第25話『脅迫2』
鋭い一刺しだった。硬い殻の隙間から刃物を差し込まれて、一瞬で私の欺瞞が露呈してしまったのだ。白衣の下に隠れた肌に鳥肌が立っている。何事もなかったように振る舞わなければいけなかったのに、右手で左肘を掴んでしまっていた。
私はこの男を侮っていた。あんなにも簡単に拉致されて実験されるようなヤツで、博士にひどいことをした人物だったからだ。
いま、改めて考えるとそれは間違っていた。あの博士と付き合える人物だったということは、ただ者ではないという前提が抜け落ちていた。
「博士に隠し事なんてしていません」
「無理があるだろう。いまも、私の目を見て話せていないじゃないか。その反応を見て確信したよ。うん、間違いない」
「嫌がらせをしたいんですか」
「否定はしないが、それは本題ではないよ」
「じゃあ、なんなんですか」
「交渉だよ。お互いに良い結果を生むためのね」
高松の言葉に、思わず口元が歪んだ。それを見た高松は笑っていた。
「交渉というのは、対等な立場である必要があると思うのですが」
「拒否するなら、白石に君の秘密を美子に話して貰おうと思っている」
「別に、問題はありません」
「不妊なんだろ。それが、オメガになれば治ると思っている。違うか」
両手を強く握って、私は高松に背を向けてしまった。
分かっていた。そんなものはとっくに分かっていたことだった。
だけど、それを認めてしまうことはできなかった。人類救済とか都合の良い言葉で見ないふりをしてきた。実験と称して自分の欲望を包み隠したつもりだった。
それなのに、高松に言い当てられてしまった。この気持ちは博士に対して明確な裏切りなんだと、分からせられてしまった。
私だけ子どもを授かれるかも知れないなんて、そんなことを思ってしまったからこんな目に遭ってしまったのだろうか。
博士への後ろめたさも、高松への怒りもどうしていいか分からなかった。
「それで、交渉する気になってくれましたか」
「……脅迫じゃないですか」
「美子とは日常会話だったんだがね」
背中から聞こえてくるのは、楽しそうな笑い声だった。頭の切れる男だが、悪趣味だった。私は白衣の袖で顔を拭うと高松を睨みつけた。
「私の要求は一つだけだ。ここから出してほしい」
「それは無理です。私一人では対処できない問題があります」
「まあ、そこは私も白石も協力しよう」
「そういう話ではなくて、私が冨永に殺されてしまうってわかりませんか」
「白石、今だ」
背後から人の気配がしたかと思うと、首元に硬く尖ったものを押し付けられた。冷たさがはっきりと伝わってきた。
首をゆっくりと回して後ろを見ると、ひどく顔が腫れている男が静かに立っていた。
「これなら問題ないだろう。君は私たちに脅されて仕方なくやった」
「ねえ、白石。こんなの間違ってるよ」
「海野博士。僕のことはどうでも良かったんですか」
「そんなことない。あとで、ちゃんと話すつもりだった」
押し当てられている何かが首の皮膚にゆっくりと力をかけていくのが分かった。
「僕が怪我をしていたのは知っていましたよね。それなのに心配の一つもしてくれないのはどういうことなんですか」
「白石、落ち着くんだ。君はフリだけでいい。誰かを傷つける必要はないんだ」
「分かっています。海野博士を殺そうなんて思ってはいません。ただ、どうして助けてくれなかったのかっていう気持ちが抑えられなくて。すみません」
「助けられなかったのは、ごめんなさい。私も冨永に殴られてしまって、どうしようもなかった」
あのタイミングで白石は必要だったから守ろうとはしていたのだ。その時の残念な気持ちを込めるように声色を変えて謝罪をした。
高松は私の後ろにいる白石に向かって頷いた。
「海野。協力する気にはなったか」
「それは、どうでしょうか」
「もし、私たちが脱出することに成功すれば、白石の持っている実験結果を渡す。不妊モデルラットの生殖機能がどう変化したか、記録されている」
「海野博士。結果は出ています」
ここで従ったところで、冨永に危害を加えられる可能性が上がるだけだろう。白石には私を殺すようなことはできるはずもない。この脅しは意味を持ってはいない。なら、やり過ごしてしまえばいい。
「あと、実験に使ったラットは高松さんに言われて、もう処分しています」
ため息が漏れる。
実験をやり直せばいい。そう考えても、すでに出ているという結果が頭から離れなかった。
私の身体でも子どもを産めるかもしれない。その答えを、もう一度待つ気にはなれなかった。
彼らの思惑をうまく利用して、結果を手に入れるしかない。両手を上げて降伏のポーズをとる。
「いいですよ。脱出の手伝いと実験データの交換で手を打ちましょう。ただ、条件が一つだけあります」
「条件だと」
「脱出する時に白石にお願いしたいことがあるんですけど」
「お願いですか、それはなんですか」
「その時が来たら話します。それが条件です」
「言っておくが、無茶なお願いは聞くことができないぞ。二人が安全に脱出することがこちらの目的だからな」
「ああ、大丈夫です。二人に危害が加わるようなことはないですから」
私は右手を高松の前に差し出した。握手を求めるように視線を送った。
「まあ、良いだろう」
そう言うと、私の手を握り返してきた。
「それで、具体的な計画はありますか」
「研究棟で、君たちの作ったラブロマンスエキスを拡散させてバイオハザードを起こす。そして、非常用エレベータから脱出する」
高松という男は嘘か本当か分からないような、馬鹿らしいプランを挙げてきたので思わず笑いそうになった。
いや、高松の状況で考えられる最高のプランがこれだったというわけだ。
「それなら、私にいいアイディアがあるんですけど」




