第6話『獲得』
翌朝になった。実験開始からだいたい二日経過したことになる。白い部屋の中で話し合いは続いているようだった。
「つまり、ここは何かの施設で、私たちは非合法な人体実験に参加させられているんです」
高松が身振り手振りで状況を説明しようとしているが、牧野には伝わらない。身体を動かすたびに骨は軋み、音を立てていた。
「おっさん、落ち着けよ。あと、なんか臭うからよ」
「牧野さんは前から鼻はいいんですか」
「普通だと思うぜ。ただ、この部屋は独特な感じだろ」
「まあ、多少は。嫌な匂いではないですが。それ以外にはなにか」
「特にはないな。強いて言うならオッサンかな」
「それは私の身体に変化があるということかい? 確かに内臓の調子が少し活発な気はするんですが。見た目には……」
「そうじゃなくて、うまく言葉にできないんだけど、さっきまでオッサンって感じだったのに、今は……なんつうか、人間なんだなって」
「ちょっと何言ってるか分からないですね」
牧野の様子が少し変だった。
「博士、牧野の様子が。これはもしかして」
「ええ、性別認知の優先度が下がっているわ。薬の効果が出てきたみたいね」
「このあと、第二性への分化が始まるんですね」
「そうとも限らないわ。高松はきっと第二性を獲得し始めているわ」
「根拠はなんですか」
「勘よ」
「それ、科学じゃないですよ」
博士の言うとおり、第二性を獲得している可能性は十分にある。これまでの予測では、ベータ化すると認知改善と生殖機能の再構築が並行して進み、その後に第二性を獲得するはずだった。
しかし、高松は認知改善がほとんど進んでいないにもかかわらず、身体の数値だけが大きく変化している。認知と身体の変化には個体差があるということだろうか。牧野との違いは何なのか。
思考を巡らせていたとき、叫び声が聞こえてきた。
「なあ、おい。そろそろいいだろ。結論は出た。オレたちで人体実験をしてるんだろ。それも非合法な」
「私たちの身体にいま何が起こってるんですか。説明してください」
「そうだ! これ以上何があるっていうんだ」
ぶつりと思考の糸が切れ、現実に引き戻された。
私は操作盤の通話ボタンを押す。こういった反応をするのは無理もないが、理由を自覚していないのは滑稽だ。
「少し黙りなさい」
スピーカーから博士の声が流れる。
「いい推理ですね。ぎりぎり、落第は免れるくらいの点数だけど。正解を見つけたと思うと、そこで思考が止まるのは変わらないのね。順次さん」
高松は驚いたように顔を上げた。
「まさか、美子なのか? そうだろ、美子!」
「お久しぶりです。順次さん」
高松はスピーカーを見上げたまま、しばらく言葉を失っていた。
「これは君の研究なのか。だとしたら、認知改善薬を使ったのか」
「それも含まれているわ」
高松は眉を寄せた。
「複数の薬剤を混ぜた新薬。それも臨床試験の段階で、未知の効果が出た。それを確認するために私たちを使って――」
「順次さん、本当に変わらないのね。状況は理解できても、どうしてあなたなのか、考えたことあるかしら?」
「私が最適な被験者だっただけだろ」
「ふふ、本当に変わらないわね」
「美子? 君はいつもそうやって言葉を濁す。ちゃんと話し合おう。いつもみたいに私が言語化してあげるから」
「昔の男ってろくでもないわ」
「その話が、いま何の関係があるんだ」
警告音が鳴る。モニターは赤く光っていた。
「博士、始まったみたいです」
牧野の脳波が急激に変化していた。心拍数も上昇している。体温の変化はなく、ベータ化の発熱とは明らかに違う。牧野は自分の胸元を掴んだ。
「なんだ、これ」
「牧野くん?」
「オッサン、来るな。黙ってくれ」
「どうしたんだ」
「黙れって!」
牧野が怒鳴る。自分が何をしているのか分かっていないようだ。ただ鼻をひくつかせ、高松に視線を向ける。そして逸らす。
「博士、ホルモン値が」
「この数値、第二性を獲得したわね」
「アルファですか」
博士は頷く。
私は牧野の身体データを確認した。ベータ化のときとは違い、目立った身体構造の変化はない。
「外見上の変化はほとんどありません。本能に関係する領域だけが大幅に活性化しています」
「予想どおりね。男性アルファは既存の身体をほとんど維持したまま、本能だけを獲得する」
「おい! さっきから何の話をしてるんだ! アルファってなんだよ」
私はマイクに向かって喋りかける。
「牧野くん、おめでとうございます」
「なにが」
「あなたは新しい性を獲得しました」
牧野の口は半開きのまま固まっている。
「……なにを言っているんですか?」
高松が眉をひくつかせながら尋ねた。
「剛くん、クマノミの映画覚えてるよね」
「クマノミ? それがどういう関係なんだ」
「クマノミは、群れの状況に応じて生殖の役割を変えることがあるんです」
高松の表情が変わる。私の言葉で察したようだ。
「私たちの新薬『ラブロマンスエキス』は、人間にも同じことを可能にします」
高松は自分の身体を見下ろした。
「軋む骨。平らになった腹。活発に動く内臓の音……」
牧野が自分の匂いに反応した理由も、ようやく結びついたのだろう。
「牧野さんが……アルファ」
「はい」
高松の顔から血の気が引いていく。震える手で、自分の腹に触れた。
「じゃあ、私は……その相方?」
博士が笑った。
「正解よ。順次さん」




