自分用に作ったコーヒーを一口飲んだ。そして、
「……もはや、断る理由が見つかりませんね」
「えっ?」
「採用です」
一瞬、春菜は何を言われたのか分からないようだった。
「ほ、本当ですか?」
「ええ。ただし、大学の勉強を優先してください。講義や試験の予定に合わせて、来られる範囲で大丈夫ですから、やってもらいたい事は割とありますが」
「はい! ありがとうございます!」
春菜は勢いよく頭を下げた。店内から、拍手が起こった。
「おめでとう!」
「これで店も華やぐなあ!」
春菜は照れながら、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます。頑張ります!」
店主は、そんな春菜を見て、静かに笑っていた。窓辺からは春の日差しが優しく店内に降り注いでいた。
* * *
午後の講義が休講の日。春菜は、昼下がりの割と暇な頃に喫茶店「 」へやってきた。扉を開けると、いつものコーヒーの香りが迎えてくれた。
「おはようございます。マスター」
「春菜さん、おはようございます」
店主が顔を上げる。
「お、来たね。看板娘!」
常連客のひとりが、さっそく声をかけた。
「もう、やめてくださいよ」
春菜は笑いながら、エプロンを身につけた。
「では、今日は初出勤なんで、やってもらう仕事内容を簡単に説明しながら……」
店主がそう言いかけたところで、春菜はにっこりと笑った。
「簡単に、ですか?」
店主の手が止まった。
「話が長くても、私は構いませんけど」
春菜がそう言うと、常連客たちがくすくすと笑った。店主は、少し困ったように眉を下げた。
「……そうですか。それでは、少し話が長くなりますが」
そのときだった。
カラン・コロン
ドアベルが鳴った。
春菜は、ぱっと振り返った。
「いらっしゃいませー!」
第一章 「完」
第一章女子高生編を最後までお読みいただきありがとうございます。拙い文章でしたが楽しく執筆させて頂きました。今後は、春菜を交えて、喫茶店「 」で巻き起こるちょっとした出来事と、何気ない日常を季節の移ろいと共にお届け出来たらと思います。今後共よろしくお願いします。




