41話 正気だから(漣)
昨日の夜、蒼真に会えたことが衝撃的すぎてあまり眠れなかった。
雨の中で蒼真が俺を見つけてくれて、傘を差し出してくれた。
自分勝手に蒼真を避けて、傷つけたのは俺なのに。
「また今までみたいに話したい」って泣きながら言ってくれた。
思い出すと、胸が痛くなる。
あの場所で会えたのは……もしかして蒼真、俺に会いに来ようとしてた……?
朝、大学に着いたあたりでスマホが震えた。
蒼真からのメッセージ通知だった。
トーク画面を見て、指が止まる。並んでいる文章が妙に整っていたからだ。
『おはようございます!
今日帰りにラーメン食べませんか』
すこし間があって、二通目が来る。
『そのあと漣の家に行ってもいいですか』
なんで敬語……?
違和感が強くて、一度スマホをポケットにしまった。
別に、変じゃない。蒼真がふざけて丁寧な言葉を使うことは今までにもあった。文章では珍しいけれど。
教室に着いてから『いいよ』とだけ返信した。
すぐいつも通りに戻るだろうと、そこまで気にはしなかった。
***
夕方。
大学の芸術棟を出たところで、蒼真と待ち合わせすることになっていた。
俺が着いた時、蒼真はもう待っていた。こちらに気が付いて顔を上げる。
「漣!」
声はいつも通り明るい。
なのに、目が合うと不自然にすぐ逸らす。視線が落ち着かなくて、あちこち泳いでいる。
笑顔なのに、ぎこちなくてどこか硬い。
俺が一歩近づくと、蒼真は反射みたいに一歩下がった。
――おかしい。
また俺の顔に絵の具か何かがついてる? アトリエに居たから溶剤の匂いが染みついてる? いや、そんな感じじゃない。
じゃあ、何だ。
「蒼真」
「う、うん?」
「……なんか、様子がおかしい」
「おかしくないけど?!」
食い気味に返されて、逆に確信する。絶対におかしい。
俺が疑いの目でじっと見ていたら、蒼真は咳払いをして、目を泳がせながら言った。
「えっと……今日は、漣んち行ってもいい……んですよね?」
「……」
敬語、継続。俺は一瞬、返事を忘れた。
「……いいよ」
「よ、よかった!」
よかった、ってなんだ。その安心した顔。
朝メッセで返事したばかりなのに、なんで今また聞くんだ?
家に行けるかどうかでそんなに緊張する仲じゃないだろ。
あ……ここ最近、俺が断り続けていたからか……?
何も言わずに蒼真を避けてしまったこと、正直後悔してる。
蒼真は、そんな俺でもまだ一緒にいたいと思ってくれてるんだ。このくらいは気にしないでおこう。
蒼真が「行こ」と言って歩き出す。俺も隣に並んで歩く。
やっぱり右隣に蒼真がいると、気持ちが落ち着く。
蒼真は時々ちらっと俺を見る。でも俺が視線に気づいて見返すと、目を逸らす。何なんだよ。気にしないつもりだったけど、変にそわそわする。
***
ラーメン屋に着くと、カウンター席に案内された。
横目で様子を窺う。
湯気の向こうで蒼真が黙って麺をすすっている。やけに静かだけど、こういう何でもない時間がやっと戻ってきた気がした。
水のコップを取ろうとして手を伸ばした瞬間、蒼真も同時に手を伸ばした。俺の指先が蒼真の手に触れた。
蒼真が、びくっと肩を跳ねさせて手を引いた。
「……っ」
引き方が大げさで、箸がカウンターに当たって乾いた音がした。
「え……ごめん」
反射で謝ってしまう。
蒼真は目を泳がせて、早口で言った。
「いや! ちがう……ごめん。なんでもない! 大丈夫!」
……大丈夫って。こっちが大丈夫じゃない。
指が触れただけで、そんなに驚くか? 蒼真はいつも遠慮なく触ってくるのに……?
俺は水を一口飲んで、気にしていないふりをした。
蒼真、いつもより口数少ないし……何より挙動不審すぎる。
今日、誘ってくれたのは蒼真だし、俺と一緒にいるのが嫌って訳じゃないんだよな……?
***
ラーメン屋を出た後、コンビニに寄ってから家に向かった。
蒼真と一緒にコンビニに入るのは久しぶりだった。それだけで、いつもの距離に戻れた気がした。
家に着くと、蒼真はコンビニの袋をいつものようにテーブルに置き、ぎこちなくソファに座った。
いつもなら勝手にくつろいで、勝手に話し始めるのに。
今日は、そわそわしてるというか落ち着きがない気がする。
座る位置もいつもより遠いような……。
蒼真は何を気にしてる?
俺もソファに座って、いつも通りスケッチブックを開いた。
適当に線を引いて、気を紛らわせていた。
いつもなら気にしないのに、沈黙が続くと、蒼真が慌てて話題を探すみたいに言った。
「……やっぱ、まだ作品制作忙しい?」
「……まあ、それなりに。また展示もあるし」
「そっか……体調は大丈夫?」
「うん」
答えながら、蒼真のぎこちなさが気になって仕方なかった。
「ならよかった……」
「……蒼真」
蒼真の目をじっと見て、何を隠しているのか探ろうとする。
しばらく見つめ続けていたら、蒼真が慌て始める。
「え、なに!? 見すぎ! こわい!」
この反応……もしかして、蒼真への気持ちを気付かれた?!
いや、それはないか。誰にも言っていないし、態度にも出していない、はず。
ふと、昨日の夜のことが頭をよぎった。
夜の住宅街。雨に打たれながら歩いていた自分。見つかった瞬間、震えた声。
冷静に考えると、やばい奴だった。
幼馴染の蒼真をありえないくらい好きになって、病み散らかして……。家から出たあとに降ってきたとはいえ、夜の雨の中を徘徊。
客観的に見ると普通じゃない。普通じゃないどころか不審者寄りだ。
きっと原因は、これだ……!
そりゃ蒼真も、接し方が分からなくなる。挙動不審、なんて思ってごめん。
きっと今日誘ってくれたのも、おかしな行動をしていた俺のメンタルを心配して……なのかもしれない。
だとしたら、誤解を解かなくてはいけない。
昨日の俺は、ただ情緒不安定だっただけだって……。
「俺は……」
「う、うん」
「もう正気だから」
「……は?」
蒼真が目を丸くして固まっている。
「もう変な奴じゃない。普通」
「な、なんのこと……?」
蒼真はしばらく固まってから、困ったように笑った。
「あはは。漣、どうしたの? 正気な奴は“正気”って言わないよ!」
「……」
「漣は昔から変な奴……いや、独特だよね。だから一緒にいて飽きないし、おもしろいし、かわいいとこもあるし……そこが好きっていうか……」
そう言った蒼真は、すぐに目を逸らした。口に手を当てて「今の忘れて」って。
絶対おかしい。前言撤回。挙動不審だ。
しかも、俺のことをずっと変な奴だと思ってたのか……。そして、おもしろいだとか、かわいいだとか適当な言葉を並べてフォローしやがった……!
ちょっとムカつくのに、そういう雑なところも含めて全部好きだ。
昨日の自分を思い出すたびに、無性に恥ずかしくなる。
確かにおかしかった。蒼真に変な奴だと思われても仕方ない。
蒼真との会話は終始ぎこちなかった。でも、久しぶりにふたりで過ごす時間は楽しかった。
やっぱり蒼真といる時間が何よりも幸せだ。これ以上、気持ちが溢れないようにしないと。またおかしな行動をしないように――。
***
後日。大学の購買前の廊下で、友人たちと歩く蒼真とすれ違った。
蒼真が足を止めて、近寄ってくる。俺の顔をじっと見て言った。
「漣。絵の具ついてる」
反射で頬に手をやる。
「どこ」
「ここ」
蒼真は自分の頬を指で示す。
いつもなら当たり前みたいに、その指で拭ってくるのに。今は、触れようともしない。
言われた場所を手で拭った。
蒼真は「うん、取れた」って笑顔になって、手を振ってから友人たちの元に戻っていった。
……やっぱり、おかしい。距離を感じる。
いや、おかしいのは俺のほうか。
触ってほしいとかじゃない。ただ、今までと違う距離感が気になっただけだ。
……冷静になれ。今でも蒼真のことは、とてつもなく好きだけど。
もう、蒼真とどうなりたいとかじゃない。今は、また普通に話せるだけで嬉しい……そう思いたい。
そういえば――どうして蒼真は彼女と別れたんだろう。
あんなに嬉しそうだったのに。
学食で彼女と蒼真を見かけたときは、仲が良さそうだった。
蒼真の交際期間は今までも短めだった。でも一ヶ月半で別れるなんて、あまりにも短すぎる。
長く続くと思ったのに。もはや、最速記録かもしれない。
また振られたのか……?
蒼真が言いたくなるまで、理由は聞かないでおこう。




