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第21話『覚悟』

「それで、高松さん。いま、近くの山に隕石が落ちたってニュースになっているんですよ」

「隕石?」

「山の一部が凹んでいて、焼け跡もすごいんですよ」

「そうなのか」

「あれ、そんなに興味ないですか。気晴らしくらいにはなるかなと思ったんですけど」


 隕石が落ちたなんてどうでもいい。むしろ、なぜここに落ちなかったのかと恨みたくなる気持ちのほうが強かった。

 こっちは、全てが台無しどころの騒ぎではない。海野に私が逃げようとしていることがバレてしまった。すでに監視の目は厳しくなっていると考えたほうがいいし、白石にも迂闊なことは喋れない。


「じゃあ、牧野さんの話はどうですか」

「牧野か」


 その名前を聞いたときに無意識に鼻をこすっていた。あの香りはここにはないはずだが、忘れられないくらい記憶には残っていた。


「元気でしたよ」

「相変わらず、威勢がいい感じだろ」

「いえ、そんな風じゃなくて、落ち着いた感じの方ですよ」

「落ち着いている? なにか薬を飲ませているのか」

「抑制剤は打っていますけど、じゃあ、その効果でしょうか。ちょっと気になるので今度、聞いてみますね」


 いや、おかしい。あれは、アルファやオメガの本能を抑制する薬と聞いているし、私も抑制剤を打っているが、この内側にある泥のようなものは収まることを知らない。

 以前の私はもっと落ち着いていたはずだ。つまり、身体の変化に伴って精神が変調したということかも知れない。

 ああ、無意味なことを考えてしまう。いくら理屈を考えたところで、答えを知ることはないのだろう。思考を遮るため、口を開いた。


「それで、牧野はなにか言っていたか」

「あんまり、自分からは喋らないですよ。僕が話しかけても『そうか』とか、ほとんど相槌しか打ちませんから」

「暴言を吐いたり、手を出したりすることは」

「ないですね。研究にも協力的ですし……強いて言うなら、海野博士に伝言を預かったくらいですかね」

「それは一体どんな」

「流石に言えないですよ。プライベートな内容なんで」

「じゃあ、雰囲気だけ、どんなニュアンスなんだ」

「例えるのが難しいのですが、懺悔しているような重さがありました」

「重いか」


 あの牧野が大人しいというのはどうも印象がズレている。

 だめだ、私はもう駄目だ。いままで人間観察というべきか、相手の行動や心理を観察するのは得意だったはずなのに、白石も牧野も全然違っている。美子ですらどうして、私をこんな目に遭わせたのかは未だにわからない。復讐にしては度が過ぎている。


「白石くん。一つ聞いておきたいことがあるんだが」

「はい、なんでしょうか」

「君は私がもう安全だと言っていたけど、それはどう安全なんだ」

「多分ですけど、配慮はされるはずですよ。非道な扱いはされないはずです」

「……もう少し自由がほしいんだが、掛け合ってもらうことは可能か」

「あー、そうですね。海野博士に相談してみますね」

「あ、それと……」


 扉が開く電子音と共に中にスーツ姿の男が入ってきた。見た感じでは研究所の職員ではなさそうだった。

 私の視線を追うように白石が振り返るが、すぐに後ずさりを始めた。明らかに様子がおかしい。


「白石さんですよね。冨永です。覚えていますよね」

「あ、はい。覚えています」

「なんで、私がここにいるか分かりますか」

「高松さんの様子を見にきたんですか」

「違います」

「研究室の見学とかですか」

「いいえ。心当たりはありませんか」

「海野博士にお願いしたのが駄目だったのでしょうか。でも、今度はちゃんと手順は踏んだはずです」

「嘘をついている感じはしませんね」


 白石の怯えようを見るに、この男が白石に暴力を振るった冨永という男で間違いなさそうだ。対して冨永は冷静だが、白石の様子を観察し、近づきながら圧力もかけていた。


「あの、一体、どうして、今回は何もしてないですよ」

「あなたは濡れ衣を着せられたのだと思います。誰に着せられたかを考えないのであれば、それは主人のおっしゃる無知に当たるのでしょうね」

「濡れ衣って、誰にですか、ちゃんと分かるように説明していただけないですか」

「ええ、わかりました」


 そう言った矢先のことだった。白石がうめき声を上げ、床に膝をついた。


「人と獣の違いについて考えたことはありますか」


 暴力を振るっているにもかかわらず、目の前の男は哲学を語りだした。

 この部屋に入ってきてから、一つ一つの所作が綺麗だった。

 先程の一撃は見えなかったが、今度は蹴り上げた足が白石の腹にめり込むのが見えた。足を引く動作すら機能的に見える。洗練されている。


「力を持つものが勝つというのが、世界の理屈です。獣は本能のままに、衝動に身を任せて、弱者を狩るのです」


 冨永はスーツのジャケットを脱ぎ、丁寧に折りたたんで床の上に置いた。


「人間は違います。理性的に本能を制御し、機能としての暴力を使います。いま、私がやっていることです」

「なに、言ってるんですか」

「白石さん。あなたは獣と同じなんです。自分の正しさを通すために力を使った。それは何も生み出さない。だから、私は教訓を与えましたが、理解はしてもらえませんでしたね」


 うずくまる白石の脇腹に、もう一撃が入る。横転して、唾液と苦痛の声が漏れ始めた。

 冨永はシステムのように淡々としている。私はガラスを思い切り叩いた。


「おい、やめろ。そんなことしてなにになるんだ」


 冨永は私の声には反応せず、白石の首根っこを掴んで無理やり起き上がらせる。足取りのおぼつかない白石にまた一発叩き込む。


「そして、付け入る隙を与えてしまった。これは致命的です。弱者は組織を腐らせる癌なんですよ」


 腫れた頬に執拗に拳を打ち付ける。


「おい、もうやめろ! お前は白石を殺すつもりなんだろ、ならさっさと楽にしてやればいいだろう」


 支えを失ったように白石は壁にもたれかかった。冨永は振り返り、ようやく私を見た。


「高松さん。あなたは少しは理解しているようですね。でも、わからないといった顔をしている」

「どうして、そこまでやる必要があるのか。さっき言っていた、機能的な暴力ではないじゃないか」

「あれは主人の教えです。本当に恐ろしい方で、感情さえも機能として扱われるのですから、言葉もありません」

「その主人の言いつけをなぜ守らない」

「私からの慈悲ですよ。主人が扱うシステムでは些か感情というものを軽視しすぎています。人は感情でしか動けない。理屈どおりに人が動くわけではないと、教えているだけなのです」

「じゃあ、今の状況は何だ。やってることとぜんぜん違う」

「力を振るうことが好きなんですよ。それだけです」

「主人より自分のほうが正しいと言っているようにも聞こえるが」

「おしゃべりは終わりです。ほどほどに息を抜くのが長続きのコツですから」


 このままだと、白石は確実に殺される。どうやって冨永を止めればいいのかと、思考を巡らせる。

 壁にもたれかかる瀕死の白石。床に丁寧に折りたたまれたジャケット。冨永の血まみれの拳。

 そういえば、なぜ冨永は私を見たのか。あの瞬間、何かが、彼の中の理屈に触れたのだとしたら、ロジックさえあれば止められる。


「まっ……」


 言葉を出そうとして思いとどまった。彼を言葉で止めることはできない。彼を止める唯一の方法は、機能的に振るわれる暴力だけだ。

 何度もガラスを叩いた手のひらは赤く腫れ上がっている。じんわりとした痛みが広がっていく。ここからでは、冨永に手を出すことはできない。

 できることは一つだけだった。両手をガラスにつけて身体を支えるような姿勢を取る。つばを飲み込むと、頭を思い切り打ち付けた。ガラスにヒビが入ることはない。それでも同じことを繰り返す。


「なにをしているんですか」


 ようやく、私が狂ったように頭を打ち付けていることに気がついた。まだ、やめるわけにはいかない。鈍重な音が鳴るたびに、額に鋭い痛みが走るが、気にしている余裕はない。


「死ぬ気なんですか」


 返事はしない。ただ打ち付けることで抵抗する。打ち付けた箇所には血が張り付いていた。重力に従い、血は床に流れ落ち、赤い滴が溜まっていく。


「高松さん。なにが目的ですか」

「ああ、わかるだろ。交渉さ」

「気が狂っているんですか」

「白石を殺すなら、私もこのまま死ぬ」

「勝手にしてください」

「私は貴重な実験動物だ。それが君の失態で死んでしまったら、主人に顔向けできないのではないか」


 答えは返ってこない。ならばと、思い切りガラスに頭を叩きつける。


「……本気ですか」


 私はようやく顔を上げて、冨永の目を見た。

 いまの私にはこれしかない。白石もある意味で逸脱した存在だ。失えば、おそらく脱出する手段はなくなり、実験動物のまま一生を終える。ならば、いま死んだところで違いはなかった。その覚悟をして頭を割ったのだ。


「その目、本気のようですね」

「白石に手を出すな」

「ええ、分かりました。力の理論を理解している人間は嫌いではありません」


 冨永が床に置いてあるジャケットを拾い上げ、袖に腕を通す姿を見た。白石が肩で呼吸しているのを確認した。

 そして私は床に崩れ落ちた。頭の血管が脈打つたびに意識は遠のいて、真っ暗になった。

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