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44―あの日のマドレー 下


 周囲は水に囲まれ、唯一の足場は鉄砲水が押し寄せてきた川上から徐々に崩れていく。自然の驚異が否応無しに迫る中、二度目の揺れが私たちを絶望の底に落としにきた。


 ……世界が沈んでいく。


 抗う術を持たない私は、揺れが収まる事を待つしかできない。時期にこの足場(ここ)も崩れる。


希望の船(小船)は現れてはくれないようね」


 ただ成り行きに身を任せるだけ。

 二度目の揺れが起きている最中、荒立つ波の背が低くなり、飛んでくる飛沫が減っていく。冷えきった身体、(かじか)む指先。押し寄せる不安。

 それが、


「ま、マドレーさん……」

「見ているわ」


 大きな、本当に大きな湖が現れて消えた。揺れの収まりに併せて水が地面の中へと引いていったと思うと、そこはさっきまで視界に映っていた世界からは想像できないほどに変貌を遂げてしまった。

 土手を境界線にするならば内側が村、外側が氾濫した川。目の前、外の世界は水位のあった高さまで、土手を延ばしたように大地が盛り上がり川が消えた。


 風に吹かれ頭を垂れていた麦が懐かしく思える。美しいと思わせた黄金の絨毯(麦畑)は泥水にまみれて、消えた村跡に敷かれていた。


「……」


 あれほど落ちないよう気をつけていたメイド帽が、うずくまったはずみでぽろっと私の足元に落ちてきた。

 萎れた犬耳が見え、自分が獣人だという事を必死に隠そうとしていたのだと今更に思う。

 声を出して泣いてくれれば、幾分か私も声のかけようもある。それがまだ年端も行かない子供だというのに、胸の内に悲しみを押し殺そうと嗚咽にまみれていた。


「もう……ここには誰もいないわ」


 一緒に悲しんであげられるほど、私は村人たち(彼ら)を知らない。

 となりで涙を流してやれるほど、私は下女(あなた)を知らない。 


 だから黙って落ちていたメイド帽を手渡した。


「わかって、いたんです」


 受け取ったメイド帽をしわくちゃに握り締めた下女は、背中を震わせながら言葉を続けた。


「こうなるかもしれないと……村長様も私も、わかっていたんです」


 井戸が枯れたと同じ頃、麦畑を荒らす鳥や害獣もいなくなり、魔物の姿もここ最近は見なくなっていた。村では井戸が枯れた事は残念だが、かわりに畑が荒らされず良い事もあったと村長や他の村人も口々にそう言っていたみたい。

 そしてここ数日、下女は何度も言い知れぬ恐怖を感じて目を覚ます日々が続いていたと言う。それを村長に伝えたところ「今この地から離れれば狩猟を生業にする周辺の村々や、麦の交易をしている滅びの街(ペリシュ)の人々は食糧難に陥ってしまうのだ。何が起きるかわからないのは今も先も同じ事。ワタシには食べ物が無い事の方が恐ろしい」


「そう言って村長様は刈り入れができる日がくればすぐに収穫できるよう、麦の様子を毎日見に行っていました。だけどもう……」


 何か起こる可能性がある。けれど避難するのは収穫を終えてから。そう考えていたみたい。

 だけどもう、と……麦畑(穀倉地)も村も、ここには存在しない。


「いくわよ」


 膝を泥に付ける下女の手を引っ張り強引に立たせた。


「私は……どこにいけば」

「そんなの私にもわからないわよ。でもここに居たってどうしようもないでしょ」

「そう……ですね」


 私たちは食料もなく、飲み水も残りわずか。滅びの町までは早朝に馬車で出発して日暮れまでに着けるかどうか。その道のりを少女を連れて歩くとなると、本当に丸一日、翌朝になってしまうかもしれないわ。


 ◇◇◇


「ここが滅びの町ですか」

「そうよ。あまり大きな町じゃないから仕事探しは難しいと思うけど、私の住んでいる荒野の街ならどうにかなると思うわ」


 日暮れ前には着いてしまった。獣人の脚力(ポテンシャル)おそるべしと言うところね。

 町の中に入り宿へ向かった。下女が泥にまみれた姿だったから宿主には嫌な顔をされてしまったけれど、十分な額を払うと手の平を返したようにニコニコ顔で湯を張った盥まで用意してくれた。

 依頼は失敗というよりは依頼主が消息不明扱いで不成立になるでしょうね。先払いでいくらかもらっておけばよかったわ。


「私は防汚魔法で汚れていないから、あなたが使いなさい」


 扉が開いたときのため、一応ベッドのシーツで仕切りを作り、下女の身包みを脱がしていった。びっくりしたのか、ふさふさの茶色のしっぽが逆立った。


「おとなしくなさい」


 盥の中に下女を入れて汚れた服も洗うように指示を出し、着替えもないので最後はシーツで簀巻きにしてベッドの上に転がしておいた。


「食事は私が運んであげるから、今日はゆっくりしなさい」

「あ、ありがとうございます」


 洗った下女の衣服を持って酒場になっている宿の一階に下りた。


「暖炉で乾かしておいてくれるかしら」


 宿の主に下女の着ていた黒いワンピースと肩からかけていた白いエプロンを渡し、


「あと、適当な食事を二人分。ひとつは部屋に持って戻るからあとで用意してちょうだい」

「へいへい。で、なにか飲むか?」


 そうね。村長の言っていたエールは飲めそうになさそうだけど。


「それじゃあエールを一杯」


 誰も座っていない空いた席に腰を落ち着けて、そのままエールを口に運ぶ。乾いた喉が潤っていく。昨日から何も口にしていなかったから喉を流れたエールが胃を刺激して空腹感を思い出させる。

 ちょうどよいタイミングで運ばれてきた鹿肉のスープ。骨付きでドンッとスープに浸っている。


「そこのあなた、もう一杯エールを追加してちょうだい」


 下働きをしている若い女性がエールが運んできてくれ、


「あなた今日宿に泊まる人でしょ?」

「ええ、そうよ?」


 エールを受け取り返事をする。骨付きの鹿肉にかぶりつきながら店の女性の言葉を待つ。


「今朝の揺れ、外は大丈夫だったの?」

「ああ……地揺れのこと」


 あれほどの揺れ、辺り一帯も揺れていて当然よね。でも村の事はギルドに報告するまでは黙っておきましょう。バニシュ村が消えたなんて言っても信じてもらえないでしょうし、それにあれだけの穀倉地と収穫するはずだった麦が収穫できなくなった。


 事実が知れれば大騒ぎになるわよね。


「寝ていて気がつかなかったわ。連れの子は気づいたみたいだったけど」

「えー! あんなに揺れたのに起きなかったなんて、本当に冒険者なの?」


 一発蹴飛ばしてやろうかしら。こっちの気もしらないで。


「野営続きで疲れていたのよ」

「そうなの。でもよかったね。この店は数日分纏めて食材を仕入れているから」

「おいッ。早く料理を運べ、あとが支えてるんだからな」

「はいよー」


 この町では大きい宿な方だけど、この盛況っぷりは買い付け待ちの商人でしょうね。これからどうなるのか考えたくもないわ。


「ごちそうさま。お願いした料理をもらえるかしら」

「あいよ、鹿肉のスープと大麦パンお待ち。それと」


 あら、私が頂いたスープと同じじゃない。まあ食べ応えもあるし、あの子も一日水だけで走りっぱなしだったから満足してくれるわよね。


 乾いた衣類を腕にかけ、一応ノックを二度、小さくコンコンッとしてから扉を開いて中に。簀巻きになったままで、疲れていたのかしら。


「子供なのによくついてこれたわね」


 スースーと寝息をたてる寝顔に、そっと手を伸ばし頭を撫でた。


「よく頑張ったわね」


 文机にスープを置き、枕元に乾かした衣服を置いて私も自分のベッドで眠りについた。

 久しぶりにゆっくりと身体を休められる。


 ◇◇◇


「おはようございます」


 下女だけあって朝は早いみたい。私も日の出と同じ頃に目を覚ましたのに、すでにこの子は身支度を整えていた。


「おはよう。あなた、名前は?」

「ルーです。名乗るのが遅くなり失礼しました」

「いいのよ、気にしないで。朝食を食べたら荒野の街に向かうわ」


 どこも朝食は似たような野菜だけのスープ。

 食事のあと、乗り合い馬車を探そうと宿を出ると、宿前の通りを何台もの馬車が門へ向かって進んでいく。

 その中に、


「あっ、ルー。あのボロの荷馬車を止めてきて」


 金髪の青年が馭者をする荷馬車に指を差す。


「はい」


 門の手前ぐらいで積荷税を支払う荷馬車の列に混じっていた、こっちに来る時にも利用したいつもの乗り合い馬車。ルーが返事をしてすぐにも身軽な脚捌きで通りを門に向かって駆けて行く。

 あとを追うように私もゆっくりと歩きながらその荷馬車に向かった。


「あー、なるほど。かまいませんよ」


 荒野の街に野菜を卸しに行くと言うので、同乗できないかと話を持ち出すと、すんなりと了承してくれた。木箱の載せられた荷台の空いている部分ならお好きにと。

 足をぷらぷらと揺らしながら、門からぞろぞろと溢れてくる商人たち、小さくなっていく滅びの町を荷馬車に揺られながら見送った。


 そうしていつも通りの額を二人分で支払うと、いつもの台詞が返ってくる。


「毎度どうも! また利用して下さいね」


 門の前で降ろしてもらうのもいつも通り。朝は少し早く移動ができたおかげで昼前には荒野の街に着く事ができた。


「ここがギルドよ。バニシュ村の事や周辺の魔物の事を報告するわ」


 東門から街に入り、ルーを連れて南門通りにあるギルドに足を運んだ。

 今朝の地揺れで冒険者が集まっていると思ったけれど、中はいつも通りに冒険者が依頼に出かけたあとだった。

 二階の酒場では昼間から酒を飲む者もいれば、今朝の地揺れで魔物が活性化している可能性を示唆した低ランク冒険者は一日様子見に徹している者もいるみたい。


「ミーシャ、推薦依頼の報告がしたいのだけど、ガルドさん(ギルマス)に直接報告させてもらえない?」

「かしこまりました。そちらの通路から執務室にどうぞ」


 チラリとルーを見たミーシャ、何も言わないところを見るとルーを相席させても差し支えない様子。

 執務室に入り、頬杖をするガルドさんを見て、何を言おうか一瞬迷ってしまった。バニシュ村の村長とは友人だとミーシャが言っていた事を思い出したから。

 私とルーは黙ってソファに腰を下ろす。ガルドさんは何かを察したのか、両手を組み直して静かに口を開いた。


「今朝の地揺れと関係があるのか?」


 わざわざ直接報告を申し出た事で何かを悟ったらしい。

 視線を合わせて、


「ギルマスには話し辛い内容なんだけど、報告する事は三つあるわ。

 まず一つ、水源調査内容だけど依頼主(村長様)の依頼は水源地の山間一帯の調査だったわ。報告すべき事は山間部の魔物や野生動物の姿はなく、危険はなかった」

「ふむ。姿がないのが気にはなるが、二つ目は?」

「水源の報告よ。井戸が枯れていて当初は理由がわからなかったわ。それで村の近くに流れる川の水源と思われる湖を見つけたんだけど、湧水の量が減り湖が濁り始めていたのよ」

「水量が減り井戸の水脈が枯れたと考えるべきだな」


 唸るように一人思案する様子を見せた。その姿を見ながら報告を続けた。


「それで最後の報告、これは私が纏めた仮定だけど、消えた魔物や野生動物の全て、或いは一部は山頂に身を隠していたと思うわ。理由は今朝の地揺れよ」

「だいぶ揺れたな。街の被害は軽微だから良かったものの、それでも今朝から周辺の町や村の被害報告を調べるよう領主から通達があった」


 面倒そうな顔をしたガルドさん。毎日暇をしている衛兵にでも周辺調査をさせればいいと内心では思っていそう。

 私はそのまま話を続ける。


「地揺れが起きた直後、地面から水が溢れて村や一帯の穀倉地帯が沈んだわ。陽が昇った頃だったから、この子以外は誰も助からなかった」


 険しい表情を浮かべたガルドさん。ただ黙って報告を聞いていた。


「鉄砲水が山から押し寄せ、魔物や野生動物が流されてきたわ。たぶん崖崩れが起きたんでしょう。これが一つ目の山頂に身を隠していたのだと推測する理由よ」

「ちょっと待て。助からなかったとは……」


 目を見開いたガルドさんがようやく事の大きさに気づいた様子。


「言葉通りよ。水脈が枯れたと思われたのは、村長様が言うには井戸を掘り下げても水が出なかったからなんだけど、それは訂正しないといけないわ。たぶんだけど、水脈は地表側に上ってきていたのよ」

「カスタルは、死んだのか……」


 話を聞くガルドさんは上の空。


「ギルマスでしょッ。報告を聞いてよ」


 きつい言い方だけど、今後の対策を練らなくちゃいけない。ルーの言っていた事が気になるから。


「そ、そうだったな。まずは報告を」


 辛そうな表情だけど、自身の立場上職務を全うしようとするガルドさんはさすがとしか言い様がない。私だったら話は後日に、と場を一度収めたかもしれない。


「地表に向かって上昇してきていた水脈が、地揺れで一気に地表に溢れ出したと考えられるわ。瞬く間に水位が上がり村一帯は突然現れた湖に沈んでしまったのだけど、その後二度目の揺れが襲ってきたのよ」

「二度目? こっちは一度だけだったはずだ」


 私の体験とは話が食い違ったけど理由は察している。一度目の揺れは微かに揺れただけだったから、荒野の街まで揺れはなかったのだと思う。


「一度目の揺れは微かだったから、こっちが揺れたと思っているのは二度目の地揺れよ」

「そうだったのか」

「それで、その二度目の激しい揺れのあと、水脈がまた下がったようで水は地面の中に戻っていったわ。言い難いけど、この時水に呑まれた村は水と一緒にどこかに消えてしまったの」


 耐え難い報告内容だったようで、話を切り上げたくなったみたい。


「話は以上か……?」


 まだ報告しなければいけない事がある。

 私は頸を横に振った。まだこれから。三つ目の報告が一番重要なのだとルーが一番理解している様子で手を上げた。


「その子は?」

「名前はルー。村長宅で下女をしていた子よ。偶然早朝の水汲みに来ていて、山から村に戻った私と居合わせたの」


 ルーが自己紹介をしてから話を続けた。


「村長様が言っていました。食料が無い事の方がワタシは恐ろしいと……」


 この言葉で、ガルドさんは身を震わせた。

 追い討ちをかけるつもりはないけれど、私は事実を口にした。


「穀倉地帯も沈んだのよ。いくらかの麦が水面を漂って村のあった場所まで流れてきていたけれど、あれはもう駄目になってるわね」


 友の死を嘆く猶予も与えられない事は酷だけど、この報告でガルドさんはすぐに立ち上がってギルド職員を執務室に呼び出した。

 職員全員が執務室に入り、ギルド内は騒然とした。今までこの様な光景を見た冒険者はいなかったからだ。


 立ち並ぶ職員。私とルーは同席しまま話は続いた。


「職員の皆に告げる。今後入ってくるだろう冒険者の調査報告全てに緘口令を敷く。冒険者全員にも調査報告を洩らさない様に徹底させろッ」


「「「はいッ」」」


 この日の夜、どこかから洩れた調査報告を耳にした領主、貴族たちによって全ての門が閉ざされた後、次に門が開いたのは一月も後の事だった。


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