第13話(前編)――「土の線、峠と渡しの朝」
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登場人物
ディエゴ〈30〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈29〉の仮名)
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側女
1人目 ルジア・ロドリゲス〈26〉
リスボンの川沿いの町で育った。父は港の小役人で、船荷の数え方と、帳面の付け方を娘に叩き込んだ。読み書きができることが唯一の持ち物で、結婚相手は船の会計係だったが、海外の熱病で死んだ。未亡人として本国へ戻る途中、ソファラ帰りの船に乗せてもらっていたが、襲撃で捕虜になった。戻っても家はなく、親戚は「厄介者」として扱うと分かっている。
2人目 カタリーナ・デ・アゼヴェード〈32〉
内陸の小さな貴族家の出だが、家は傾いていた。若いころに「体面のため」の縁組で、海外の砦に関わる文書仕事の男に嫁いだ。夫は家に金を入れるが、妻には関心が薄く、彼女は屋敷で「書類の置き場」のように扱われてきた。砦と教会の往復で、署名、印章、通行証、寄付の名簿といった紙の扱いだけは身につけた。今回の航海も、夫の都合で帰国に同乗させられただけで、帰っても夫の家には居場所がない。
3人目 マダレーナ・フェレイラ〈38〉
南部の海辺の町で育ち、若いころから船乗り相手の宿の台所と洗濯場で働いてきた。嫁いだ男は航海の副官だったが、遠征続きで家にいない。彼女は港で暮らしを回し、怪我人の手当、塩漬け肉の管理、真水の配り方まで現場で覚えた。年齢の分だけ、男の虚勢にも、泣き落としにも動かない。今回の船でも、女の客ではなく、船内の食と水の段取りを実際に動かす側にいた。襲撃で夫と縁が切れ、戻っても「敗走の家族」として冷たい目が待つだけだと見ている。
マニカ国の妻妾 ニャシャ〈24〉
肌は深く黒く、瞳の黒が濃い。姿勢と歩みが崩れず、言葉が速く正確だ。状況を読むのが早く、地形と人の心を同時に扱う。腕力も俊敏さも備え、側女たちが束になっても及ばない。
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(1523年5月上旬。マニカ国)
ディエゴは、ニャシャに聞いた。マニカ国では、国王のことをチカンガと呼び、その他に金山と道を握る首長層がいるそうだな?チカンガは捕えて殺したが、金山と道を握る首長層は何名くらいいるのだ?そいつらが俺が金鉱を掘るのを邪魔した者たちだろう?
ニャシャは頷き、指で地面に短い線をいくつも引いた。
「チカンガは頂に座る名だ。もういない。だが、金と道は別の手が握っている。大きい金の谷は3つあり、それぞれの谷を束ねる首長が3人いる。道は、峠が2つ、渡し場が2つで、そこを押さえる首長が4人いる。さらに金の量と相場を決める仲介の家が1つある。合わせて8人だ。小さな頭はもっといるが、そいつらは8人の顔色で動く。お前の掘る穴を邪魔したのも、矢を放たせたのも、その8人の合図が元だ」
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ニャシャの指が描いた線を、ディエゴは黙って見下ろした。土の上の8つの印は、焚き火の熱で少し乾き、指先の跡が白く浮いた。
「よし。全軍で行く。順番はお前が決めろ」
そう言ったとき、ディエゴの声には迷いがなかった。ここ数日の間に、ニャシャが示した山の見方と川の読み方は、何度も命を助けていた。夜に草を踏む音の違いで人数を当て、朝の霧の匂いで水場の位置を言い当てた。兵たちの目も、いつのまにか彼女の指先を追うようになっていた。
ニャシャは短く頷き、兵を集めさせた。焚き火の煙が湿った風に流れ、火縄の焦げた匂いと、汗で濡れた革の匂いが混じった。彼女は地面にもう一度線を引き、木の枝で谷を囲み、峠と渡し場の形を作った。
「こいつらは正面から来ない。茂みから矢を浴びせ、逃げ道に穴を掘る。見せる足跡はわざとだ。追えば、横から刺す」
兵の何人かが、喉の奥で唾を飲む音を立てた。ニャシャは続けた。
「だから、追わない。先に逃げ道を塞ぐ。前は細く、横は厚くする。見張りを木に上げ、草の揺れと鳥の鳴き方で合図を送る。火は使うが、煙は出しすぎない。匂いで気づかれる」
ディエゴは、その場で命令を変えた。斥候を倍にし、左右の林に小隊を流し、荷の歩みを落として音を消した。火縄銃の火蓋を閉じる金具が、指の汗でわずかに滑った。行軍が始まると、草を踏む音が一斉に低くなり、鎧の金具も布で巻かれた。
最初の標的は、仲介の家だった。ニャシャが選んだのは、峠でも渡し場でもなく、金の量と値を決める口だった。夜明け前、空は灰色で、遠くの山が輪郭だけを残していた。家の周囲には薄い煙が漂い、煮込みの匂いと、湿った獣の臭みが混じっていた。犬が1匹、鼻を鳴らしたが、ニャシャが投げた乾いた骨に気を取られて吠えなかった。
ディエゴの兵が土壁の陰に散ると、足元の土が冷たく、露が脛にまとわりついた。合図は笛ではなく、指を2回鳴らす音だった。短い乾いた音が闇に落ちた瞬間、扉が一気に押し倒された。
中は暗く、油皿の火が揺れていた。男は布を掴んだまま固まり、妻は叫びかけて口を押さえた。香草と脂の匂いが濃く、床の土が湿って靴に絡んだ。ディエゴは剣を抜かず、火縄銃の銃口だけを男の胸に向けた。
「声を出すな。話せば生きる」
ニャシャは男の目をまっすぐ見て、逃げ道を示す癖を突いた。峠の名、渡し場の名、首長の家の位置、見張りの人数。男が口を開くたび、喉が鳴り、唇が乾いて白く剥けた。妻は震えながらも、男の袖を握り続けた。ディエゴはその手をほどかせず、縛る縄だけを締めた。恐怖を切り離せば、口は固くなると知っていた。
仲介の家を押さえると、行軍は速くなった。夜が明けきる前に峠へ向かい、日が高くなる前に渡し場へ回る。ニャシャがそう言うと、兵たちは水をひと口だけ飲み、革袋の口をすぐ閉じた。川の近くでは、湿った匂いと虫の羽音が増え、土は柔らかく足跡が深く残った。
峠の首長の家は、尾根道から少し外れた場所にあった。見張りは油断していて、焚き火の灰の匂いがまだ残っていた。ニャシャは正面に小隊を見せ、もう1隊を岩場から回した。木の枝が擦れる音がしたが、風に紛れた。矢が飛ぶ前に、ディエゴの兵が囲いを越え、戸口を抑えた。首長は槍を取ろうとしたが、槍先に手が届く前に腕をねじられ、膝をついた。
もう1つの峠も同じだった。狭い道で待ち伏せるつもりの者たちは、逃げ道が塞がれたのに気づいたときには遅かった。草むらが一瞬揺れ、矢が2本飛んだが、盾が受けて鈍い音を立てた。火縄銃の火薬の匂いが鼻を刺し、乾いた発砲音が谷に跳ね返った。鳴き出した鳥が一斉に飛び立ち、羽ばたきが空をざわつかせた。
渡し場は川面が明るく、泥の匂いが強かった。舟を繋ぐ縄は濡れて黒く、手に取ると冷たく重い。渡しを押さえる首長たちは、荷の取り立てに慣れているだけで、襲撃の備えをしていなかった。ディエゴ軍が岸に現れた瞬間、男たちは叫び声を上げ、家族を奥へ押し込もうとしたが、ニャシャが先に舟を奪い、対岸の逃げ道も塞いだ。
「逃げるなら川だ。だから川を先に取る」
ニャシャの言葉どおり、抵抗は短かった。槍は振り上げられても、踏み込む足が止まった。土に足を取られ、背後では舟が離される。首長たちは互いの顔を見て、勝てないと悟った。膝をつき、手を上げ、武器を投げ捨てた。泥に落ちた鉄が鈍く鳴り、川の流れがそれをすぐ飲み込んだ。
こうして峠2つ、渡し場2つは、同じ朝のうちに沈黙した。捕えられた者たちの息は荒く、汗は土と混じって頬に筋を作った。ディエゴは縄を確かめ、兵の列を整えた。背後でニャシャが短く息を吐き、土の上の線を足で消した。
ディエゴは彼女の横顔を見て、もう一度だけ頷いた。これから先も、彼女の示す順番で進むと、その目が言っていた。




