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第27話『出口2』

 白石が海野にナイフを突きつけたまま移動を始める。救護室の外に出ても目に入るのは白い通路で、入り組んでいるように感じる。初めて通る場所のせいもあるはずだが、ただ白さを追求したような不気味さを感じていた。


 早足で移動する中ですれ違うスタッフたちのどよめきが聞こえてくる。あらゆる年齢、あらゆる人種の研究員らしき人たちが私たちを見ている。私を楽しげに見ていたくせに、いまではぜんぜん違う顔をしている。いい気味だと心のなかで呟いた時に、私の奥底に引っかかっていたものの正体が分かったような気がした。


「ただいま、館内において、刃物を所持した職員が、別の職員一名を連れて移動しているとの情報があります。職員の皆さんは、扉を閉めてその場で待機してください」


 館内放送が流れた。あと少しで上階から警備員がやってくる。


 駆け足でいくつかの扉を抜けたあと、通路の途中にある部屋へと入っていく。その部屋にはいくつもの計測器とモニターが設置されていた。どこか見覚えのある光景だった。


 海野が椅子に座るとパネルを操作し始めた。スイッチを入れるような音とともに明かりがついて、あの忌々しい白い部屋が目の前に現れた。


「ここで、ラブロマンスエキスを散布してバイオハザードを起こします」

「え、海野博士。この部屋って密閉されているんじゃないんですか」

「換気口や空調設備は施設内で共通なの。普段は散布するときだけ密閉されるようになっているけど、いまはその機能を解除してあるわ」

「なんだか、ちょっと危ない気がするんですけど」

「いいじゃない、そのおかげであなたたちは逃げられるんだから」


 この部屋の中で海野と美子は私たちを観察していたのだ。あれから、2ヶ月程度の時間が過ぎていて、今度は私がこの研究所に悪趣味な薬を撒き散らそうとしているのだ。私たちの身体を勝手に変えた研究所が、今度は自分たちの薬に脅かされる。因果応報というやつだろう。


 そういえば、牧野はいまも捕まったままなのか。本当なら、牧野も一緒に逃げ出せればよかった。彼もまた私と同じ被害者なのだから、申し訳なさを打ち消すように拳を強く握り締めた。


「準備できた。白石、ボタンを押しなさい」

「どうして、海野博士が押せばいいじゃないですか」

「私が押したら、あとで協力的だったことがバレて大変な目に遭うと思うのだけど」


 海野は腫れた頬に手を当てながら言った。白石の手は震えており、助けを求めるように私の方を向いてきた。


「ここで言い争っている暇はないだろう」


 私は海野が指さしているボタンに向かって手を伸ばし、力を込めた。奥まで押し込むと、あの白い部屋の中にピンク色のガスのようなものが充満していく。いままで見たどんな桃色よりも鮮やかな色彩に目を奪われてしまった。人工的でありながら、自然界に存在するどんな色よりも美しく感じられる。一言で表すのなら、愛そのものだ。この光景を目にしたのなら、あんな馬鹿馬鹿しい名前をつけたのにも納得せざるを得ない。


 部屋の天井から桃色のガスがゆっくりと降り注いでくる。私たちが初めてこのガスを浴びたときの姿を、この場で見ていたのなら、どれほど神秘的な光景だっただろうか。そんな妄想を打ち消すように、館内に警報音が鳴り、赤いランプが点滅し始めた。


 私たちは顔を見合わせて頷いた。すぐに廊下に出ると視界は桃色に染まっていた。海野と白石の声を頼りに移動を再開する。


「高松さん、こっちです。早くしないと隔壁が閉まってしまいます」

「分かっている」


 そうはいっても、視界が悪いうえに目印もない状況では、ついていくのは困難を極めていた。しだいに、研究室から出てきた職員たちの慌てたような声もまじり始める。誰かに手を掴まれた。


「早くして、あと1分しかない」


 海野が私の手を引っ張りながら走り始める。足がもつれ、うまく走ることができない。それでも置いていかれまいと、足に力を込める。角をいくつか曲がった頃、息が上がって喉を刺すような痛みが襲ってくるが、それでも走り続けるしかなかった。


「高松さん、こっちです。早くしてください」


 数メートル先の隔壁の向こうから白石が手を振りながら声を上げていた。すでに扉はゆっくりと閉じ始めており、桃色のガスが吸い込まれるように流れていた。海野が私の手を引っ張る力が強くなり、それに応えるために最後の力を振り絞った。閉まりかけの扉の隙間を縫うように私は奥へと滑り込んでいった。


 荒れた息を整えるように壁にもたれかかる。こんなにも身体を動かしたのは久しぶりだったから、足が震えていた。不思議と笑いが漏れてしまう。


「高松さん、大丈夫ですか」

「心配はいらない。大丈夫だ」


 あれだけ走ったにもかかわらず、海野は息一つ乱れていないようだった。大丈夫と声をかけてくるわけでもなく、無言で私の呼吸が落ち着くのを待ってくれているようだった。大きく息を吸い込んで、背筋を伸ばし、立ち上がった。


「いこう」

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