第28話『出口3』
それからは誰も喋らなかった。隔壁が閉じられたためか視界はクリアになって随分と歩きやすくなっていた。私だけ裸足のせいか、ひたひたと張り付くような音が耳の中に残っている。
この先にある資材搬入口からようやく外に出ることができる。あの夜と同じように、海野が私の前を歩いている。ただし、今度は研究所の外へ連れ出すためだ。
通路の奥にある大きなエレベーターの前で立ち止まり、海野が腕をかざすとドアが開いて三人で乗り込んだ。
私はパネルにある1階のボタンを押すと、扉がゆっくりと閉まっていく。しかし、待てどエレベーターは動く気配がなかった。海野がすかさず手首をパネルにかざすと、エレベーターは動き始めた。
「さて、1階に着いたらあとは自由に逃げてください。私は何もしません」
「それでいい。君は研究所にもどって、研究を続けるといい」
「白石も一緒に行くってことでいい?」
「……はい」
「そう、じゃあ、実験データを貰っても」
白石は白衣のポケットから記録デバイスを取り出すと、海野に手渡した。
「ついでに、そのナイフを貰っても。施設のものは持ち出し禁止です」
「ああ、そうですね」
「ば、白石、何をしている」
ナイフを受け取った海野はすぐに白石の腕を掴んでそのまま背中に回し込んだ。悲鳴とともに白石は抑え込まれてしまった。首元にはナイフが突きつけられていた。
「白石。私のお願い聞いてもらえますか」
「うっ、お願いって、なんですか」
「私に危害を加えてほしいんです。殴るでも刺すでもいいけど、お腹だけはやめてください」
「いやです。僕はそんな人間にはなりたくないです」
エレベーターは上昇を続けている。扉の上に並ぶランプは、現在の階層を示しているのだろう。上昇するにつれて、点灯する数が増えていく。
地上に着いても扉を開けられるのは海野だけだ。
「高松さん、助けてください」
衰えているとはいえ、海野一人なら抑え込める自信はあった。
仮に白石を助けようとすれば、海野は白石にナイフを突き立てるだろう。そうなれば、負傷した白石を連れて逃げ伸びるのは先の見えないこの状況では危険すぎる。
すでに私の中には一人で逃げる選択肢はなくなっていた。
海野自身もここで私たちを始末するにはリスクが高いのだろう。おそらく、このようなことを言いだしたのは、冨永に向けての保身のためだと思われる。
じゃあ、どうして白石に頼む。私に頼めば済む話じゃないのか。
「白石。まだあなたは何も差し出していないんです」
「何の話ですか」
「なにかを得るには大切な物を奪われないと釣り合いがとれないということですよ」
「わからないですよ。それは必要なことですか」
「ぐだぐだと話している時間はありますか。長引くほど、逃げる時間が減るだけですよ」
冨永と同じで合理的な答えは存在するはずもない。海野の理屈を押し通したいだけなのだ。それに白石が巻き込まれてしまった。
この中では白石だけが、あの部屋の白さと同じように汚れていないままで、それが海野にとって最も気に食わないことなのだろう。
ついに、エレベーターは小さく揺れて停止したが、私にはどうすることもできなかった。
「あ、止まりましたね。どうしますか、あなたのせいで高松は実験動物に逆戻りですよ」
「違う」
白石が声を荒げると同時に、腕を振りほどき、そのまま海野を押し倒した。海野の手にはナイフが握られたままだが、抵抗する気がないように両腕を広げている。
「やらないの?」
海野はこの状況に慣れているかのように落ち着きを見せているにもかかわらず、目には力がなかった。対する白石は拳を振り下ろせないままでいた。
私にできることがあるとすれば、彼と共に罪を被ることだけだった。
「なあ、海野。どうして白石は、冨永に殴られたんだ」
「余計なことをしたからですよ」
「1回目はな。ただ、2回目は違う。冨永は白石が濡れ衣を着せられたと言っていた。なら、誰かが意図的に白石を嵌めたことになる」
「さあ、どうなんでしょうか」
「君がその誰かなんじゃないかと疑っている」
「私がやったと思ってますか」
「君なら動機も、今の状況から説明はつきそうな気がしている」
海野は私の意図を汲み取ってくれるのだろうか。酷いことをしている自覚はあるが、解決策はこれ以外には考えられなかった。
「そうですね。その通りです」
「嘘ですよね、海野博士」
「私たちが冨永の気を逸らすために、白石を売りました。研究資料の一部と高松の身体のCT付きでね」
淡々と語り続ける。
「九条家はすごいですよね。ちょっとしたことでも筒抜けになってしまうのですから。おかげで、冨永は上手く動いてくれましたよ」
「海野博士、あなたは人間じゃないですよ。人がこんな非道なことをできるはずはない」
「気がつくのが遅いんですよ。こんな研究をしているにもかかわらず、分からないふりをしているからこんな目に遭う」
「違う、僕はただ、当たり前のことをしているだけだ」
「ここにいる以上は、白石も同じ。私と同じ人間ですよ」
白石の悲鳴にも似た怒号と共に拳が振り下ろされた。海野の頭が横に振れ、そのまま動かなくなった。
息を荒げる白石の肩に手を置いた。
「大丈夫だ。私も同罪だ」
私の手の上に白石が手を重ねる。私と白石に初めから違いなんてなかったのだ。
倒れている海野を引きずり、手首をエレベーターのパネルに押し当てると、重苦しい扉は開いた。
私たちは振り返ることなく走り始めた。
2部完結です。
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