エピローグ(蒼真)
春の匂いを乗せた風が、駅前を通り抜けていく。
駅前は、改札から流れてくる人たちの声や足音で、休日らしいざわめきに包まれていた。
改札の外、人の流れから少し離れた場所。
オレ(泉水 蒼真)はスマホをしまって顔を上げた。
「……来た!」
向こうから歩いてくるのは、見慣れた顔。
でも、どこか少しだけ大人びて見える。
漣だ。
漣はオレを見つけて駆け寄ってくる。
「待った?」
「全然。オレも今来たとこ」
ふたりで並んで歩き出す。
大学を卒業して一年。
オレは小学校の教壇に立ち、漣は絵を描きながら、少しずつ展示の機会を重ねている。
それぞれの生活が始まり、忙しさに追われる日々の中でも、こうして一緒に過ごす時間はできるだけ大切にしていた。
お互い忙しくなった。会えない日も増えた。
それでも連絡は途切れなかったし、お互いを想い合ってるって分かってるから、寂しくても不安じゃなかった。
左隣を歩く漣に聞いた。
「今日、先に展示のほう行く?」
漣は今回、教授に勧められて、何人かの作家と一緒に作品を出すことになったらしい。
そうやって少しずつ前に進んでいる漣を見るのが、オレは嬉しかった。
漣は少し申し訳なさそうに目を伏せた。
「……うん。展示、少し見てから買い物でもいい?」
「いいよ! オレも漣の作品、早く見たいし」
漣と付き合うことになったのは、卒業式の日だった。
返事はもらえないつもりで想いを伝えた。
でも漣は、返事をくれた。
それどころか、ずっと前からオレのことを好きでいてくれたと知った。
卒業式の日に返そうとした合鍵は、結局今もオレの手元にある。
でも、その鍵を返す日も近い。
離れるためじゃない。
今度は、同じ家の鍵をふたりで持つために。
この一年で、ふたりの思い出も少しずつ増えていった。
卒業旅行では、ふたりで初めて遠出した、あの観光地にもう一度行った。
美術館も、湖も、お土産屋さんも、あの頃とは少し違って見えた。
同じ場所なのに、隣にいる意味が変わっただけで景色まで新しく見えた。
信号待ちで立ち止まったとき、今なら聞ける気がした。
「なぁ」
「ん?」
「大学のときの漣の作品さ……オレとの思い出描いてたでしょ」
漣が一瞬、身構える。
「……気づいた?」
「うん。全部じゃないけど」
オレは少し照れながら続ける。
「漣がオレとの思い出を大切にしてくれてるみたいでさ、勘違いかもしれないけど……嬉しかった」
漣は照れたように目を逸らす。
「なんで今そんなこと……。恥ずかしい」
「今だから聞けるんだよ」
漣の横顔を見ながら言う。
「ずっと隣にいてくれて、ありがとう」
漣は少しだけ目を伏せてから、こちらを向いてやわらかく微笑んだ。
「俺のほうこそ。蒼真がいてくれて、よかった」
信号の向こうを見つめながら、ぽつりと言う。
「オレ、漣がどんな気持ちでずっとそばにいてくれたのか、気づくの遅すぎた」
漣はオレの袖を、そっと掴んだ。
「今こうして一緒にいるから、それでいい」
オレは笑って、その手を取った。
信号待ちのざわめきの中で、指先が自然に絡まった。
「ほんと、漣らしい」
信号が青に変わって、手を繋いだまま歩き出した。
肩が触れるほど近く。でも、無理に距離を詰めることもなく。
春の光が、ふたりの影を並べて地面に落とす。
恋人になって、変わったことはたくさんある。
でも、隣にいると落ち着くことだけは昔からずっと変わらない。
会えた日は何気ない話をして、会えない日は短いメッセージを送り合う。
そういう時間の中に、前より少しだけ『好き』が増えた。
並んで見る景色の中に『この先も一緒だ』って思える瞬間が増えた。
歩きながら漣に言う。
「今度の連休にさ」
「うん」
「また旅行行かない?」
漣は、迷わず答えた。
「行こう」
その声は静かで、確かだった。
これから先、きっと迷うし、壁にぶつかる。
それでも、オレたちはこれからも、お互いの人生の“隣の景色”であり続ける。
春風の中、ふたりの肩がそっと触れる。
同じ歩幅を探しながら、これからも漣と歩いていく。




