第14話『誕生』
スティーブがエドワードの子を出産したと報告を受けたのは、春の温かい日のことだった。報告してきたのは白石だった。彼は少しばかり熱が入った声で、早く来るようにと急かしてきた。
電話口から漏れる声を聞いた冨永は何事かと詰め寄ってきて、私と博士と冨永の三人で隣の棟の研究室に向かうことになった。博士はいつもどおりの顔つきで、冨永は無表情。私だけが嬉しそうな表情を浮かべていたが、その顔を見られたくはなかったので先頭を歩いた。
「ようこそ、小泉博士、海野博士! さあ、こっちです。来てください」
白石は私たちを出迎えると、手招きしながら奥の部屋に進んでいった。この部屋にはラブロマンスエキスで分化した生物が何匹か保管されている。ついこないだ、原液を浴びせたラットもこの部屋にいた。たくさんの動物がいる割には獣臭さは感じなかった。
「見てください、これがスティーブとエドワードの子どもたちです」
ケージの中にいるのはスティーブと呼ばれるオメガと五匹の子どもたちだった。子どもたちはスティーブに群がり口を動かしていた。
「へえ、母乳も出せるなんてね。身体がそういう風に変化するなんて意外だわ」
「ですね。本当にオメガは産める身体になったわけですね」
「白石、この子どもたちの状態を教えてくれるかしら」
博士は顔を上げて白石に向き直り、説明を求めた。なんというか、博士は極めて冷静だった。嬉しくはないのだろうかと疑ってしまう。
「はい、小泉博士。昨日の夜に産気づいて、1時間後には出産が完了しました。母子ともに健康です」
「たったの一時間で、すごいですね」
思わず感嘆の声が漏れた。
「ほかには?」
「生まれてきた子どもたちはすべて雄でした。それと……」
白石は言い淀んで、私たちの顔を見てはそらすことを繰り返して、ようやく口を開いた。
「子どもたちは全員ベータでした」
気がつけば、手で口を覆っていた。口から吐き出す息が、手のひらに生暖かい感触を告げた。生まれながらにベータということは、別種になったと言ってもいいだろう。昨今では電子チップを身体に埋め込んだりと人体の拡張を行うことは普通になってきている。
だが、これは拡張という次元ではない。根本的に違う生物になったと言っても差し支えないだろう。
「ベータというのは、なんでしょうか」
そう言ったのは冨永だった。
「ベータというのはですね、新たな器官や細胞の若返りを受け入れられる身体の土台が出来上がっている状態を指します」
「つまり、ベータとは、家の基礎が出来上がっているような状態ということですか」
「あの、海野博士、こちらの方は」
白石が冨永にゆっくりと視線を移すと、愛想のいい笑顔で冨永は答えた。
「冨永と申します。この研究の監督者になった者です」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
「小泉先生。この子どもたちは先日おっしゃっていた、アルファやオメガといった性質を投与することで、新しい器官や、従来の器官の若返りが可能になるという理解で合っていますか」
「その理解であっているわ。生まれた子どもに投与したことはないから、結果はわからないわね」
「なるほど、若返るためにはベータという状態にならなければならないのですね。その際に副作用は」
「特にはありません。一時的に発熱しますが、すぐに収まります」
冨永は私たちの言ったことを手帳に書き込んでいた。不意に、彼のペンを動かす手が止まった。
「これだけの変化があるのに、副作用が本当にないのですか。にわかには信じられない」
「冨永さん、副作用でしたらありますよ。アルファやオメガになると強い衝動が発生してしまうんです」
「衝動ですか」
「ええ、攻撃的になるといったようなことはなく、単純に性欲が強くなります。通常のラットの発情期は4〜5日の短い周期ですが、スティーブとエドワードは違います。人間のように常に発情するようになっているんです」
だれかこの男を黙らせろ。いますぐに、フグでも、エイでもいいからコイツに毒を食らわせてほしい。余計なことを喋る前になんとかしなければならない。
「常に発情ですか、それは大きな問題では」
「大丈夫、問題ありませんわ。人間は常に発情していますが、理性でそれを抑えることのできる社会的な生き物ですから。現に、被験体の牧野、高松のどちらからも、そういった副作用は確認されていませんわ」
冨永は目を少し開いて、手帳にメモを始めた。
「小泉先生。理解しましたが、やはり多少の懸念点はあります。本当に制御可能なのですか」
「では、牧野と高松を使ってさらに実験をしましょう。そうすれば次の計画までには結果が出るはずです」
「なるほど、わかりました」
さすが博士だ。この切り返しの速さと対応力に感服せざるを得なかった。私たちは嘘は言っていない。言い換えているだけだ。
「これからも、牧野さんや高松さんに対して実験を続けると言っているのですか。それはひどくないですか」
苛立ちを孕んだ声が空気を裂いた。誰もが驚きの表情で白石の顔を見ていた。
「彼は本当にここの研究員なんですか」
私も博士も口を開かない。
「冨永さん、お願いします。高松さんはもう限界なんです」
「限界であるか、そうでないかを調べるのも研究の一環ではないのですか」
冨永は手帳を閉じた。胸ポケットにペンを差し、白衣の男へ一歩近づく。
「それは、人道的ではありませ――」
偽善者の言葉を遮るように、冨永の拳が飛び出し、頬を強く叩いた。よろけた白石に向かってもう一度、さらに反対の頬へも拳が飛び、床に少量の血が飛び散った。
「や゛めて」
「経験則なのですが、こういったクズはある病にかかっています」
冨永は白石の白衣の襟を掴んだまま、拳を振り上げて見せる。白石は両肘で顔を覆っていた。突然振るわれた暴力に、私は一歩退いた。
「正しさは受け入れられない。力を持つものが権利を持つ。あなたの持っている権利は私の主人が与えたものに過ぎない。そのことをちゃんと思い出してください」
それらしい言葉を並べるだけで、なにも持っていないからこういう目に遭うのだ。頬を腫らし、目に涙を浮かべたその姿は、権利者に危害を加えようとした加害者そのものだった。
「そろそろいきましょうか」
博士がそう促すと、冨永はいつもの無表情のまま頷いた。私は白石に近づいて、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭ってやった。
「これに懲りたら、余計なことはしないほうがいいですよ」
うつむいたままだ。白石は床に飛び散った自分の血を見ている。本当にわかっているのだろうか、冨永という男の恐ろしさを。おそらく、次はないのだと思う。
「……なんで嘘ついた」
質問に答える気にもなれない。私は立ち上がり、この男のふくらはぎを蹴ってやった。見下ろすような視線を向けると、白石は目をそらした。




