↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣の景色  作者: のゆ
34/62

31話 濁った色(漣)

 芸術棟のアトリエ。

 窓の外はもう真っ暗だ。アトリエに残っているのは数名。静かな空間に、鉛筆や筆を走らせる音だけが響いている。


 俺はキャンバスの前に座っていた。

 何度も描き直した線の上を、また筆でなぞる。


 集中できない。理由は、分かってる。


 頭に浮かぶのは、今日の蒼真(そうま)の顔だった。

 蒼真に彼女ができた。それも、落ち着いた年上の清楚な人。

 一緒にいるところを見た瞬間、本当にお似合いのふたりだと思った。

 蒼真が今まで『なんとなく』で付き合った人たちとは、まるで違った。ちゃんと蒼真が自分から好きになって、相手にも大切にされている雰囲気だった。長く続くんだろうなと感じた。

 

 蒼真が心から安心してる表情。大学で作ってる『元気な役』じゃない声。嬉しそうな笑顔。それだけで、彼女と居る時間は幸せなんだと分かった。


 蒼真から届いたメッセージを見返す。

 『今日はありがと! 漣(れん)のこと紹介できてよかった』


 スマホを伏せて、深く息を吐く。

 ――よかった、か。


 紹介された時、精一杯の笑顔を作って、自分でも驚くくらいちゃんと『親友』のふりができていた……と思う。

 思い出すたび胸の奥が、静かに締めつけられる。


 蒼真が幸せそうでよかった。

 そう思ってるはずなのに……苦しい。


 俺は幼馴染で、大学まで同じで、たまたま隣を歩いてきただけの人間。

 それ以上……なんて、考えただけでおしまいだ。

 自分が蒼真を守るなんて思っていたのも、ただの自惚れだった。俺が蒼真の隣を埋められる訳がなかった。

 

 どうして、もっと早く気づかなかったんだろう。


「……」


 筆を置く。


 ああ、そうか。

 俺の役目は、もう終わった。

 これ以上、蒼真の近くにいたら邪魔になる。


 今まで通り友達みたいに接し続けて、気持ちが抑えきれなくなったら?

 また倒れて心配させて、蒼真に世話を焼かせてしまったら?


 俺のせいで蒼真を困らせたくない。

 蒼真には蒼真の人生がある。

 

 だから決めた。


 距離を置いて、少しずつ蒼真の中からいなくなろう。

 そうしたら、蒼真は俺のことを気にしなくて済む。

 蒼真にはもう、ちゃんと居場所があるから。


 嫌いになったわけじゃない。

 むしろ――今以上に、好きになってしまいそうだと気づいてしまったから。

 このままだと、自分が壊れてしまう。


 キャンバスに滲んだ色が、自分の感情みたいで目を逸らした。


 蒼真から離れることが、お互いにとって一番いい。

 そうやって自分に言い聞かせて、また筆を握った。


 ***


「……しのみや? おーい……篠宮、聞こえてる?」

「……っ!」

 筆先が止まっているのに気づいて、遅れて息を吸った。

 耳元で声をかけられて意識が戻る。いつの間にか悠月(ゆづき)が隣に居た。少し離れた席で手を動かしていたはずなのに。

 

「キャンバス、なんか酷いことになってるけど?」

 指差された先には、明らかに合っていない色を無意識に重ねた跡があった。不協和音みたいな、濁った色。

 

「篠宮が、そんな色を使うなんて珍しい……」

 悠月が楽しそうにこちらを覗き込む。

「ふふ。篠宮は分かりやすいね。どうせ今、雑音塗(まみ)れなんだろ? 暇だからボクが話を聞いてあげる」

 雑音――蒼真のことばかり考えていると、見透かされた気がした。

 いつもの、からかうような絡み。目を合わさずに言う。

「……何でもない」

「ふぅん……」

 悠月は腕を組んで、獲物を見つけたみたいに目を細めた。

「今の色、全然篠宮らしくない。いっそ一番深いところまで沈んじゃえば?」

「……沈む……?」

「そう……最深部まで。自分のすべてを塗り潰すことだけ考えるんだ。……ねぇ、一緒に描こうよ。ボクが何もかも忘れさせてあげる」

 

 何もかも忘れられる……か。それもいいかもしれない。

 蒼真を好きな気持ちも、離れる決意も、絡まってほどけなくて、いっそ全部濁らせてしまいたかった。

 ――忘れたい。忘れたくない。もうどっちでもよかった。

 今までなら蒼真は、無理しすぎだって連れ出してくれた。でも、きっと――もう来ない。そうであってほしい。……もう何も、考えたくない。


 悠月が、冷たい微笑みを浮かべて言う。

「描くことだけに溺れてよ。ボクと朝まで堕ちてみる?」

「……ああ……そう、する……」

 無意識に返事をしていた。

 

 悠月が俺の背後に回り、両肩を掴んで引き寄せた。逃げ道を塞ぐみたいに。

 そして耳元に息がかかりそうな距離で、囁いた。

「篠宮はさ。絵の世界に沈んでる姿が、一番似合ってる」

 悠月の視線は俺じゃなく、キャンバスの奥を見ていた。

 楽しげなのにどこか冷たい声に、ぞくりとした。

 いつもなら振り払うのに。今日は、その気力がなかった。

 

 キャンバスに重ねた濁りの下に、最初に置いた青が透けて見えた。

 悠月の言う通り、描くことで全部忘れられるなら――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。