第三話 卒業の日
いよいよ卒業式を迎えた春菜の心境は。
卒業式まで、あと一日。
教室に差し込む陽射しは、少し春っぽく温かみを帯びてきた。
黒板の隅には、誰かが書いた落書きがまだ残っている。机の中を片付ける。友達と写真を撮ってる。卒業したら何をするのかと楽しそうに話す。卒業旅行の打ち合わせしてる。めいめいが思い思いの事してる。いつもの教室なのに、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
春菜も、そんな教室の一人だった。四月からは大学生、新生活が始まる楽しみもあった。でもまだ気がかりな事がひとつ。彼の東京行き。付き合ってから今まで、二人で過ごす時間は当たり前に日常の中にあった。学校で顔を合わせる事も、帰り道に一緒に歩く事も、カラオケ行ったり、ハンバーガーショップで馬鹿話してたり、特別な約束をしなくても普通に出来た。
四月からは、それが思うように出来ない。連絡の取り合いは出来るし、休みを上手く合わせれば会う事だって出来るだろう。って、頭ではなんとなく考えていた。
それでも、今までと同じようにいられるの?会いたい時に、すぐ会えない事を寂しいってどんどん感じるんじゃないの?
考えても考えても、全然答えの出ない事ばかりの毎日だった。
ちょっと前なら、こんな事誰かに相談するのもためらっていたけど。今は自分が何を気にしているのか、以前よりもはっきりわかってきた。
春菜は、明日が卒業式であることを改めて意識する。高校生でいられるのは、今日を入れてあと二日。その先に待っているものは、まだもやがかかったようにはっきりとは見えてなかった。
*
放課後、春菜は彼と二人で話す時間を作った。学校を出て、少し歩いた所、帰り道の堤防道路から河川敷に降りた所に、ベンチや、石柱のような切り株のようなイスが点在してる広場。帰りがけに何度もそこに腰掛けて、勉強の事、友達の事、好きなアニメや漫画の事、今度の休みどこ行こうかとか。たわいの無い話を夕日が沈む頃までよく語り合ってた場所。特別じゃないけど大切な場所。けれども、今日の二人はいつもより言葉数が少ない。
「いよいよ明日だね、卒業式」
春菜がそう言うと、彼は少し笑った。
「なんか、まだ実感無いな」
「うん。私も」
そう答えたものの、春菜の心には別のことが引っかかっていた。言おうか、どうしようか。せっかくの卒業前日なのだから、楽しい話だけをしていたい気持ちもある。けど、何も言わずに春を迎えるのはダメだ。
「ねえ、四月からさ……」
そこまで言って、春菜は一度口を閉ざす。
「東京、行っちゃうよね」
「うん」
「そうだよね」
自分で話を切り出したのに、それ以上の言葉がすぐには出てこなかった。彼も、春菜の言いたい事を察したのか、しばらく黙っていたが。
「寂しい?」
尋ねられて、春菜は小さくうなずいた。
「……うん。多分、思ってるよりもたくさん」
口にしてみると、胸の中にあったものが少しだけ形になった気がした。
「会いたい時に、すぐ会えなくなるでしょ。今までみたいにはいかないんだろうなって」
「そうだね」
彼氏は、無理に明るいことを言おうとはしなかった。
「俺も、どうなるかはわからないけど」
その言葉に、春菜は顔を上げた。
「でも、会いたいと思ったら会いに帰る、帰ってきたらすぐ連絡するよ」
「うん」
「春菜も、何かあったら我慢せず言ってほしい。寂しいとか、会いたいとか。無理して平気なふりをされる方が、たぶん困る。俺そうゆうの鈍感だし」
春菜は思わず笑った。
「それ、そっちもだからね」
「わかってるよ。何でもすぐ話すよ。春菜が呆れるくらい」
彼氏も笑った。
これで遠距離恋愛がうまくいくと決まったわけではない。二人とも、まだ知らないことばかり。忙しくなれば、連絡が減る日もあるかも。気持ちがすれ違うことも。それでも、わからない事を、わからないままにしておかなくてもいい。そう思えた事が、春菜には少しうれしかった。
「じゃあ、また連絡するね」
「うん。また明日、式のあとにな」
明日も会える。その当たり前が、あと少しで当たり前ではなくなるけど。春菜は、そのことを寂しく思いながらも、彼と並んで過ごすこの時間を大切にしようと思った。
*
卒業式の朝、いつもより少し早く目が覚めた。昨日はなかなか寝付けなくてちょっと心配だったけど。着なれた制服に袖を通す。何度も繰り返してきた朝の支度も、今日が最後だと思うと、なんか感慨深い。家を出ると、空はよく晴れていた。まだ風は冷たい。それでも、真冬の朝のような鋭さはもうない。
学校へ向かう道沿いには、同じ制服を着た生徒達の姿が普通にあった。友達と連れ立って歩いてたり、家族と一緒だったり。
校門の前で、すでに何人か同級生が集まっていた。
「春菜、おはよう!」
友達に声をかけられ、春菜は笑顔で手を振った。
「おはよう。みんな早いね」
「だって今日、卒業式だよ。遅刻したら一生言われるじゃん」
「一生は言わないけど、同窓会とかで毎回言いそう」
二人で笑う。いつものくだらないやり取りだった。教室に入れば、机も椅子も、窓から見える景色も、昨日までと何も変わらない。けれど、もうこの教室で授業を受けることはない。
卒業式が始まると、春菜は壇上を見つめながら、これまでの学校生活を思い返した。
入学したばかりの頃は、三年間がこんなに早く過ぎるとは思っていなかった。楽しかった事もある。うまくいかなかった事もあった。友達と笑い合った日々、少し落ち込んで帰った日。部活で汗を流して頑張った事。彼氏が出来て浮かれてた事。体育祭や文化祭とかの学校行事。今となっては全て大事な思い出に。
そして、そんな日々も今日で一旦一区切り。卒業証書を受け取る時、春菜は少しだけ背筋を伸ばした。大人になった、という実感はない。でも、これから新たなスタートを切るんだなって思えてきた。晴れやかな気分だった。
*
式が終わり、卒業生たちがそれぞれ教室へ戻ろうとしていた時。
「春菜先輩!」
背中越しに聞き覚えのある声が聴こえてきた。振り返ると、部活の後輩たちがこちらへ駆け寄ってくる。
「先輩、卒業おめでとうございます!」
「今までありがとうございました!」
口々にそう言いながら、後輩の一人が春菜に花束を差し出した。
「これ、みんなからです!」
「えっ、うそっ!?私に?」
思いがけないお祝いに、春菜は目を滲ませた。
色とりどりの花が、春らしい明るさをまとっている。花束を受け取ると、後輩たちは少し照れくさそうに笑った。
「先輩が居なくなるの、寂しいです」
「そんな、大げさだよ。もう部活だってとっくに夏に引退してるし。学校に来なくなるだけで、又どっかで会えるでしょ」
そう言って笑ったものの、胸の奥がじんわりと温かくなった。
部活で一緒に過ごした時間。何気ない会話や、練習の合間に笑い合ったこと。春菜にとってのいつもの日常だった出来事が、後輩達にとっても思い出になっていてくれている。
「みんな、ありがとう。大事に部屋に飾るね」
春菜がそう言うと、後輩たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
もう一度、卒業のお祝いを言い合ってから、後輩たちは友達との待ち合わせがあるのか、賑やかな声を残して去っていった。
春菜は、腕の中の花束を見つめた。卒業するのは自分だけれど、こうして送り出してくれる人達がいる事。そのことが、思っていた以上に嬉しかった。
*
教室に戻った春菜は、友達と写真を撮ったり、先生に最後の挨拶をしたりして過ごしていた。卒業式が終わったあとの校内は、いつも以上に賑やかだった。
そんな中、廊下の向こうに彼の姿が見えた。同じ学校に通っていても、クラスが違うとなかなか会えないもの。今日はお互いの友達に囲まれていて、なかなか二人きりで話す機会がなかった。
春菜が近付くと、彼もこちらに気付いて駆け寄って来た。
「卒業、おめでとう」
「そっちも、おめでとう」
二人は顔を見合わせて笑った。
「なんか、変な感じだね。同じ学校なのに、こうやって話すのも久しぶりね」
「ああ、そうだよなあ。登校もまばらになってたし。そういやあ、今日はみんな、あっちこっち廻っててバタバタだなあ」
彼の後ろでは、友達が誰かを呼んでいる。春菜の方も、さっきまで一緒にいた友達が少し離れたところで様子を観てて待ってる。
「写真、撮ろうよ」
春菜が言うと、彼はうなずいた。
近くにいた友達に頼んで、二人並んで写真を撮ってもらった。シャッターが切られた。
「もう一枚、撮る?」
「ううん。これでいい」
春菜はスマホの画面を確かめてから、ふと思いついたように彼を見た。
「あのさ」
「ん?」
「ボタンもらってもいい?」
彼は一瞬、何のことかわからないような顔をした。
「ボタン?」
「うん。だって、もう制服着ないでしょ」
「ああ……そういうことか」
彼は自分の制服に目を落とした。春菜は少しだけ視線をそらしてから、言葉を続けた。
「……第二ボタン……だよ、良いよね」
口にした途端、急に恥ずかしくなった。
自分から言い出しておいて、何を照れているのだろう。そう思うのに、彼の返事を待つ間、顔が熱くなるのを止められなかった。彼は少し驚いたようだったが、やがて笑った。
「良いに決まってるだろ、ちゃんと残して有るって。」
「(全部残ってるくせに)」
そう言って、制服のボタンを外し始めた。
春菜は、その様子を見ながら、腕に抱えていた花束を見た。後輩たちがくれたお祝いの花束。嬉しくてずっと大事に抱えていた。その中から一本、そっと花を抜き取る。
「はい。じゃあ、これ」
差し出された花に、彼が目を瞬かせた。
「え、何?」
「お返し。ボタンの」
「お返しって……」
彼は少し困ったように笑ったが、春菜は花を引っ込めなかった。
「いいから、いいから」
そう言うと、彼は照れくさそうにうなづく。春菜は、その花を彼の制服の胸ポケットに刺してあげた。花の色が、いつもの制服によく映えていた。
「うん。似合ってる」
「そうかな」
「そうだよ」
二人で笑った。
やがて、彼は外した第二ボタンを春菜に渡した。春菜はそれを、無くさないように手のひらで包んだ。
「ありがとう」
「うん」
それだけのやり取りだった。何か気の利いたことを言いたかったのかもしれない。けれど、うまい言葉は浮かばなかった。第二ボタンをもらったからといって、春からの二人の関係が何か約束されたわけではない。
それでも、春菜はうれしかった。
「春休み、東京に行く前に、また会おうね」
「うん。また連絡するよ」
二人は、いつもと同じように約束を交わした。そのとき、彼の友達が遠くから声をかけてきた。
「おーい、こっちも写真撮るぞ!」
「今行く!」
彼が振り返る。
「じゃあ、また」
「うん、またね」
彼が友達の輪に戻っていく。春菜も、待っている友達のところへ向かった。腕の中には花束が。ポケットの中には、小さな第二ボタン。春菜は花束を抱え直して、友達のもとへ駆け寄った。
*
そのあとも、卒業式の一日は続いた。友達とまだまだ卒業式の余韻を楽しむ、感傷に浸る、先生と輪になって皆で撮影会、別れ際、皆と何度も「またね」と言い合った。
最後の別れじゃないけど。連絡先も知っているし、進路が別々になっても会おうと思えば会える。それでも、毎日顔を合わせるような事は無い。春菜は、友達と笑いながらも、少しずつ実感してきた。
校門を出る頃には、空の色が少し変わっていた。朝はあれほど賑やかだった校門の周りも、いつの間にか人がまばらになっている。
「じゃあね、春菜。また連絡するね」
「うん。絶対だよ」
「わかってるって」
友達と手を振り合う。それぞれが、それぞれの帰り道へ向かっていく。春菜も歩き出した。制服を着て、この道を通うことはもうない。けれど、道そのものが変わるわけではなかった。見慣れた家並みも、道端の植え込みも、いつも通りそこにある。
四月からは大学生。新しい生活が始まる。新しい友達もできるだろう。彼は、これまでとは違う付き合い方をしていくことになる。楽しみなことも、不安なことも、まだたくさんあった。
ポケットの中で、しまったばかりの第二ボタンの感触を確かめる。今日という日を、忘れない。春菜は、ゆっくりと息を吐いた。
*
駅へ向かう途中、春菜はいつもの商店街を歩いてた。学校帰りに何度も歩いた道。色んなお店から買い物客とお店の者とのやり取りが聴こえてくる。家路を急ぐサラリーマン。犬と散歩をする人。いつもと変わらない風景。
ふと、春菜は足を止めた。商店街の途中にある小さな喫茶店。相変わらず店の名前なのかどうかもわからない、「 」が書いてある看板。初めて訪れたときは、少し緊張しながらブラックコーヒーを頼んだ。二度目に訪れたときは、ホットココアを飲みながら、卒業を前にした気持ちを話した。店主は、何か特別なことをしてくれたわけではなかったけど楽しかった。居心地が良かった。
ただ、話を聞いてくれた。無理に答えを出そうとせず、何気ない言葉を返してくれた。それだけなのに、店を出る頃には、少しだけ気持ちが軽くなっていた。今日も、扉の向こうには、いつもの空間が広がっているのだろうなあ。
春菜は、しばらく看板を見つめた。けれど、今日は扉に手をかけなかった。卒業式の余韻が、まだ心の中に残っていた。友達と過ごした時間、後輩達からもらった花束、彼からもらった第二ボタン、この余韻に浸りながら帰ろう。
また今度、来ればいいか。そう思える事が、何故かちょっと嬉しい。春菜は、喫茶店に背を向けた。駅への道は、いつもの街並みが続いている。
不安はまだある。彼氏と離れて過ごす事も、大学で新しい生活を始める事も、きっと簡単じゃないだろうけど。それでも、少しずつ考えて、少しずつ前向いて進んでいいこう。
春菜は、いつもの帰り道を歩き出した。制服を着て帰る、最後の日。春を待つ季節が、静かに終わろうとしていた。
本作品を読んでいただきありがとうございます。無事卒業式を終えた春菜がこれからどうなるのか次回作をお待ちください。(店主が出て来て無い事に書き終えてから気付きました。)




