第31話『逃亡3』
東邦ファーマの研究員。あの女たちの仲間。
跳ね上がった心臓が落ち着きを取り戻すことはなかった。
「といっても、元だけどな。辞めたのは10年以上前だ」
「中世古さん、ぼくは聞いてません。大手の製薬会社に勤めていたとしか」
「言ってないからな」
白石は振り返って私を見た。
「中世古、お前も研究に関わっていたのか」
「いや、俺は違う。俺がやってたのはもっとまともだ」
「どうせ、ろくな研究じゃないんだろ」
「間違っちゃいない」
「白石。この男はやはり信用できない」
「で、でも」
私はドアに手をかけた。ここから飛び出せば逃げられる。
だが、白石を置いてはいけない。
考えがまとまらないまま、車が進み続ける。
「落ち着け。お前たちを害するつもりはない。話を聞け」
「東邦ファーマの人間だった。それで終わりだろ」
「高松さん。一度、話を聞いてみませんか。東邦ファーマにいたことは、黙っていれば僕たちにはわからなかったはずです。それを自分から話したんですから」
「……それはそうだな」
白石の言うことはもっともだ。どうにも疑心暗鬼になっていた。ドアから手を離して膝の上に置いた。
「話を聞く気になったか」
「ああ」
「お前たちを助けたのは、ただの善意に近い。興味がなかったと言えば嘘になるがな。俺が医者だって話は聞いているだろ」
「闇医者と……」
「間違っちゃいない。人助けのためなら、法くらいは簡単に破る」
「それで、私たちを助ける目的は」
「俺は東邦ファーマで手を汚しすぎた。その償いみたいなもんだ」
「償いなら、直接被害者にすればいい」
中世古は黙った。新しいたばこに火をつけて一服した。
吐き出した煙に混じった息の音はどこか重かった。
「みんな、死んだ」
「えっ……」
驚きの声を上げたのは白石だった。こんな話は聞かされていなかったのだろう。
「俺がやっていたのは、脳に関する研究だ。薬物を投与して、その経過を観察する。最終的にはみんな、廃人になったよ」
「人でなしだな」
「結果を出せずに、俺はお払い箱さ。何も残せず、ただ命を奪い続けた。何もかもなくなって後悔したよ」
「それで、人助けをしているのか」
「死んだ連中には何の足しにもならんがな」
中世古が窓を少し開けた。煙が外へと流れていく。
「自己満足だな」
「違いない。お前たちを助けるのも、俺のためだ」
この男に救われたところで、死んだ人間は戻らない。この男がしたことを許す気にもなれないが、ほかに頼れる相手もいない。
*
中世古が運営しているという診療所にたどり着いた。
デザインはかなり古いが、清潔感だけはあった。
中に案内されると消毒液の匂いが鼻を刺した。身体がこわばった。
「高松さん、どうかしましたか」
「大丈夫だ」
「ほら、早くしろ。こっちだ」
中世古の後についていくと、診察室があった。
丸椅子の上に座らせられて、外傷を確認される。私の場合は特に足がひどいようだった。
足の指に力が入っていくのがわかる。ただ、消毒されるだけなのに震えてしまう。
私の様子を気にすることなく、中世古は治療を続けた。白石も同じように治療をしてもらった。
私の手の傷を確認していた中世古が、手首に目を留めた。
「そのチップは研究所で入れられたものか」
「ああ」
中世古が私の手をつかむと、スーパーのレジで使うスキャナーのような機械を手首に押し当てた。
先端から光が流れた。机の脇にある画面に文字が表示された。
「やっぱりな。形状は変わってるが同じだ」
「あの、一体何を」
「お前に入れられているのは、研究所の監視用のチップだ。俺のいた頃にも似たようなもんはあった」
「監視用?」
「身体の状態と位置情報を送る。認証に使わなくても勝手にな」
「待て。それなら、どうして山では追いつかれなかったんだ」
「山の中には受信装置がないからな。いくら信号を送っても届かないんじゃ意味がない」
「じゃあ、いまは送られているんですか」
「動いてるな。東邦ファーマを含む、関連企業の製品には受信装置がついている。この診療室にもな」
「なんてことだ」
中世古は白石の手首にも機械を押し当てた。
「白石君のは普通の認証用だな。監視機能はついていない」
画面を確認すると、中世古は機械を置いた。
「手を出せ。チップを焼き切る」
「焼く以外に方法はないんですか」
白石が続けて言う。
「ここには設備もあります。摘出すれば、神経や血管への損傷も抑えられると思うんです」
「時間がない」
中世古は私の手首に目を落とした。
「こいつは認証用のチップに、生体情報を拾う細かい電極がついている。時間があれば、周囲を傷つけないよう慎重に取り出せるが、今は通信機を潰すのが最優先だ」
中世古は近くにある機械のボタンを押した。準備を始めたようだ。
猶予のない状況ではあるが、私はまた他人に自分の身体を傷つけられることが怖かった。
頭ではわかっていても、身体や心が受け付けないのだ。
「ほら、準備できたぞ。腕を出せ」
そう言われても、差し出す勇気がなかった。
今の自分が普通ではないとわかる。それでも、中世古に身体を任せて、さらにひどい目にあうのではないか。そんな猜疑心が私を押しとどめている。
「高松さん、大丈夫です。中世古さんは、僕たちを助けるつもりなんですよ」
「それはわかっているが、待ってほしい。時間がないのもわかっている」
「そんな猶予はない。すぐに奴らはここを突き止めて、やってくる。そうなったときに、どうなるかはわかるだろ」
「わかっている!」
自分が大声を出したことに驚いた。
中世古はあきれていた。白石の顔をうかがうと、何かを決意したようだった。
「僕から先にお願いします」
「白石君は必要ないだろ」
「いえ、誤って生体認証を使うかもしれないので、潰してください。逃亡生活の中でリスクは減らすべきです」
「いいのか、それで」
「待て、白石がそこまでする必要はない」
「大丈夫ですよ。これくらいどうということはありません」
「いや、違う。自分を傷つける必要はないじゃないか」
「高松さん。今度は僕を信じてください」
白石がうなずくと、中世古は棒状の機械を手に取った。先には細長い針のようなものがついている。
「かなり熱いが我慢しろ」
針のようなものが白石の手首に突き刺さる。白石がうめき声を上げた。声を漏らすまいと片手で口を塞いだ。
肉の焦げる匂いがした。白石は眉を寄せ、目を固く閉じていた。
「よし、終わりだ」
白石の手首にはやけどの跡ができていた。
中世古は手首の手当てをして包帯を巻いた。
「ほら、高松さん。大丈夫ですよ」
「ありがとう。白石」
私は中世古に向かって腕を差し出した。
指先はまだ震えていた。だが、腕を引っ込めようとは思わなかった。
「じゃあ、いくぞ」
すぐに私の腕にも白石と同じやけどの跡ができた。




