表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第6章――「波の鎖、南の潮」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

106/151

第16話(前編)――「泥の浜、石灰の白」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


――――――――――――――――――

新たな妾たち(以前からの妾たちは妊娠中のため、アクラで静養している)

――――――――――――――――――

セントルシア島

 マオア〈37〉 出身部族はカリナゴ〈島カリブ〉族。川口の集落の族長の正妻。浜で男たちの動きを止め、場を崩さずに取引を続けさせた年長の女。


 レイリ〈19〉 出身部族は同じくカリナゴ〈島カリブ〉族。族長の側室(妾)。ひょうたんの水と果実を地面に置き、取引の意思を示した若い女。

――――――――――――――――――

グレナダ島

 ナヤリ〈36〉。グレナダ島北側の谷の集落。畑と食料庫を取り仕切り、男たちの遠出の間も集落を回してきた。腕に白い貝の輪を重ねていた。


 ウアチマ〈31〉。東の川筋の集落。薬草と傷の手当を任され、毒を塗る矢の調合も知っていると噂された。首に黒い種の首飾りを下げていた。


 テシラ〈27〉。南の入江の集落。丸木舟の手配と浜の見張りを仕切る家の女で、海の流れと浅瀬の位置を覚えている。耳に小さな骨の飾りがあった。


 アマイラ〈19〉。西の丘の集落。婚姻で同盟を結ぶために迎えられた若い正妻で、儀礼の歌を受け持つ。髪に赤い羽根を差していた。

――――――――――――――――――


 (1521年11月20日、正午。アクラ『ダリエン湾外港〈港町〉』)


 ダリエン湾の潮は、昼の光を薄く砕いて、灰色に光っていた。浜の手前は泥が深く、足を置くたびに水がにじみ、腐葉土の匂いが上がる。沖からは塩の匂いが押し寄せ、焚き火の煙と混ざって喉に引っかかった。


 外港は、完成した街ではない。埠頭は杭を打ったばかりで、板の隙間から海が覗く。倉庫は椰子の柱に屋根をかけただけの骨組みで、まだ樽と麻袋の山がむき出しだ。造船小屋には削りかすが積もり、木槌とノミの乾いた音が休みなく続いている。検疫小屋には石灰の白が撒かれ、濡れた布が風に揺れた。砲台は土塁を盛っただけだが、青黒い大砲が海を睨み、火縄の匂いがいつも近い。


 川口には小舟が列を作り、上流へ向かう荷が積まれていく。塩、鉄、布、釘、乾パン、火薬。帰りの舟は木材と淡水、獲れた魚、森で集めた果実を運ぶ。サンタ・マリアは上流の腹の中で、帳面と保管と決裁を引き受け、アクラは海に向いた口として出入りを受け持つ。兵と職人の動きがそのまま役割分担になっていて、誰も口を長くしない。


 浜の内側には5000名の駐屯地が置かれ、見張りの歩哨が一定の間隔で立っていた。革の胸当てに汗が染み、槍の穂先だけが陽を拾う。外敵の気配がない日でも、彼らは弛まない。ここでは油断が命取りだと、全員が体で覚えている。


 その日の昼、ディエゴは埠頭の端に立ち、工事と舟運の両方を眺めた。声を荒らげない。必要な指示は短い。約束した褒美と食糧は必ず渡す。「手を出すな」と命じたら、その通りに徹底させる。そういう積み重ねが、海風よりも先に場の空気を変えていった。


 アクラの外れには、妊娠した以前からの妾たちが静養する家があった。床は地面から高く上げられ、蚊帳が薄暗い影を落としている。煮た芋の甘い匂いと、薬草を干す青い匂いが混ざり、遠くの槌音がかすかに届いた。女たちは腹を撫でながら、潮の様子を窓越しに見ていた。船の上より息がしやすいことが、表情に出ていた。


 新たに人質として連れて来られた女たちは、最初から涙や媚びで場を動かそうとはしなかった。マオア〈37〉は背を伸ばし、目だけで周囲を測った。浜で男たちの動きを止め、取引の形を崩させなかった女だ。レイリ〈19〉は、ひょうたんの水と果実を無言で地面に置いた時と同じ手つきで、ここでも様子を見ていた。急がない。焦らない。だが逃げ道は必ず頭の中に置く。そういう視線だった。


 グレナダの女たちは、ひと目で役目を割り出した。ナヤリ〈36〉は倉庫の前へ行き、樽の置き方と干し場の風向きを見た。腕に重ねた白い貝の輪が、汗で少しずつ曇る。ウアチマ〈31〉は検疫小屋の薬草束を手に取って匂いを確かめ、使えるものと危ないものを指で分けた。首の黒い種の首飾りが胸元で小さく鳴った。テシラ〈27〉は浜の端まで歩き、浅瀬の色の変わり目を見て、丸木舟を出す道を静かに指し示す。耳の小さな骨飾りが、風で揺れた。アマイラ〈19〉は赤い羽根を髪に差したまま、朝夕の合図になる歌をどこで歌えば人が集まるか、潮の音を聞きながら場所を探した。


 ディエゴは彼女たちを「従え」とは言わなかった。水と食糧を先に出し、毛布と布を渡し、怪我人がいれば治療役へつないだ。約束は紙ではなく、その場の行いで示した。女たちはそれを見て、初めて言葉を返した。求めるのは安全と、明日の分の食糧と、仲間の扱いだ。その条件が守られるなら、自分たちは働く。そういう合意だった。


 忠誠は、叫び声ではなく手順で表れた。マオアは朝、兵の巡回路を見て、浜の内側で争いが起きない配置を作った。レイリは水を運び、果実を切り分け、疲れた者の口へ先に回した。ナヤリは倉庫の中で、湿気る物と湿気ない物を分け、塩蔵の樽の栓を毎日確かめた。ウアチマは傷の洗い方を改め、熱を出した者には冷やす布を当て、矢に塗る毒の噂話は一度も口にしなかった。テシラは舟の手配を整え、潮の引き際にだけ荷を動かすように決め、無駄な転落を減らした。アマイラは夜の火の前で短い歌を歌い、余計な騒ぎが起きる前に人の息を整えた。


 彼女たちは互いに張り合って、ディエゴの気を引こうとはしなかった。必要な時は目で合図し、言うべきことは短く言い、仕事は黙って受け持った。スペインから来た女たちも別のやり方で支えたが、カリナゴの女たちの働き方は、危険を前提にした速さと、仲間を守る優先順位がはっきりしていた。ディエゴはそれを見て、守られるだけの存在としてではなく、ここを成り立たせる力として彼女たちを扱った。


 日が傾くと、海風が少し冷え、木材の匂いが強くなる。埠頭の上で縄が軋み、倉庫の陰では乾いた葉が擦れる音がする。ディエゴが見回りに来ると、女たちは顔を上げ、必要なら近づき、必要がなければ距離を保った。彼は笑う時は笑い、叱る時は叱るが、誰かを見せしめにしない。だから女たちは、明日もこの人のもとで生きられる、と判断できた。


 アクラはまだ新しい。雨季が来れば泥は深くなり、杭は傷み、病も出るだろう。それでも、この2か月で、外港は口として息をし始めた。舟が川を上り下りし、砲台が海を押さえ、検疫小屋が熱を防ぎ、倉庫が飢えを遅らせる。その真ん中で、マオアとレイリ、ナヤリ、ウアチマ、テシラ、アマイラは、与えられた地位に甘えず、自分の手で居場所を作り、ディエゴの事業に協力する形を固めていった。


――――――――――――――――――

第16話〈前編〉脚注

――――――――――――――――――

 1) ダリエン湾 現在のパナマ東部からコロンビア北西部にかけてのカリブ海側の湾岸一帯を指す呼び名だ。干潟や湿地が多く、雨季はぬかるみやすい。

 2) アクラ ディエゴが湾岸に新設した外港〈港町〉だ。船の出入り、積み下ろし、修理、検疫、見張りを担う海側の拠点として機能する。

 3) サンタ・マリア 川沿いの内陸に置いた城塞都市だ。帳面、保管、決裁などを集約する拠点で、外港の背後を支える。

 4) セントルシア島/グレナダ島 どちらも小アンティル諸島の島で、カリブ海の東側に連なる。本文の女性たちは、そこでの生活や役目を背負って連れて来られた。

 5) カリナゴ(島カリブ)族 小アンティル諸島にいた先住民集団の呼び名だ。海と森の移動に慣れ、集落の規律や儀礼を重んじる集団として扱う。

 6) 埠頭 船を横付けして荷を積み下ろしするための桟橋だ。杭を打って板を渡し、最小の形から作り始める。

 7) 検疫小屋 病気が持ち込まれるのを防ぐため、入港者や荷を一定の手順で隔てて確認する小屋だ。石灰を撒く描写は、消毒の意図を表す。

 8) 砲台/土塁 砲台は大砲を据える場所、土塁は土を盛って弾や波を防ぐ壁だ。石の城より先に、短期間で作れる防御として置かれる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ