表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣の景色  作者: のゆ
43/55

40話 雨に紛れて(蒼真)

 雨の向こうに、(れん)の姿が見えた瞬間。

 ――息が止まった。


 街灯の下。濡れた黒髪。暗い道の端で、ひとりで立っている。

 見間違いじゃない。どうして傘も持たずに、こんなところに……?


「……漣?」


 呼んだ声が、自分でも情けないくらい掠れてる気がして、焦る。

 また避けられたら……と思うと不安で、すぐに距離を詰めた。


 傘を差し出すと、漣がゆっくり顔を上げた。

 その目が濡れているのは、雨のせいなのか暗くてはっきりとは分からなかった。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


「……何してんの。こんな雨の中。風邪ひくぞ」

 漣の心配をするのがクセになっていて、自然と口から出た言葉だった。


 漣は小さく唇を動かして、目を逸らした。

「……別に。歩いてただけ」

 漣の声が震えてる。脆くて、苦しそうで――抱きしめたいと思ってしまった。


「歩いてただけ、って……こんな時間に……」

 喉の奥が熱い。言いたいことが多すぎて、どれから出せばいいのか分からない。

 でも――まず言わないといけないのは、これだ。

 

「なんで、オレのこと避けるの」


 漣の肩が、ほんの少しだけ揺れた。

 沈黙で雨の音だけがやけに大きく聞こえる。

 

 少しして漣が口を開く。

「……避けてない」

 聞いたことのある嘘。

 アトリエへ会いに行った時のことを思い出して、胸が痛む。

「避けてるだろ……」

 強く問い詰めたかったのに、声が情けなくなる。

「……ずっと。返事も、目線も、全部前とちがう」


 漣は、目を逸らしたまま黙っている。

 濡れた前髪から雫が落ちて、地面に吸い込まれる。


「オレ、漣に何かした……?」

 返事を待つのが怖い。でも、漣からちゃんと答えを聞きたい。


 しばらくして、漣がやっと口を開いた。

「……邪魔になりたくなかった」

「……は?」

 頭が追いつかない。邪魔? 誰の? 何の?

 

 漣は目を逸らしたまま言った。

蒼真(そうま)が……幸せそうだったから」

 言葉を探すみたいに続ける。

「彼女ができて……ちゃんと、居場所ができたのに。俺が近くにいたら、また……」

 その先が言えないみたいに、漣は唇を噛んだ。


 漣は、オレのことを思って離れようとしてたんだ。

 でも、そんなの許さない。

「邪魔って思ったこと、一度もない!」

 傘が揺れる。声が大きくなって、自分でも驚く。

「漣に避けられるのは……傷つく。ほんとに苦しかった」

 言いながら、胸が苦しくなって涙が込み上がってきた。

「オレ、漣がいないと息できない……漣とまた、今までみたいに話したい」

 漣をまっすぐ見つめる。

 

 漣の目が一瞬だけ大きくなって、すぐに逸らされた。

 漣が掠れた声で言う。

「……でも、彼女との時間削らせて、またこうやって……世話焼かせてる」


 そこか。漣は、そこをずっと気にしてたんだ。

 オレは息を深く吸って――短く言った。

「……別れた」


 漣が固まる。雨の音が大きくなる。

「……え?」

「別れた」

 もう1回言うと、言葉が少しだけ震えた。


「……早すぎだろ」

 漣が、信じられないって顔をする。

 その顔が懐かしくて、苦しいのに嬉しかった。


「やっぱりオレ、誰かと付き合うの……向いてなかったみたい」

 言い訳だ。自分の声が頼りない。

 本当は……漣への気持ちに気付いたから。

 こんなこと正直に言ったら、きっと漣はもっと離れてしまう。だから、言わない。

 

 漣は、返事に困ってるみたいな顔で、ただ聞いていた。

 

 漣に会えない日が、苦しかった。

 オレが一番落ち着くのは、最初から――。

 目の前の漣がまたいなくなったらと思うと、もう止められなかった。

「……ずっと一緒にいたのにさ」

 声が震える。オレは笑おうとして、できなかった。

「急に離れていくなよ……っ」

 言った瞬間、胸の奥がほどけて、同時に崩れた。

 涙が、勝手に落ちた。雨に紛れてくれって思うのに、止まらない。


 雨音がうるさい。なのに、漣の呼吸は近くに聞こえる。

 漣は「ごめん」とだけ言って、こちらを覗き込む。

 それだけで胸がいっぱいになった。


 息を整えて、やっとこれだけ言えた。

「……帰ろ?」

 漣の返事は、聞こえないくらい小さかった。でも、頷いたのが分かった。


 雨の中、ふたりで歩き出す。傘は自然に、漣の方へ傾く。

 家まで送る、って言い訳しながら。

 本当は――今夜だけでも、離れたくなかった。


 ***


 漣のアパートの前に着く頃には、雨は少しだけ弱まっていた。

 でも服は濡れていて、湿った冷たさがじわじわ指先に残る。


 漣が鍵を開ける仕草をして、止まる。

「……入らないの」

 ぽつりと落ちた声が、雨の夜にやけに響いた。

 

 オレはまた笑おうとして、うまく笑えなかった。

「……今日は、ここまでにする! 久しぶりに話せたからさ……このまま一緒にいたら、ずっと居たくなりそうで」

 言い終わった瞬間、今のセリフちょっと重かった……?って少し怖くなる。


 漣が何か言いかけて、やめたみたいに目を伏せた。


 早く立ち去らないと、気持ちが溢れてまた泣いてしまいそうだった。

「漣、風邪ひくなよ」

 もっと気の利いたこと言えたはずなのに、それしか言えなくてもどかしかった。

 漣は一瞬だけ目を見開いて――小さく頷く。

「……蒼真も……ありがとう」


 ドアが閉じていく。漣の姿が半分隠れる。

 閉まる直前、漣がほんの少しだけこちらを見た。


 その視線に、胸がまた痛くなる。

 離れたくないな……『やっぱ帰んない』って言いたい。

 でも、やっとまた漣と話せたんだ。それだけで嬉しくてたまらなかった。

 ――明日、また話せるといいな。


 濡れた手のひらを握りしめて、傘を差した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ