44話 嬉しすぎて、つい(蒼真)
七月五日。今年も誕生日がきた。
昼休みの学食は、学生であふれかえっていた。
オレはテーブル席に座り、隣の奏汰と話しながら昼食を食べていた。
友達や後輩が、わざわざ席まで来て「おめでとう」って声をかけてくれる。
誕生日を覚えてもらえていることが、素直に嬉しかった。
ふと学食の入り口を見ると、漣がきょろきょろと辺りを見渡していた。
……もしかして、探してくれてる?
だとしたら、今日いちばん嬉しい瞬間が今かもしれない、って思った。
漣と目が合った瞬間、自然と笑顔になる。
オレは手を振って、声をかけた。
「漣! こっちこっち!」
漣はまっすぐこっちまで来ると、オレの横で足を止めた。
「蒼真、誕生日おめでとう。これ……」
そう言って、小さな紙袋が差し出された。
「えっ……ありがとう!」
「午後から外出るから、渡せてよかった。……じゃ」
何か用事があるのか、漣はすぐ行こうとしていた。
……てことは、この後は会えないのか。
少しでも話したくて、行こうとする漣を慌てて引き留める。
「待って! 今、開けていい?」
漣は「うん」と小さく頷いて、その場で立ち止まった。
そっと袋を開けると、中にはシンプルなペンケースが入っていた。
見た瞬間、すぐ分かった。
前に漣と一緒に文具店へ行った時、オレが手に取って迷っていたやつだ。
まさか覚えていてくれたなんて思わなかった。
「これ、欲しかったやつ……覚えてたの?」
そう聞くと、漣は少しだけ口元をゆるめて答えた。
「……うん。蒼真、それずっと見てたから」
「すげー嬉しい……!」
漣は、ほんとに優しい。オレのことをこんなふうに見ててくれるのは、たぶん漣だけだ。
何気ないことまでちゃんと見ていてくれたんだと思うと、胸の奥が一気に熱くなった。
やっぱり、大好きだ――。
その瞬間、抑えきれない何かが込み上げた。
気づいたら立ち上がって漣を抱きしめていた。
「漣、ありがとう! これで試験がんばれそう……!」
腕の中の漣は固まっているのか、ぴたりと動きを止める。
近くの席から、何人かの視線が刺さる気がした。
耳元で、漣が震えた声で言う。
「蒼真……周りに人いっぱいいる……から」
「関係ないっ! 嬉しすぎて……つい……」
そう言いながら、ようやく少しずつ思考が追いついてきた。
……あれ? オレ、今なにして……?
待て待て待て。
抱きついてる? 漣に?
学食で……たくさんの人が居る場所で?
……やば。
いや、でもさ。誕生日にプレゼントもらったら嬉しいだろ。好きな人からもらったら尚更。
……いや違う、好きっていうか親友として! 親友として嬉しいのは普通!
だからハグも普通。うん、普通。これは普通。
全然変じゃない。……普通、だよな? たぶん。
「そろそろ離して……」
漣のその一言で、はっとした。
慌てて腕の力を緩めて、おそるおそる漣を見る。
漣は、一瞬「なにしてんだよ」って顔でこちらを睨んで、気まずそうに目を逸らしていた。
少しだけ顔が赤い気がする。
近っっっ!
心臓が爆発しそうになる。
「ご、ごめん!!」
慌てて離れた。
漣が目を逸らしたまま言う。
「……そんなに喜ばれるとは思ってなかった」
「うん……めちゃくちゃ嬉しい」
「よかった……じゃあ、行くから」
「あ、うん! ありがとう!」
漣は足早に去っていった。その背中を見送ってから、オレはゆっくり席に座り直す。
隣では、奏汰がスプーンを持ったまま固まっていた。
カレーを食べる途中だったらしい。
奏汰は、目を細めて冷ややかにこちらを見た。
「……イチャイチャは家でやれ?」
「お、幼馴染で親友なら……こんなの普通じゃん……?」
言いながら、自分でも声が震えているのが分かる。
こういう時、“幼馴染”とか“親友”って言葉は便利だ。
「普通じゃねーよ!? いい加減気づけ」
そう言われて、やっぱ普通じゃないのかも……と思い始める。
奏汰は呆れたような顔で続けた。
「お前ら仲直りしたと思ったら、余計に距離感バグっててびっくりしたわ……」
すると、突然距離を詰めて言ってきた。
「てかさ、もしオレが蒼真をハグしたらどうすんの?」
奏汰に抱きしめられている自分を想像してみる。
でも、さっきみたいにドキドキしたり、あんなふうに嬉しくてたまらなくなったりはしない。
そして、ニヤニヤとこちらの反応を待っている奏汰の顔に少しイラっとした。
「……わりと本気で振り払う、かなー」
「そういうところだぞ! 今日、誕生日じゃなかったら本気でキレてた」
「た、誕生日でよかった……! てか、うそうそ! 奏汰、いつもありがとー! ハグしていいよー」
冗談っぽく身を寄せようとすると、奏汰は顔をしかめた。
「うっっざ! 無理無理」
そう言いながらも、笑ってオレの髪をくしゃくしゃと撫でてきた。
***
――帰宅後。
ドアを閉めた途端、体の力が一気に抜けた。
ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。
今日の学食でのことを思い出す。
「……やってしまった」
声が枕に吸い込まれる。
何してんだオレ。何してんだよ……ほんと。
漣からの誕生日プレゼントが嬉しくて、抱きついた。しかも、たくさん人がいる場所で。
うわああああ……。
足をばたばたさせて、枕に顔を押し付ける。
勢いって怖い。
いや違う。あれは普通に嬉しくてテンション上がっただけで。
大勢の人の前で抱きつくのは……普通じゃないな。
あの雨の日以来、漣のことを変に意識してしまって距離感分からなくなってたから……その反動。うん、きっとそうだ。
スマホを取り出して、漣とのメッセージ画面を開く。
送る? 送らない? どうする?
今日のこと謝るべきか、お礼だけにするべきか迷う。
数分迷って、結局打ち込んだ。
『今日はプレゼントありがとう』
送信。
既読がつく。
……早い。
すぐに返信が来た。
『どういたしまして』
それだけ。いつも通りの短い返事。
嫌われてはいない。たぶん。
胸の奥の緊張が、少しだけほどける。
スマホを横に置いて、ゆっくり息を吐く。
改めて分かってしまった。
前と同じには、戻れない。ただの親友だった頃には。
あんな風に抱きついたり、目が合うだけで嬉しくなったり、今までは何も思わなかったことにドキドキしたり――そんなの知らなかった頃には。
それでも不思議と、知らなかった頃には戻りたくないって思う。
仰向けになって天井を見上げる。
静かな部屋に、心臓の音だけがやけに大きい。
……どうしよう。本当に、どうしよう。
スマホの画面をもう一度見る。
漣の名前。
それを見ただけで、少しだけ安心している自分がいた。




