第11話『九条征一郎』
九条ビルは地上四十八階。この街のランドマークともいえる。ビルの一面を覆うガラスが青空を映しているせいか、実際よりも大きく見えた。
私たちは高速エレベーターに乗り、最上階まで上がった。降りた先では、豪奢な壺や絵画が出迎えてくれる。以前、博士から聞いたことがある。この壺一つで、並の人間の生涯年収ほどの価値があるらしい。ただ、その壺は廊下にそのまま置かれ、あろうことか傘が刺さっているのである。
これから会う人間は普通ではない。私たちを支えてくれるパトロンに対してこう思うのはよくないのだろうが、一言で言えば「傲慢な老人」だ。
「失礼します」
博士はそう言いながらノックもせず、一番奥の部屋へ入った。
立派な執務机の向こうに、深い皺を刻んだ禿頭の老人が座っている。上等な着物を纏っているが、袖口から覗く指先はこわばっており、艶がない。背後の大きな窓には、彼が支配する街が広がっている。この男が九条征一郎。東邦ファーマの会長であり、私たちのパトロンだ。
「御老公、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
私が頭を下げる横で、博士は勝手に応接用のソファへ腰を下ろした。
「おお、よく来たのお。小泉博士、海野博士」
「九条様。事前にご連絡しておりましたとおり、本日は喜ばしい報告に参りました」
「ほお。聞かせてくれ」
「九条様のご指示を受けて開発した新薬の臨床実験が完了しました。その結果、人体に後天的に新たな器官を形成し、定着させられることが確認されました」
九条様は椅子に腰掛けたまま、ゆっくりと両手を叩いた。大仰な褒め方をする。投げたボールを拾ってきた犬を褒める飼い主。そんな風に見えた。
「あっはっは! 素晴らしい。さすが、儂が見込んだとおりの逸材じゃ。たった数年でよくぞここまで」
「して、どのような器官を作ったのかね」
「生物学上の男性の体内に、子宮を形成いたしました」
「ほお。子宮を、男性にかね」
顔中に刻まれた皺の深さが、九条様の驚きっぷりを表していた。
「素晴らしい。まったく、とんでもないことをしでかす。奇想天外、豪胆無比。理の外に踏み出す者でなければ、成し得ぬ偉業じゃ」
「ありがとうございます。この技術を発展させれば、人類は既存の身体的制約を超え、新たな進化を遂げることも可能です」
「うむ。儂らの目的まで、あと一歩ということじゃな」
「はい。ここまで研究を進められたのも、すべて九条様のお力添えがあってこそです」
九条様は満足そうに頷いた。
「この時代、少子化は進み、人類は増えることなく朽ちていくのみ。世界の調停者たる我が一族が、人類を救済せねばならぬ」
「はい。私も博士も、微力ながら尽力いたします」
「十二年前の戦争を終結させたのも、五年前、世界各地を襲った異常気象からの復興を指揮したのも、この儂じゃ。儂なくして、今日の人類は存在し得なかった」
長い。九条様のご機嫌取りは面倒だ。本当は呼び捨てにしたい。でも、うっかり間違えないように、頭の中でも様をつけている。
「そして、この局面でも儂が世界を導かねばならぬ。だが、時間が足りん。お主らの研究は、あとどの程度で完成する?」
「そのご説明は小泉博士から差し上げます」
博士はソファに深く腰を沈め、眠たそうに目をこすって欠伸をした。
「御老公、研究は最終段階と言っても差し支えないでしょう」
「最終とな。ほお、してなにをする」
「この街の人間に対して臨床実験を行わせていただきたく存じます」
「街ということは、対象を絞らないということかね」
「はい」
「その目的は?」
「若返りの薬を、御老公の存命中に完成させるためです」
もちろん嘘だ。私たちの目的は別にある。
「通常の手順を踏めば、御老公に若返りを提供できるまで十数年はかかるでしょう。臨床実験とは、それほど時間のかかるものです。しかし、街全体を対象にすれば、二十万人以上のデータを一度に集められます」
「この街の人口は二十数万人。随分と豪胆な最終確認じゃな」
九条様は窓の外へ目を向けた。眼下には、実験の対象になるとも知らず、大勢の人間が行き交っている。
「失敗した場合は?」
「この街だけに留めます」
「できるのかね」
博士はようやく眠そうな顔をやめた。
「そのために、御老公のお力をお借りしたいのです」
「いいじゃろう。たった街一つで完成するなら、やすいものだ」
なんでもないことのように言い放った。この街にいる二十万人以上の人間は彼の若返りを実現するためのモルモットなのだ。そこに住む人たちの生活など、あってないようなものかもしれない。とはいえ、それを提案したのは私たちだ。だが、私たちは人類の公益のために動いている。あの老人とは違う。あれはただの薄汚い私欲だ。
九条様は、博士を見定めるように目を細めた。唇をひと舐めし、子供のような笑みを浮かべる。
「小泉博士。お主、儂になにか隠しておるな」
「まさか、そのようなことはありません」
「よい。人は誰しも隠し事をする。儂もそうじゃ。ただ、隠したものが儂の邪魔をせぬ限りはな」
「私たちは人類の救済のための研究をしているだけです」
「楽しみにしておるぞ」
九条様は随分と楽しげに笑っているので、もういいだろう。
「では、九条様。具体的な計画については、後ほどご連絡差し上げます」
私たちは九条様の部屋を出て、すぐさまエレベーターに飛び乗った。隣にいる博士の顔を覗くと、化粧の一部が崩れていた。
「あのジジイ、臭いのよ」
博士は呟くように言った。




