32話 確かめるみたいに(蒼真)
眞白さんと付き合い始めて二週間が経った。
今日は、初めて眞白さんの家に招待された。マンションのオートロックが開き、眞白さんと一緒にエレベーターに乗る。
エレベーターは三階で止まった。廊下を少し歩いたところで、眞白さんが立ち止まる。鍵を開け、ドアを開けながら微笑んだ。
「どうぞ」
ここが眞白さんの家なんだ……緊張する。
それを見透かしたみたいに、「そんなに構えなくて大丈夫だよ」と眞白さんが小さく笑った。
「おじゃましまーす」
靴を揃えて上がる。それだけで、ちょっと特別な気分になる。
彼女の家に来るって……彼氏っぽい。いや、彼氏なんだ。内心、かなり浮かれていた。
眞白さんの家は、きれいだった。部屋は1LDKで、白と木目で統一されていた。観葉植物が窓辺にひとつ。本棚に置いてある本も、全部がきれいに整っている。
生活感がないわけじゃない。暮らしてる雰囲気はあるのに、整っていて、落ち着く。
思わず声が漏れた。
「すごい……きれい」
「そう? 普通だよ」
照れたみたいに笑うのが、可愛かった。
眞白さんがキッチンに向かいながら言った。
「夕食作るね。パスタでいい? あと、スープ」
「最高です!」
オレが返事をすると、眞白さんがくすっと笑った。
「ほんと蒼真くんって反応がかわいいね」
「……やめてください」
急に恥ずかしくなって目を逸らすと、眞白さんは楽しそうに肩を揺らした。
洗面所で手を洗ってキッチンに戻ると、眞白さんが冷蔵庫を開けていた。……女神が冷蔵庫を開けている。大学で『女神』と呼ばれている人が普通に生活している。冷蔵庫の中を覗き込む横顔にドキッとした。大人で、余裕があって完璧な眞白さんにも、ちゃんと日常があるんだと思うと、謎の感動で口元が緩んだ。
キッチンに入り、声をかける。
「手伝います!」
「じゃあ、サラダ作るの手伝ってもらおうかな」
眞白さんは、レタスの葉が入ったボウルを渡してくる。レタスをちぎって、皿に盛りつける。
眞白さんは鍋をかき混ぜながら、こちらをちらっと見て言う。
「蒼真くん、手際いいね」
「家でよく作ったり、手伝ったりしてるので。カフェでバイトもしてますし」
「えらいね。そういうところ好きだよ」
さらっと言われて、思わず手が止まる。
「……え、今」
「ん? なに?」
「いえ……なんでもないです」
眞白さんは何もなかったかのように、スープを味見している。
「好き」って聞こえて、動揺してるのはオレだけだった。
***
夕食が出来上がり、ソファの前のローテーブルに運んでいく。
パスタの香りがふわっと広がって、スープの湯気が上がる。カトラリーが皿に触れる小さな音が、妙に心地よかった。
ひと口食べて、思わず言葉が漏れる。
「おいしい……」
「よかった」
眞白さんは安心したみたいに息を吐く。
眞白さん、料理も上手いなんて強すぎる。ますます尊敬してしまった。
話は大学のことや、教員採用試験のことが多くなる。
会話の中で、ふと眞白さんが言った。
「蒼真くんって、子どもに寄り添った考え方をしていてすごいよね」
「……そう、ですか」
「ほんと教師に向いてると思う」
その言葉が、素直に嬉しかった。褒められることに慣れていなくて照れてしまう。
「……眞白さんと話すと、オレは大丈夫なんだって思えて安心します」
「ふふ。そう言ってもらえるの、嬉しい」
眞白さんが笑った顔を見られるのが嬉しい。こういう表情を近くで見られるのが、彼氏の特権なのか。今まで、誰かに対してこんな風に思ったこと、あったかな。
そう思った瞬間、胸のどこかが静かに落ち着かない。理由は分からないまま、スープを飲み込んだ。
***
夕食の後は、ふたりで映画を観ることになった。
少し前に、「泣ける」と話題になっていたSF映画。
左肩の重みに気付き隣を見ると、眞白さんがそっともたれかかってきていた。
静かに目を閉じている。眠いのかな……かわいい。まつげが長い。
自分の心臓がうるさくて、映画の内容が頭に入ってこない。眞白さんの髪がいい匂いだとか、体温だとか、そういうことばかり気になってしまう。
腕を回すと、眞白さんが安心したみたいに小さく息をついた。
いつも頼ってばかりだけど……守りたいと、思った。
眞白さんがすこし身じろぎして、顔を上げる。
「私、寝てたんだ……」
「はい……少し」
こちらを向いた眞白さんと目が合って、しばらく見つめ合う。
「寝顔、可愛かったです……」
「え……」
眞白さんが驚いたみたいに瞬きをして、自然に距離が近付く。息が触れる距離。
何かを言いかけた唇が、言葉の形のまま止まって……。眞白さんが目を伏せて、くちびるを重ねてきた。
一瞬だったのに、頭が真っ白になる。
離れたあと、眞白さんの指先がオレの服をきゅっと掴む。
「……もう少し、ここにいて」
返事の代わりに、背中に手を回した。怖いくらい近くて、息をするのも忘れる。
そのあと、もう一度だけ、確かめるみたいにキスをした。
***
帰り際。玄関で靴を履きながら言う。
「今日は楽しかったです」
眞白さんが小さく「うん。私も」と言った。
名残惜しくて聞いてしまう。
「……また来てもいいですか?」
「もちろん。今度は採用試験に向けて勉強会しよっか」
「はい! お願いします!」
笑って、手を振った。
ドアが閉まって、廊下の空気に触れた瞬間――さっきのキスを思い出してしまった。
エレベーターの鏡に映った自分が、ずっとにやけていて、思わず口元を手で隠した。




