表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣の景色  作者: のゆ
54/55

51話 扉の向こう(漣)

 卒業制作が追い込みに入って、気づけば一月が終わろうとしていた。


 蒼真(そうま)は春から、小学校の教師として働くことが決まった。

 それに比べて俺のほうは、まだ先のことが何も見えていなかった。


 合鍵を渡してから、蒼真は何度も家に来るようになった。

 俺の部屋で課題や卒論を進めたり、夕飯を作りに来たり、特に用がなくても顔を出したり。


 疲れて帰った時に「おかえり」って言われるだけで、胸の奥がふっとやわらかくなる。

 今までも何度も泊まりに来ていたのに、鍵ひとつでこんなに感覚が変わるのかと実感する。


 こういう時間が当たり前になったらいいのに、と少しだけ思う。

 でも、一緒に住むなんてことはありえないって分かってる。

 だから、せめてこれからも蒼真にとって安心できる場所でいたいと思った。


 ***


 卒業制作展の準備で、展示室を行き来する日々が続いていた。


 搬入作業の途中、俺が作品横のキャプション位置を直していると、九条教授が俺の作品の前で足を止めた。

 しばらく黙って見つめたあと、教授はゆっくりこちらを振り向く。


篠宮(しのみや)、最近何かあったのかしら?」

「……いえ、特には」

「そう? 前より一段と色がやわらかいの。空気がほどけたっていうか……入学した頃はもっと閉じていたのよ。綺麗だけど、誰にも触らせないみたいな絵だった」


 思わず言葉に詰まる。

 自分ではそこまで変わったつもりはなかった。


「……そう、ですか」

「ええ。生活が変わったのかしら~?」

 

 教授が目を見てくる。

 九条教授の観察眼はいつも鋭い。

 言い当てられた気がして、視線を逸らした。


 教授が思い出したように言う。

「そうだ。アンタに紹介したいヤツがいるの」

「紹介、ですか……?」

「たぶんアンタと気が合うと思うのよねェ。いいかしら?」


 何のことかはよく分からなかったけれど、教授がこういう言い方をする時は大抵もう何かを決めている。


 それ以上は聞かずに、小さく頷いた。


 ***


 卒業制作展、初日。

 会場には絵画だけでなく立体作品や映像作品も並んでいて、思っていたよりも人の気配があった。

 来場者の足音や小さな話し声が、会場のあちこちから聞こえてくる。


 壁に並ぶ作品たちの前を、来場者がゆっくり歩いていく。

 自分の絵がそこにあるのを見ると、そわそわして落ち着かない。


 卒業制作として描いたのは、大きな扉と、その向こうに差し込む光だった。

 扉の周りには、これまで見てきた季節の色を重ねた。

 いつもより大きなキャンバスに、今までの思い出や感謝を少しずつ重ねていったような絵になった。

 最初からそう描こうと決めていたわけじゃない。

 でも、完成して振り返ってみると、そこに残っていた光も色も空気感も、結局は蒼真と見てきた景色ばかりだった。


 しばらくして、展示室の入り口から蒼真が入ってくるのが見えた。

 蒼真は俺を見つけるとすぐに笑って駆け寄ってきた。

(れん)!」

 その顔を見るだけで少しだけ緊張がほどけた。


「来てくれたんだ」

「当たり前だろ! 絶対見たかったし」


 そう言って、蒼真は俺の作品の前に立つ。

 しばらく黙って見ていたあと、ゆっくり息を吐いた。


「……すごい」

「……」

「なんか……今までの漣がぎゅっと詰まってる感じがする。大きくて迫力ある絵なのに、優しくて……見てると、あったかい気持ちになる」


 その言葉が、思っていた以上に嬉しかった。

「……ありがとう」

「やっぱ漣の絵、好き。漣と一緒に見られてよかった」


 そんなふうにまっすぐ言われると、さすがに落ち着かない。

 蒼真が嬉しそうに笑う。その顔が眩しくて、思わず視線を逸らした。


 ***


 蒼真と展示室を見てまわっていると、悠月(ゆづき)の作品の前に小さな人だかりができていた。


 悠月の絵画作品のタイトルは、Rebirth。

 大きなキャンバスに描かれていたのは、黒いドレスをまとい、細かな装飾が施された椅子に座る美しい人形だった。

 閉じた瞼と静かな微笑みは、祈るようにも、眠っているようにも見える。

 その人形に向かって差し出された手には、温かさや愛おしさが宿っているように感じた。

 

 蒼真と人だかりの端に立って作品を見ていると、すぐ近くに悠月と九条教授がいることに気づいた。

 九条教授は、しばらく何も言わずに作品を見つめていた。


 やがて教授が口を開く。

「……悪くないわね」

「悪くない、は最高の褒め言葉ですか? それとも最低ですか?」

 悠月がいつもの調子で返した。


 九条教授は、呆れたように笑った。

「アンタ、相変わらず噛みつくわねェ」

「褒められるのは好きですけど、曖昧なのは嫌いなんです」


 九条教授は作品から目を離さないまま、小さく息を吸った。


「本当に綺麗ね……心がこもってる」

「……」

「ヤダ……涙が出てくるじゃない……!」


 あの厳しい九条教授の頬に、涙が伝っていた。

 悠月の作品は、九条教授の心にも届いたらしい。


 悠月は目を瞬かせて、それから少しだけ肩を落とした。

「……急に素直で気持ち悪いですよ、教授」


 そう言いながらも、その顔には今まで見たことのないやわらかい笑みが浮かんでいた。


 隣で蒼真が小さく言う。

「悠月くん、嬉しそうだね!」

「……そうだな」


 悠月は、ずっと欲しかった言葉をようやくもらえたんだろうか。

 その顔を見て、なんとなくこっちまでほっとした。


 ***


 蒼真を見送ったあと、展示室に戻ると悠月がいた。

 目が合った途端、こちらに向かってくる。


「篠宮!」

「……なに」

「ボクの連絡先を教えてあげてもいいよ」


 相変わらず上から目線だ。普通に交換しようと言えばいいのに。


「俺はやり方分からないから、適当に交換しといて」


 メッセージアプリを開いたスマホを渡すと、悠月は「しょうがないな!」と満足そうに受け取った。


 悠月が俺のスマホを操作しながら、ふと手を止める。


「ねぇ篠宮。トーク一覧、二件しかないんだけど」

「だから何」

「こんなヤツ初めて見た……」


 呆れたように言ってから、さらに画面を見る。


「蒼真は保護者くんでしょ? もう一件は篠宮家って……家族グループ?」

「そうだけど」

「あっ、そう……三件に増えることを光栄に思うことだね」


 いちいち言い方に棘がある。

 悠月はスマホを俺に戻しながら続けた。


「ボクの個展が決まったら真っ先に連絡してあげる」

「ああ、楽しみにしてる」


 そう返すと、悠月は少しだけ意外そうな顔をした。


 悠月のこの上から目線な態度を見る機会も、もう多くはないのかもしれない。

 そう思うと、安堵とほんの少しの寂しさが混ざって、自然と笑みがこぼれた。


 卒業が近い。

 みんな少しずつ前に進んでいて、俺もその途中にいる。


 展示室のざわめきの中で、自分の作品をもう一度見上げる。


 ちゃんとここまで来たんだと、少しだけ思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ