第20話『裏切り2』
「白石。私のお願いしていた件だけど、そろそろレポートはできていますか」
「いえ、まだ結果が出ていません」
依頼してから1週間が過ぎているのに、結果が出ていない。それはわかる。何かしらの進捗がほしいところだ。
「そうですか。では状況報告をお願いします」
「メスのラット数匹に対して、ラブロマンスエキスを投与しました。結果として、二匹のラットがオメガになりました。現在、その二匹の観察を行っています」
「それで、元となったラットは正常ラット、不妊モデルラット、どっちなの」
「あ、すみません、実験はすべて正常ラットで試しています」
組んだ腕を握る手に、力がこもった。
「白石。オメガとなったラットの機能を調べるうえで、どうして正常なものだけ調べたのか理由を聞かせてもらえる」
「あ、すみません。僕の中では正常なものを検証して、その後に不妊モデルラットでデータを取るべきかと思っていました」
手順は正しい。ただ、この男には正しい手順を踏めるほどの時間が残されていない。冨永をここ数日見ていない。おそらく、もうオカルト誌へ送ったリーク情報を握っている。
「いまのフェーズはもっと拡大して、既往のある女性に対しても実験をすることが決まっています。つまり、想定外の反応が出るとすれば、そちらのパターンです。あと、正常ラットのデータはあるはずよ。確認して」
「あ、すみません。比較用モデルとしてのデータが優先だと思っていました。では、不妊モデルラットに関しても対応します。えっと、質問なのですが、不妊モデルラットはどのパターンを試せばよいでしょうか」
「全部よ」
「えっ、それは……分かりました」
きつい目つきで視線を送ると、白石は渋々と頷いた。
「早く行きなさい。今日中にすべてのモデルに対してラブロマンスエキスを投与しなさい」
「分かりました。あの、一つよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんよ」
「牧野さんから、伝言を預かっています」
「どうして、牧野が出てくるんですか? 何か、関係ありますか」
「あ、その。実験は性別に対応する第二性を得た時にどのような効果があるかを調べるものだと思っていましたので、牧野さんに話を聞いてきました」
この男は余計なことをする天性の才能を持っているのだと思う。冨永とは別の意味で厄介な存在だ。
「はあ。それで、伝言はなんですか」
「悪かった。だそうです」
「は? なんですかそれ」
「いえ、よくは分かりませんが、そう伝えてくれと言われましたので……えっと、じゃあ僕はこれで、実験に行ってきます」
白石にもう少し話を聞きたかったが、私情よりも実験のほうが優先だ。牧野の「悪かった」という言葉に含まれる意味は何なのだろうか。謝罪なのかすら分からない。直接、会いに行くという方法もあるが、ラブロマンスエキスを散布された人間の変化を分析するのに忙しい。
現状、街の様子に変化はない。ナイトクラブでは演出として毎日ラブロマンスエキスの散布が行われており、データを見ると推定169名の人間がすでにキャリアになっている。1ヶ月後には1000人弱。そして、徐々にベータに変化していくはずだ。
博士は現地で指揮を取っているため、私とは別行動だ。毎日増え続けるキャリアの確認作業を一人で行うのは骨が折れる。人の身体に埋め込まれたインプラントチップから送られ続けるデータを処理するのはAIを駆使しても手に余る。
現場はどうなっているのだろうかと考えてみたが、普段通りに淡々と仕事をしている博士の様子が浮かんできた。心配する必要すらなかったが、気になってしまう。会いたいわけではなくて、博士が今何をしているのかが知りたいのだ。小さくため息をついたあと、諦めたようにゆっくりと手を伸ばして、机の奥にあるスマホを手に取った。
その時だった。研究室の扉が開く音が聞こえてきたと思ったら、急に肩を強く掴まれた。振り返らなくても誰だか分かった。
「っ、はなしてもらえませんか」
「これは、なんでしょうか」
机の上に無造作に叩きつけられたのは、数枚の紙だった。コピーを取った時にできる黒ずみがあり、「古代シャーマンの神秘の秘術を東◯ファーマが再現か。男が妊娠する妙薬の真実!」という見出しが書かれたモノクロの記事だった。それと、男性の体内に子宮があるように見えるCT画像が載っていた。
「これは、雑誌の記事ですか」
「漏らしましたか。それとも事故ですか」
「どういうことですか、ちょっとわからないっ」
再び肩を強く握られた。絶対、痣になっている自信はある。ゆっくりと首を後ろに向けると、無表情の冨永の顔があった。
「これ、研究している資料ですよね。どういうことですか」
「たしかに、そうです。でも、私じゃありません」
「どうでしょうね」
「こういったことをする理由がないです」
「理由はないかもしれませんね。ですが、管理不足です」
顔に鈍い痛みが走った。拳の重さに押しのけられるように、私は床に倒れてしまった。
「で、誰がやったんですか」
「それは、調べてみないとわからないです」
「じゃあ、やってください」
床に手をついて、お腹を抱えながら立ち上がって椅子に座った。パソコンを操作して、研究室のアクセス履歴を調べ始める。CT画像のアクセス履歴を画面に表示した。
「アクセスしたのは数名です。私と博士。あとは……」
「ああ、この方ですか。腹いせのつもりでしょうか。こういうものは早めに処分するようにというのが、主の方針です」
キーボードに視線を落として、なにも喋らないようにする。まさか、殴られるなんて思ってもいなかった。余計な反感は買いたくなかった。
「犯人かどうかはわかりませんが、一旦この方で手を打ちましょう。最近、あなたの部下になったばかりのようですが、気をつけてくださいね。同じことが続くようでしたら、主人のご判断を仰ぐことになりますので」
「申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げると、視線の先にあった冨永の足は反対を向いて、やがて退出を知らせる電子音が鳴った。
私は腕を組んだまま震えが止まるのを待った。




