35話 帰りたい場所(眞白)
最近、私――夜風 眞白の恋人である蒼真くんが、少しだけ上の空だ。
いつものように並んで歩いている時も、私の話にちゃんと相槌は打つけれど、どこか視線が遠い。目は合うのに、焦点が合っていない気がする。
「どうかした?」
そう聞くと、蒼真くんは一瞬だけ困ったように笑った。
「いえ、なんでもないです」
――嘘だ、とまでは言わない。でも、何か本音を隠しているような顔だった。
その理由に気づいたきっかけは、本当に些細なことだった。
***
学食で一緒にランチをしてる時、蒼真くんが幼馴染の篠宮くんを見つけた。
蒼真くんは食べかけのランチを置いて、慌てた様子で立ち上がる。
「眞白さん、すぐ戻るので! ちょっと漣に声かけてきます」
そう言って、蒼真くんは彼が座っている席に駆け寄った。
「漣!」
名前を呼ばれた彼の表情が、ほんの少しだけ動いた。
さっきまで無機質だった横顔が、わずかに緩みかけてすぐ戻る。
篠宮くんを初めて見たのは、約一ヵ月前、蒼真くんに紹介してもらったあの日。
蒼真くんとは正反対の静かな子。それが第一印象だった。
彼の反応が薄くても、楽しそうに話しかけ続ける蒼真くん。
「漣が好きそうなお菓子見つけたから今度持ってく!」だとか、「次、いつ漣んち行っていい?」とか。
蒼真くん、本当に楽しそう。……あんな表情、久しぶりに見た。
蒼真くんは、優しいし私のことをすごく気遣ってくれるいい子。でも、最近は別のことを考えてるような――。
それが篠宮くんのことだと気づくのは難しくなかった。
蒼真くんがこちらへ戻ってきた。わざと何気ないふうを装って聞く。
「篠宮くんと、本当に仲いいんだね」
蒼真くんの表情が、ほんの一瞬で変わった。
目がやわらいで、口元が気づかないくらいだけど緩む。
「え? あ……はい! 幼馴染で、親友だから……」
幼馴染。親友。
その言葉を口にする時の声のトーンが、少しだけ低くなったことを見逃さなかった。
――蒼真くんが居たい場所は……あの子の隣なのかもしれない。
でも、それ以上先を考えないようにして、目を伏せた。
蒼真くんはきっと自覚していない。
篠宮くんの姿が視界から外れても、蒼真くんはまだそっちを見ている。隠すつもりがないのか、もう隠せないほどに想っているのか。
***
教授に頼まれてTAを引き受けたのは、断れなかったから。流されやすい自分が、ずっと嫌だった。
学生たちは私のことを「優しい」「教え方が上手い」なんて言うけれど、それは表向きに作った私。
本当の私は臆病で優柔不断だ。
蒼真くんに出会って、私にまっすぐに質問してくる姿に心を打たれた。
この子は本気で教師になりたいと考えてる。
逃げてない。不安で怖くても向き合ってる。
教育実習での記憶が、胸の奥で小さく疼いた。
かつての自分が怖くて踏み出せなかった場所に、この子は行こうとしている。
久しぶりだった。教育の話をして怖くならなかったのは。逃げたいと思わなかったのは。
そして気づく。自分が今、すごく嬉しいことに。
この子をもっと知りたい。もっと支えたい。もっと見ていたい。
そして心の奥で静かに思ってしまった。
だめだ。これは――ただの指導じゃない。
私は今、この子に救われてるんだって気づいた。
――それが蒼真くんを好きになった瞬間。
蒼真くんは、『彼女』として私を選んだ。
でも――『帰りたい場所』は、あの人のところにあるのかもしれない。
それが今も、これからも。
蒼真くん自身が気づいていなくても、もう、十分すぎるほど。




