48-黒液の底
燦燦と降り頻る雨の中、フォールの言葉を聞き、黙って空を見上げた。
すでに誰が俺の腕を使って呪法とやらを使ったのか、大体の見当はついている。
「どうするんだい?」
フォールは少しばかり焦っているのか、今後の方針を聞いてきた。
「放っておいていいんじゃないか?」
黒い雷が落ちた場所には何かが居る。人か、魔物か、それとも悪魔や死神などと呼ばれるあやふやな存在か。あそこに何が居るのか見当もつかないが、俺はあまり興味がないし、彼らの邪魔をしたくない。
それにその呪法で現れた何かは、目的を果たせば消滅するのではないのだろうかと考えている。
「儀式の跡を浄化しなければ危険度の高い魔物が現れるかもしれないよ?」
「魔物退治は兵士や冒険者に任せればいいだろ。それに浄化は聖職者とかの分野じゃないのか?」
高純度の魔力に惹かれてやってくるのだろう。
魔素が視認ができず、本当に大気中にそんな物があるのか疑問だが、魔力があの一点に集まっていっている気がする。
少し落ちついてきた。あそこに何かが居ると錯覚させた存在感の正体は魔力塊だったのだと実感に変わる。
「厳密には神官を派遣する事になるだろうね」
「なら任せればいいだろ」
「カザミも気づいているんでしょ? さっき僕がきた時、すごく強い顔をしていたよ」
神経を研ぎ澄ますとでも言うのだろうか。確かに意識が鮮明になって、今までにないぐらい集中した状態ではあったな。
「何が起きているのか、これから何が生まれようとしているのかわからないが、そいつは化け物級の何かだろうな」
下げていた黒刀を鞘に戻すと、地上から空に黒い影が上がった。黒く丸い大きな球体が視認でき、それは上空で停止している。
あれが俺に危機感を感じさせた何かか。
「何か出てくるね」
まるで闇が裂けていくかのように、中から黒い液体が流れ始めた。
「一つ聞くが、あれって人が対峙していいもんなのか?」
「どうだろうね」
降り頻る雨の中、フォールからは完全にお前行けよムードが漂っている。
「フォールはあれを何とかしにきたんだろ?」
突然姿を見せたんだ。そうに決まっている。
「それならあそこに転移しているよ」
それもそうだな。納得のいく一言をどうも。
「知ってるか?」
「ん?」
「昨日まで腕、二本あったんだ」
「うん?」
「今日は一本なんだが、俺の世界では病み上がりって言葉があるんだが」
察してくれているだろうが、フォールにとって、俺の腕が有る無しは些事当然と言った態度だ。
それに、
「僕には無理だよ。儀式の跡を浄化しないといけないから、魔力を温存しとかないと」
杖を片手にキッパリと言い切ってみせた。フォールは俺の命をなんとも思っていないのだろうか。片腕の戦いなど慣れていない。というよりした事がない。
不安が残る中、俺は上空で浮いている黒い球体をもう一度見上げながら、
「お前も化け物級の魔力持ちだと思うんだがな」
「ん? 何か言ったかい?」
小声で呟いたけど聞こえてたはずだ。
俺は時間の無駄だと思い、話を戻した。
「黒いドロドロを垂れ流しているだけで、なかなか出てこないな」
「そうだね。中で引っかかっているのかな」
こんな時にユーモアは必要ないだろう。
現実に考えれば、
「ドロドロ出し切ったんじゃないか?」
「どうかな? 大きさの割には少ない気もするけど」
「ほら、止まったようだ」
「ほんとだね。でも何も出てこないようだよ?」
「俺に聞かれてもわからないぞ」
「んー……」
少しばかり思案しているフォールに、
「なあ、やっぱり放っておいていいんじゃないか?」
ピリピリと肌を刺す殺気染みたものを感じるが、それは俺にではなく、周囲全てに対して放たれているようだった。
「でも何かがいるのは確かなんだけど」
強い念とでも言うべきか。
世界が憎いと訴えかけているみたいだ。
「少し見に行ってみるか?」
「そうだね」
創繋門を開き、腕が落ちていた場所から少し離れた場所にゲートを繋げた。
「へー。初めて潜ったけど、中には何もないんだね。直通と言う事は、あの空間そのものが同化しているのかな」
「あー。前に亜空間がどうとか言ってたやつか? ゲートをゲートの中に繋げる感覚で発動すれば入れると思うぞ」
「今度覗いてみようかな」
目の前でこれから何が起きるかわからない状況にも拘わらず、亜空間が気になっているフォールは、どことなく楽しみだという顔をしている。
「息ができるかわからんがな」
「それもそうだね」
「で、あれをどう見る?」
ゲートを潜った先、俺の腕があった爆心地もどきが黒い池と化していた。上空の球体から流れ出た黒いドロドロが溜まってできたようだ。
「どうもなにも、あの液体が本体のようだね」
「悪寒が止まらん。今にも呪い殺されそうだ」
足を進めて穴に近づきながら、
「イヤな臭いだね」
「あぁ」
死臭。と言うのか。
嗅いだことのない、けれど、どこか知っている気がする、死の匂い。
黒い湖のような淵まで辿りついた。
覗いてみると、グツグツと気泡を浮かべて煮え出した黒い液体。ポコッと気泡が弾けて何かが液面に浮かんだ。
「リュリュシャか」
黒い液で汚れてしまった茶毛の犬人族の頭部が浮いていた。
続いて白毛、黒毛、最後に灰毛の片割れの首だけが浮かび上がってきた。
「白いの、黒いの、それに灰色まで。想像はできていたが、やはり呪法とは命を代価にするものなのか」
まだ一人、昼間に廃村で会った灰毛は浮いてこない。
「命は必ずしも必要なものじゃないよ。呪いを決定的にするために、命を使うんだよ」
「成功率を上げるためという事か」
「そうだね。それに呪法を使う者が死んでしまうと意味がない」
「確かにな」
「この黒液の底で呪法を唱え続けている者がいるはずだよ」
まだ呪法は完遂されたものではないのか……
フォールは黒液で見えない穴の底を見つめながら、
「まだ生まれきってはいないようだね」
この黒液の底で呪法を使っている者を始末すれば、事は大事にならないとでも言いたそうだ。
確かにこの黒液から何かが生まれてしまえば、それはとてつもなく厄介な者となるだろう。
「なぁフォール、呪法って何なんだ? 何が起きるんだ?」
この黒液から濃度の高い魔力が感じられるのは確かだ。これがさっき実感した存在の正体か。
「僕も呪法を使っている最中に立ち会うのは初めてだから、正直わからないよ」
「何が起きるかくらいは知ってるだろう」
「そうだね。有体に言えば代行だね」
「代行?」
「そう。相手の名と姿を連想しながら呪法を唱え終えれば、この黒液が怨み晴らすために実態を持つ事になるだろうね」
すでにこの黒液が物理的に実態……と呼べそうだが。
「生まれるのか? 怨みを成就させる何かが?」
「生まれる。とは少し違うかな」
足元の黒液を見下ろしながら、フォールは言葉を繋いだ。
「憑依に近いだろうね。願いが形作るのは、どこかから元となる魂が必要になる」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……これは、その魂を入れる器なのか」
フォールは俺の顔をまじまじと見つめ、
「この黒液が魂と結びつき、初めて形を成すはずだよ」
それじゃあまるで――俺みたいじゃないか。
「なぁ。俺の腕は、必要だったのか?」
貢物と口にしていた。
ならばその魂に渡すと言う事。器となる素が用意されているのだから、あとは憑依するだけだろう。必要ないだろ。
「何もない、ただの魔力の塊に心揺れると思うかい?」
俺は口を閉ざした。
俺の左腕は撒き餌だ。
何かに興味を持たせる只の餌だ。
貢物とはよく言う……
「これが呪法の完成形なんだね」
黒液が波打ち、渦を巻き始めた。
いつもの、さっき見た外套姿で藁敷きの上に座る灰色の姿が渦の底に見えた。
渦で開いた頭上を見上げた灰色、底から見上げるその両眼は、黒い穴がぽっかりと空いていた。




