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名前の無い喫茶店  作者: 一九十九
第一章 女子高生編

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4/6

第四話 違う景色自分の景色

幾度か喫茶店「 」に訪れる春菜に、どんな変化が。

 一 卒業報告


 卒業式から数日経ったある日。春菜は、喫茶店「 」へと足を向けていた。

 木製の扉を開けると、


 カラン・コロン


 いつものドアベルの音。いつもの店内。カウンターの奥にいる店主も、いつも通りに春菜を待っていた。


「いらっしゃいませ。おや、いらっしゃい」

「こんにちは」


 春菜はいつもの窓辺の席に腰を下ろした。


「今日は私服ですね」

「ちょっと報告にと思って」

「報告?」

「はい。無事に卒業しました」


 店主は、少し目を細める。

「そうでしたね。それは、ご卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 いつもの調子で交わされる言葉だったけど、春菜は自分が高校を卒業した事を、口にする毎に実感していた。

 卒業式の日は、いろんな人達と過ごした。友達と、後輩達と、彼氏と。卒業式から、そんなに日が経っていない。でも、制服を着て学校へ通っていた日々は、もう遠くに感じてたなって。


「四月から、いよいよ大学生ですね」

「そうなんですけど……まだ、高校生の気分です。」

「まあ、昨日まで高校生だった人が、今日いきなり大人になるわけでもありませんからね」

「それはそうですよね」


 春菜は笑った。店主の言葉は、いつも妙に納得できる。無理に背中を押すわけでもなく、かといって、何も考えなくて良いと言うわけでもない。ただ、今の自分をそのまま認めてもらえたような気持ちになるのだ。


「そういえば」

 店主がカウンターの下から、何かを取り出してこっちに来た。


「これ、よかったら記念にどうぞ」


 差し出されたのは、一枚のポストカードサイズの色紙だった。受け取ってオモテを見ると、鉛筆で描かれた自分の姿があった。春菜は思わず、色紙と店主の顔を交互に見た。


「……これ、私ですか?」

「ええ」

「えっ、いつの間に?」

「先日いらっしゃった時に軽くデッサンして、そのあと描いたものですよ。卒業が近いとおっしゃっていたで。高校時代の思い出になるかなと。次に来られたら、お渡ししようかと」


 絵の中の少女は、窓辺の席から外を向いて何か物思いにふける横顔を見せていた。


 自分では意識していなかった表情だった。こんな表情してたのかあ。眺めているうちに、確かに自分らしい顔だと思えてきた。


「マスター、絵も描けるんですね」

「まあ、趣味のようなものですよ。気が向いた時にたまにこうして描いてるんですよ。迷惑でしたか?」

「迷惑だなんてそんな、とても嬉しいです。それにしてもすごいです……。(やっぱりあの時の人)。気が向いてくれて良かった〜。絵なんて貰った事無いし、それに私を描いてくれるなんて、ありがとうございます。大切にします」


 春菜は色紙を両手で持ち、もう一度眺めて少しニヤついていた。誰かが、自分の知らない所で自分の知らない姿を観ているって事を、それを形として残してくれている。嬉しいけど、少し気恥ずかしかった。


「これからは大学生活ですね。忙しくなりそうですか?」

「どうだろう。履修とか、サークルとか、まだよく分からない事ばかりで。でも、楽しみです」

「それは何よりです」

「ただ、大学生になったからって、急に何かが変わるわけでもないんでしょうね」

「ええ。変わる事も当然ありますが、変わらない事もありますよ。毎日その積み重ねですね」


 春菜はうなずいた。高校を卒業したからといって、何か答えが見つかったわけではない。これから何をしたいのか。どんな大人になりたいのか。まだ、はっきりとは分からない。けれど、分からないまま新しい生活が始まることを、以前ほど不安には感じなくなっていた。楽しむ事ももっと考えなきゃ。


「また、大学の話も聞かせてください」

「はい。いろいろ報告に来ますね」

「はい、楽しみにしています」


 春菜は色紙を鞄にしまおうとした時、裏に何か書かれていたのに気付いた。


『「 背伸びして飲んだ 少し苦めのコーヒー。湯気の先に映る 新たな季節の兆し。窓辺の静寂の中で重ねた問いかけは、きっと、私だけの道しるべになる」』


「マスターー!素敵なエールをありがとうございます!!」

「応援してますよ」

 店主は少し照れながら手を振った。


 店を出ると、街の空気にも、どこか春らしいやわらかさが混じっていた。新しい生活が始まる。そう思うと、少しだけ胸が弾んだ。


 二 違う景色


 四月。

 大学生活が始まって、春菜は新しい環境に少しずつ慣れ始めていた。講義の教室を探して構内を歩き回ったり、履修登録の説明に戸惑ったり。広い構内を右往左往。サークルの勧誘合戦に面食らったりもした。高校時代とは勝手が違う事も多かったが、それも含めて毎日が新鮮だった。ある講義が終わり、春菜が大学を出て駅へ向かおうとしていたその時。


「すみません、ちょっといいですか?」


 声をかけられ振り返ると、同じくらいの年齢の女の子が立っていた。


「はい?」

「この大学の学生さんですよね?」

「そうですけど……」

「よかったあ。私、まだこの辺りの事がよく分からなくて。駅まで行くところなら、少し一緒に歩いて色々伺ってもいいですか?」

「あ、はい。丁度駅に向かうところですから良いですよ」


 女性は、ほっとしたように笑った。

「ありがとうございます。私は結衣って言います。この大学の1回生。九州から出てきたばかりなんで、こっちは土地勘が全然無くて」

「九州から? そうなんですね。ようこそわが街へ、私は春菜です。私も1回生だから同い年かな?」

 春菜は少し誇らしげに言った。


「春菜さんね。よろしくね」

「こちらこそ、よろしくね。結衣さん」


 二人は並んで歩き始めた。結衣は初対面とは思えないほど自然に話しかけてくる。人見知りをする様子もなく、分からない事は分からないと口にするし、知りたいことがあれば遠慮なく尋ねる。つられて普通に受け答えしてる自分に内心驚いてる。私ならもう、初対面の人にはオドオドした素振りになっちゃうなあ。あの喫茶店の時みたいに。


「この辺りって、普段の買い物はどこでするんだろう? 私、大学の近くのマンションに住んでるんですけど、まだ必要なものを買う場所も探してるところで」

「それなら、ちょっと歩いた所にショッピングモールがあるからそこに行けば大抵の物は揃うし、普段なら所々に商店街があるから買い物やご飯も出来るよ。通り沿いは結構ビルやマンションが立ち並んでるけど、少し脇入ると割と古い街並みの所もあるんで散歩がてら散策するのも良いかもね」

「へえ、すごく参考になったわ。ショッピングモールに商店街、古い街並み。良いですね。今度の休みに色々行ってみるね」

「大学の近くに住んでるなら、歩いて行けると思います。徒歩圏内で全部」

「そうなんだ。やっぱり、地元の人に聞くのが一番だったわ。やったー」


 結衣は結構楽しそうだった。知らない土地に来たばかりなのに。慣れるまで不安や心配もあるだろうに。けれど、結衣には、この先何があるんだろうって期待のほうがまさってるんだろうなあ。


「春菜さんは、この辺りが地元なんですか?」

「ううん。電車でここから5、6駅行ったくらいの所に住んでるの。高校もこの地下鉄の沿線にあったので、ずっと電車通学だったんです」

「へーー。この辺りの事も詳しいんだね」

「詳しいってほどでもないけど。生まれも育ちもこっちだから、知ってるところが多いだけで」

「それでも、私からしたら十分頼りになったよ」


 結衣はそう言って笑った。それから、話題は自然と、大学を選んだ理由へと移っていった。


「結衣さんは、どうして九州からこっちに?」

「結衣で良いよ。私も春菜って呼んでいい」

「うん良いよ」

「そうそう。私ね、もっと広い所で暮らしてみたかったの。自由が欲しいってわけじゃなくて、カッコつけて言うと、見聞を広めるとか、可能性を広げるとか、そのきっかけが大学進学のこの時かなって思ってて」

 結衣は、迷いなく答えた。


「地元も、自然がきれいで、暮らしやすい所なんだよ。でも、それ以外に何があるかって考えると、私にはあんまり思いつかなくて」

「そうなんだあ?」

「もちろん、好きな人もいるし、住むには良い所だと思うけど。でも、私はそこでずっと暮らしたいかって聞かれると、そうでもなかったの。高校生の時にそれに気が付いたって事」

 結衣は歩きながら、前を向いて話していた。


「せっかく一度きりの人生なんだから、出来る事はやらなきゃ損。知らない場所に行って、いろんな人に会って、自分には何が出来るのか試してみたい。挑戦よ。この大学生活はその第一歩」

 その口調にためらいはなかった。


 春菜は、少し驚いていた。自分と同じように、この春から大学生になったばかりのはずなのに。結衣はすでに、自分が何をしたいのかを、はっきりと見据えているように思えた。


「結衣はすごいね。私は、そこまで考えて大学を選んだわけじゃないから」

「そうなの?」

「私はここが大好きで、ここでずっと暮らすのも良いなと思ってて。だから大学の選択理由も家から通える所を優先にしたの」

「それはそれで、とても良い事だと思うよ」


 結衣はあっさりとうなずいた。

「私はこう思ったの。住みやすい場所と、ずっと住みたい場所って、イコールじゃないと。私は、住みやすいからって理由だけで、これから先の人生を決めたくなかっただけ。」


 春菜は、すぐには返事ができなかった。

 結衣は自分の考えを話しているだけなのだろう。春菜の選択を否定しようとしているわけではない。それは分かる。けれど、自分が好きだと思っている街のことを、あまり魅力がない場所のように言われた気がして、少しだけ引っかかった。


「でも、この街だって、良い所はたくさんあるよ」

 気がつくと、春菜はそう言っていた。


「川沿いを歩くのも気持ちいいし、駅前の商店街だって、昔からのお店が残っていて。住んでると、落ち着くと言うか、包み込んでくれてるような。そういうところが好きになんだよね。」

 ちょっとムキになってる感じになってしまった。


「うん。そう感じれる事って、凄く良いね」

 結衣は、至極当然のように共感した。


「……結衣は、結構はっきり言うんだね」

 少しばかり、棘のある言い方になってしまった。


 結衣は一瞬、春菜の顔を見た。けれど、気まずそうに笑ってごまかすことはしなかった。


「そうなの。思ったことをすぐ言っちゃうほうなので。結構これで失敗しちゃうんだよ」

 結衣はあっけらかんと笑った。


「悪い意味で言ったわけじゃないからね」

「分かってるわ。でも、私は自分の考えを隠して、相手に合わせるのも違うかなって思うから、こんな感じになっちゃう。」


 結衣は、少しだけ表情を和らげた。

「もちろん、何でも言えば良いってもんじゃないけどね。私だって、間違って言っちゃう事あるし。」


 春菜は、その言葉に少し戸惑った。自信たっぷりに自分の考えを話す人なのかと思っていた。けれど、結衣は自分の言う事が絶対に正しいとは思っていないみたい。自分の考えを持ち、それを口にすることをためらわないだけんだ。


「……いろんな考え方があるんだね」

 春菜がそう言うと、結衣は笑った。


「あるよ。私も、春菜の話を聞いて、地元の街ってのも良いもんなんだなって思ったし」

「え?」

「だって、好きな所をすぐに挙げたでしょ。それって、凄く素敵な事だと。住んでる街への愛情とか尊敬とか感じる」


 思いがけない言葉だった。結衣は春菜の考え方を否定したかったわけではない。自分とは違う考えを持つ人の話も、ちゃんと聞いている。それでも、二人が同じ気持ちになるわけではなかった。明らかに性格や考え方が違う二人が。


 駅に着く頃には、会話は別の話題へと移っていた。

「また、いろいろ教えてね。商店街のことも、ほかの場所のことも」

「私も結衣の地元の話も聴きたい」

「あっ、駅に着いたね。もっと話してみたかったけど、今日はありがとね。じゃあ、また大学で会おうね」

「うんまたね」


 二人は連絡先交換をして別れた。

 結衣は明るく手を振って、春菜と別れて歩いていった。春菜は、その背中を少しだけ見送ったあと、駅の改札を抜けた。嫌な人ではなかった。むしろ、話していて面白い人だと思う。私とは真逆な感じの人なのに。ただ、どこか引っかかる事もあった。自分が大切に思っているものを、それほど大切に思わない人がいる。頭では分かっていたつもりだった。けれど、実際にそういう人と会話してると、驚きの連続、気持ちが左右に揺れ動かされる思いだった。


 三 自分の景色


 数日後、春菜は大学からの帰りに、喫茶店「 」へ立ち寄った。


 カラン・コロン。

「いらっしゃい」

 

店主の声を聞くと、自然と肩の力が抜けた。


「こんにちは。今日はちょっと、話を聞いてほしくて」

「ええ、どうぞ。さて何にしましょうか」

「ミルクティをお願いします」

「かしこまりました」


 注文を済ませると、春菜はこの前、大学で知り合った結衣のことを話し始めた。

 九州から来たこと。知らない街での暮らしを楽しんでいること。そして、地元にはあまり愛着がなく、もっと広い世界を見てみたいと思っていること。そして友達になった事。


「結衣さんの考え方も、分からなくはないんです。知らない場所に行って、自分に出来る事を増やしたいっていうのは、すごいと思うし」

 運ばれてきたミルクティを一口飲んで、春菜は続けた。


「でも、私はこの街が好きなんです。ずっと住んできたから、いいところも知ってるし。そういう話をしても、結衣さんにとっては、ここに住み続けたいと思う理由にはならないんですよね」

「なるほど」


 店主は、いつものように、すぐには答えを返さなかった。春菜は、カップの取っ手をつまみながら、


「別に、結衣が間違ってるとは思ってないんです。でも、なんだか、自分が大切にしているものを、そうでもないって言われたような気がして……」


 口にしてみると、自分が何に引っかかっていたのか、少しずつ分かってきた。結衣の言葉そのものが嫌だったわけではない。自分が好きな街を、同じようには好きになってもらえなかったこと。それが、少し寂しかったのだ。


「ええと、少し話が長くなりますが」

 店主が口を開いた。


 春菜は、思わず笑った。

「はい。お願いします」


「人は、同じ場所に立っていても、同じ景色を見ているとは限らないものです」

 店主は、カウンターの向こうから静かに話した。


「春菜さんにとっては、昔から通った道や、馴染みのお店、川沿いの風景に思い出がある。だから、そこに価値を感じるのでしょう。しかし、結衣さんが、その風景を観たとしても、単なる普通の風景にしか映らないんです。当然です。なんの思い入れも、思い出ひとつ無いのですから。一方で、結衣さんにとっては、まだ知らない場所へ出ていく事、初めて体験する事に、大きな価値を見いだしているのかもしれません」


 春菜は、黙って聞いていた。

「どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという話ではないと思いますよ」

「……でも、私が好きな街を、ずっと住みたい街じゃないと言われると、やっぱりちょっと寂しいです」

「それは、そうでしょうね。ただ、まだこの街での経験が無いのですから、当たり前なんですよ。そう思うのは」

 店主は、あっさりと言った。


「でも、無理に気にしないふりをする必要はないと思います。自分が大切にしているものを、誰かにも同じように大切にしてほしいと思うことは、別におかしなことではありませんから」


 春菜は、少しだけ顔を上げた。


「ただ、結衣さんがこの街に住み続けたいと思わないからといって、春菜さんの好きなこの街の価値が下がるわけでもありません。ましてや、人は変わるもの。最初は何も思わなくても経験を経て、好きになる物、嫌いになる物。結衣さんにとってこの街は、まだまっさらな状態なんですから」


 その言葉は、すっと胸に入ってきた。自分が好きなものを、誰かも同じように好きになって欲しいって、ちょっと傲慢だったかも。


 気持ちが楽になった。

「……そうですね」

「それに、春菜さんだって、これから大学でいろいろな人に会うでしょう。自分とは違う考え方に出会うことも、きっともっと増えていきますよ」

「はい」

「衝突する事もあるでしょう。だからってそのたびに、全部を受け入れる必要はありません。ただ、どうしてそう考えるのだろうと、一度立ち止まってみるのは、悪い事ではないと思いますよ」


 春菜は、ミルクティをもう一口飲んだ。結衣の言葉には、まだ納得できないところもある。自分の考えと違うからといって、すぐに相手を否定したくはない。けれど、無理に相手の考えに合わせる必要もない。その両方を、少しずつ理解できたような気がした。


「マスターって、いろんな考え方を知ってますよね」

「そうでしょうか」

「はい。私だったら、つい自分の考えにこだわっちゃうところを、違う方向から見せてくれるというか」

「私も、まだまだ勉強中ですよ」


 店主は、そう言って笑った。

「人の考えなんて、そう簡単に分かるものではありませんからね」


 春菜も笑った。ここへ来ると、答えをもらえるわけではない。けれど、自分一人では見つけられなかった考えに気付く事がある。それが、春菜にとっては心地よかった。あの色紙に書いてあった道しるべのような人。そうだ。店主は、私の心の師匠だ。だから、いつも前向きにいられるんだ。


 店を出る頃には、空の色が少しずつ夕方へと変わり始めていた。春菜は、駅へ向かいながら、結衣の事を思い出した。自分とは違う考え方をする人。言葉を選びすぎず、思ったことをまっすぐに口にする人。少し戸惑うところもあるけれど、話していて面白かったのも確かだった。何よりこんなに心を揺さぶられるなんて。今度会う時、もっと色んな話をしてみよう。


 そう思えたことが、春菜は嬉しかった。春風が、商店街を吹き抜けていく。見慣れた街の景色は、春色を帯びてきた。これから出会う人達によって、少しずつ違う景色に見えるようになるのかも。春菜は、そんなことを考えながら、駅へと歩いていった。


本作品を読んでいただきありがとうございます。高校生から大学生になった春菜と喫茶店「 」が、どうなっていくのか。次回で第一章高校生編は完結予定です。お楽しみにしていてください。

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