46話 放っとけない人(蒼真)
――昼の休憩時間、芸術棟の奥に来た。
学園祭前だからか芸術棟は、普段の昼休みよりもどこか落ち着かなかった。
行き交う学生の足音や話し声に混ざって、開け放たれたアトリエからは絵の具や溶剤の匂いが漂ってくる。
漣を探しに、アトリエの前まで来た時だった。
近くのベンチに、ひどく疲れた様子の漣が座っていた。
昨日から着替えていないのがひと目でわかった。
壁にもたれて、上を向いたまま目を閉じていた。
「漣!」
呼ぶと、肩がぴくりと動いた。
漣は振り返って、少しだけ目を瞬かせた。
「……蒼真? どうした」
何も言わず、スマホのメッセージ画面を漣に突きつける。
一昨日の夜に送ったメッセージは、ずっと未読のままだ。
漣が「あ……」と小さく声を漏らす。
「……もしかしてさ」
一歩、近づく。
「昨日から、ずっとここ?」
ほんの一瞬、漣が視線を逸らす。
「……あぁ……うん」
「また食べるのも寝るのも忘れて作業してただろ?」
「……うん」
もう、だいたい予想はしてた。
連絡がつかない時の漣なんて、たいていろくなことになってない。
「……ちゃんと休めって、いつも言ってるだろ」
さらに近付くと、漣がびくっと肩を揺らす。
その反応を見て、言いすぎたかもと思いながらも止まらなかった。
「課題も学園祭もあって忙しいのは分かるけどさ……でも、飯も食わずに、寝もしないで……それはさすがにやりすぎだろ」
漣は少し驚いた顔のまま、ぽつりと呟く。
「……ごめん」
その一言で、行き場のない怒りみたいなものは一気にしぼんだ。
「ほんと、漣は……」
ため息をついて、漣の横に座る。
「オレがどんだけ心配してると思ってんの。お願いだから……無理はしないで」
漣は「うん」とだけ小さく言った。
それを聞いて、少しだけ肩の力が抜ける。
しばらくして、漣が立ち上がった。
「一段落したら、帰る」
「“一段落”は信用しない」
まずは何か食べさせないと。
「今から学食行こ。オレ奢るから」
「いいよ……そんな」
「だめ。そのあと、今日はちゃんと帰る。いいな?」
漣は一瞬迷ってから、ほんの少し口元を緩めた。
「……蒼真、過保護だな」
「今さら」
オレはそう言って立ち上がり、自然に漣の手首を掴む。
「ほら、行くぞ」
***
食事を終えたあと、漣は片づけをするため一度アトリエに戻った。
そのまま、また作業を始めるんじゃないかと少し心配していたけれど、漣は時間通りに待ち合わせ場所に来た。
午後のキャンパスをふたりで歩く。
漣はいつもより静かで、オレの少し後ろを歩いている。
さすがに疲れているのか、足取りもゆっくりだった。
振り返って声をかける。
「なあ、漣」
「ん」
「今日さ、このまま漣んち行くから」
漣が一瞬足を止めた。
「……なんで」
「ちゃんと寝たか確かめる!」
「そこまでしなくても帰ったらすぐ寝る」
「だめ。……だってさ、今日の漣信用ゼロだもん。オレが帰ったあと、ちょっとだけとか言ってまた作業するの目に見えてる」
漣は否定しようとして、言葉に詰まる。
「……」
「ほら、図星だろ! 布団に入るとこまで見届けて、電気消すだけ」
オレが得意げに笑うと、漣は呆れたように目を細めた。
「……親か?」
「保護者です!」
漣は小さく息を吐いてから、観念したみたいに呟く。
「……好きにしろ」
***
漣の家に着いた。
ドアを開けた瞬間、思わず眉をひそめる。
制作に追われている時期だから予想はしていたけど、想像以上の散らかり具合だった。
「……なにこの部屋」
「締め切り前はいつものことだろ」
「さすがにこれは荒れすぎ」
机の上には画材、床にはスケッチブック、ソファには脱ぎっぱなしのシャツや上着。
生活してるっていうより、制作の合間に最低限戻って来てた部屋、って感じだ。
思わずため息が出る。
「今日は片付けなくていいから、まずシャワー浴びてこい!」
漣をシャワーへ追いやる。
その間、散らかった部屋をぼんやり見回した。
漣は制作に追われると、本当に自分のことは全部後回しになるんだなと改めて思う。
しばらくして、シャワーを浴び終えた漣が出てきた。
その姿を見た瞬間、少しだけどきっとする。
いつもは目元にかかっている長い前髪が、今は分かれて額が見えていた。
今までは何も思わなかったのに、意識してからはこういうのも妙に落ち着かない。
……いや、今はそれどころじゃない!
早く寝かせないと。
「ここ座って!」
漣をソファに座らせて、濡れた髪をドライヤーで乾かしてやる。
漣の髪はさらさらしていて、指にすぐ流れていく。
変に意識しないように、ドライヤーに集中した。
髪を乾かしたあとは、ベッドを指さした。
布団を整えて、枕の位置を直して――。
「ほら、寝る!」
「……はいはい」
漣は言われるままベッドに腰を下ろす。
「……蒼真」
「なに」
「俺、子どもじゃない」
「知ってるよ」
カーテンを閉めながら言う。
「でも、オレにとっては放っとけない人」
漣が一瞬、何か言いかけてやめた。
気づかないふりをして、電気を少し暗くする。
「よし。早く横になれ!」
漣が布団に入る。
「……これで満足か」
オレはベッドの横に座って、漣を見張る。
「うん。あとは――ちゃんと目、閉じる」
「……ほんとに寝るまで見張る気か」
「もちろん」
「……ほんと、世話焼きだな」
そう言って少しだけ笑うと、漣はやっと目を閉じた。
しばらくの沈黙。
静かな部屋で、漣の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
数分後。
小声で呼んでみる。
「……漣?」
返事はない。
そっと立ち上がって、漣に毛布をかけ直す。
「ほんと……無理しすぎなんだよ」
小さく呟く。
オレは漣が居なくなったら生きていけない。
だから、もっと自分を大事にしてよ。
オレはそのまま床に座り込み、ベッドの縁に腕を乗せた。
漣の寝顔が近い。
「……今日はオレもここで寝るか」
ちゃんと寝たか見張るため。
そう言い訳して、しばらく漣の寝顔を眺めてた。




