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43―あの日のマドレー 中

<42―あの日のマドレー 上>に→◇◇◇マーク以下に加筆しました。


 翌朝、村長宅で朝食をご一緒させてもらう事になった。手にしたパンは少し固いけど、スープで弛めずに指で千切る事ができる。

 味も悪くない。いつものパンとは違った風味だけどこちらの方が好みだわ。


「それは大麦で作ったパンだ」


 スープを飲み干して白い布(ナフキン)で口元を拭う村長。私はそう言われていつも食べているパンと何が違うのか、手に持っていたパンを観察してみた。


「違いはよくわかりませんが、こちらのパンは風味が強く好みですわ」

「小麦は所詮大麦に似せた代用品だ。大麦の大は"本物"という意味だ」


 小麦は王都周辺の領地で作られているらしいけれど、この辺境一帯にも多く流れてきている。主に貴族の方々がご所望なのだとか。

 ……にしても大麦が本物と言い切る村長を見ているかぎり、やはり大麦の穀倉地帯を預かる人物(貴族)とだけあって小麦よりも大麦推しなのね。


「大麦といえばエールだと、イメージを強く持っていましたわ」

「うむ。確かにエールにも使われており、上等なエールほどフルーティーな風味が強い」

「風味ですか。私は美味しいエールと出会っていないようですね」

「品の良いエールほど市井()にはそうそう出回らぬ」


 ふんっと鼻息をたてた村長はテーブルに置かれていた卓上ベルをチンッと鳴らした。


「お呼びでしょうか」


 この村長宅には村長の側付きの下男と村長宅を預かっている、昨日出迎えてくれた少女の下女が二人居るだけみたい。下女は村長の傍らに立って用を伺っている。


「少し早いが仕度をするよう伝えてくれ」


 かしこまりました。と短いやり取りの後、


「マドレー殿と言ったか。貴殿が戻る頃には麦の刈り入れが始まっている頃だろう。村の者が総出で穀倉地の麦を収穫する」


 話の要領が掴めず、はぁ……と尋ねるように言葉を漏らすと、


「なんでもない。総出と言っても誰かは村におるだろう。誰もおらぬ場合はここで私が戻るのを待っていなさい」


 村長はそれだけ言うと姿を現した下男を連れて出て行ってしまった。私は残りの食事を済ませてから川の先にある山間部に向かった。


◇◇◇


 丸一日、間で何度か休憩を挟みつつ遠くの山を目指した。

 村を出てすぐは女子供が天秤棒の両端に桶を吊るした物を抱えて川に向かっていく姿を見たが、村から離れると人っ子一人いやしない。

 途中向かう先の景色ががらりと変わったと思うと、黄金の絨毯が風に揺られていた。あれはたぶん村長の言っていた麦の穀倉地帯。中を走り抜けるのは難しいと判断した私は時間がかかるが迂回する事にした。


「あれのせいで時間を無駄にしたわ」


 穀倉地帯は知っていたけど、あれほど広大な土地が麦畑として耕されていたなんてね。

 一日あれば山間の麓には辿り着くと思っていたけど、迂回させられたせいで陽が落ちたと言うのにまだ着きそうに無い。それどころかこのまま進むのは危険。空は星々が煌いているけれど大地を照らしてくれる月は今にも欠け落ちそうなほど。


「明日か明後日、山間に居る間は朔になりそうだわ」


 月の無い夜。新月の日に麦の刈り入れが始まると聞いた事がある。


「それで私が戻る頃には刈り入れの最中だとか村長が言っていたのね」


 迂回したせいで今日は山間の麓には着けず、辺りも月の光が弱くて真っ暗。今日はここで野営ね。

 背中を預けられる程度の岩を見つけ、そこで野営をする事にした。

 持ってきていた魔物除けの香薬液を焚き火の中に放り入れて周囲の魔物を散らしておいた。魔物の嫌がる臭いが煙に紛れて周囲を漂う。


 翌朝も陽が昇ると同時に目を覚ました。背中を岩にもたれ掛けて眠ったせいで体が硬くなっている。村長宅に居た下女に乾燥肉をもらっていたからバッグパックから取り出したそれで軽い朝食を済ませてまた走った。


「もうッ! どれだけ走らせる気よ」


 【防汚】【飛脚特化】で汚れず最速で向かっているが山間の麓に着いたのは昼頃だった。

 迂回したせいで川からもかなりずれてしまい、このまま山の中に入っても水源がどこかもわからない。


「最悪だわ」


 麓は大きな森。この森は弧を描く様に北から南まで東周りで続いている。山岳の尾根も同じく北から弧を描きながら南まで延びている。こんな未開拓の深い森の中を目印もなく水源を探すなんて不可能に近い。

 だけど、


「探すしかないのよね」


 村長からの依頼は水源調査。内容は井戸の枯れた理由ではなく、この山岳と山岳との間、山間地帯でも何か起きてはいないかと言う事。異変があればそれを報告するのが今回の私の任務。

 調べる箇所は川の水源、水量や水質に変化は無いか。

 他は水源に関係する事。最近湧き出したと思える湧水や、逆に枯れた可能性のある湧水。こっち(後者)は溜め池になっている可能性が高いわね。湧水が今も湧いているなら水がどこかへ流れているはずだから。


 しばらく麓の森の中を彷徨い川が流れていないか調べてみると、意外にもすぐ小川を見つけ出せた。おそらくは村まで続いている川の上流がこの小川だわ。

 この小川沿いに山間地帯へと向かう事にした。山に入ると足場が悪く小川を崖下に覗きながら上ることになり、人が行き来できそうな道のりを進みながら目視で小川を確認し続けた。

 山の中にも木々が生い茂り歩みを阻害する。踏み固められた道もなく、獣道なんてみつけられそうにない。


 気づけば山の中腹まで来ていたようで、振り返った先には黄金の大地が広がっていた。息を呑みしばし眺め、また私は歩き始めた。

 小川の先が断崖で途切れ、私は崖の上を見上げた。崖の岩肌は湿り気を残し、チョロチョロと岩肌に沿って水が流れている程度。


「滝の跡よね……」


 水量が少なく水が勢いよく落ちてはこない。それでも岩肌に滲むようにして水は上から下へと流れ続けてはいた。


 崖を登るのは不可能だと思い、また迂回するはめになった。山間地帯の水源調査というだけあって、結局は山の中にある水源に向かい進まされる。


 今度は小川を確認しながら登る事は困難だった。それでも崖が目印となり、小川を崖下の陰に見失っても容易に見つけ出せる。

 迂回して崖上につくと開いた地が広がっていた。同種の木々が円を描くようにして群生しており、その中央には淀んでしまった湖がぽつりと佇むだけ。


この湖畔(ここ)は湧水が湖になったのかしら」


 突然開けた場所。だれかが人為的に造ったものかとも思ったけれど、長い間人が踏み入った形跡もなかった。

 空を仰ぐと木々が邪魔をする事もない。ここで野営をしたいけれど魔物が水を飲みにくる可能性もあるため場所を変えないと。


 陽は落ち始めている。

 早々に野営場所を探しに、ここから離れすぎず近すぎず、山の中に野営場所を求め踏み入った。初夏といえど山の中は冷える。焚き火は水辺でないと山火事の恐れもありよく考えないといけない。

 ……そうなると。


「やっぱりここでいいわ」


 結局湖まで戻ってきてしまった。山の中で木の実や小枝、薪代わりになりそうな木を拾ってきて野営の準備に入る。


「今日は火の番も含めて眠ってはいけないわね」


 睡眠を削り暖をとることにした。干し肉を齧り、飽きたら炙ってみたり木の実を潰してドレッシング代わりに口にする。そうしながら時折空を眺めて朝を待った。

 朝陽が山の反対側から顔を出したようだけど、鬱蒼と生い茂る枝葉が光を遮断する。もう少し陽が昇るのを待ち、干し肉を齧り時間潰す。

 午前中は山陰となってしまう西側は早朝からの調査は難しいみたい。


「飽きたわ。干し肉」


 いつもなら現地で魔物や小動物を狩り食料を調達している。だけど今回は一晩中干し肉を齧っていて気づいた。


「魔物も鳥一匹見当たらないわね」


 十分に陽が差した頃、湖の底を覗いてみた。淀んだ水が光を遮り底が見えない。ちょろちょろと流れる、岩肌を甞める程度の滝の名残が湧水の量が減っているのだと証明していた。

 救いは水源が完全に枯れてはいない事。これなら山間の雪解けで十分水脈を満たしてくれるはず。時間が経てば雪解け水が湧き出てくれるわ。


 水源に関しては減量してはいるけれどすぐにも枯渇する事はないと報告できる。水質は少し淀んでいるけどこちらも雪解け水が湧き出れば元に戻る。


「思ったよりも単純だったわね」


 村の井戸も可能性としては水が戻るかもしれないわ。時間は必要だけど。


「山間一帯の水源調査と言っていたから他も一応見ておこうかしら」


 今日一日、山の中腹から一度山間に下り、また山の中に入って北へ移動し続けた。理由はこの山から流れ出る河川が西に向かって下りたあと北に向かうから。地形を考えれば山間の向こう、つまりは山の東側に全ての川が流れれば直接海に出るけれど、いくつかの湧水は山の西側のこちら側に流れ出ている。

 この西側に流れ出た湧水が川となり全ての河川が西に向かったあと北に向かって緩やかに弧を描きながら王都近郊を経由して一度王都のある中央で大きな湖となる。

 そこから最後に東に向かって開いた河川へと流れ海へ向かう。だから山間を跨いで山の中を北に進路をとれば残りの川を横断できるだろうと考え移動を続けたのだけど……


「これは偶然で済む範疇じゃないわ」


 一日北に向かい山間を縦断していたにも関わらず、昨日と同じく魔物一匹遭遇していない。陽も落ちてしまい今日も山の中で野営を始め、バックパックから手にした干し肉が最後の一切れだった。

 さすがに明日の午前中に食料の調達が出来なければ陽のある内に下山して一度村に戻るしかない。そうなれば麓の森を抜けた頃には夜になる。


「明日は朔ね」


 見上げた空、欠けきろうとしている月。

 今日は火を熾さず木の上で仮眠をとった。十分とは言えないけれど昨日寝ていなかった分、身体が楽になった気がした。

 陽が枝葉を抜けて森林の中を照らすのを待ってはいられず、薄暗い早朝から下山しつつ獲物を探した。


 枝葉が揺れるの音に視線を飛ばしても風が靡いただけ。本当に何も居ない。山の中を北上したおかげで麓の森林は浅い森だった。南に向かえば向かうだけ森は比例して深くなる。

 麓に下りた頃には空腹に加え飲み水も無くなってしまった。水を調達しようにも火を熾す時間が惜しい。湧水なら直接飲む事もできたけれど、川に流れた水は一度煮沸させなければ体調不良の原因にもなりかねない。


「私としたことが……」


 水を諦め、浅い森を抜けようと駆けた。これなら思っていたよりも早く森を抜けられそう。

 森が浅かったおかげで難なく森を抜ける事ができた。森の中も小動物一匹すらいなかった。

 こんな事は今まで生きてきて初めてだ。理由はわからないけど山間一帯に棲む生物の全てがどこかへ移動したか、或いは捕食されたか。


「そんな化け物級の気配は感じなかったわ」


 仮説が定まらない。軍や冒険者が駆逐した様子も形跡も無い。それどころか、


「血の痕一滴すらなかったものね」


 魔物を一呑みできるほどの巨体が居ればすぐに気づくはず。そうなると考えられるのは一つ。


「……自主的に移動した?」


 自分で口にしながらも想像すらできなかった。魔物だけなら起こりえた現象だったかもしれない。

 だけど、


「血走った眼で魔物が暴走する魔群走破(スタンピード)の中にリスやウサギが紛れるなんてないわね」


 兎や栗鼠が村々を破壊して廻る姿を想像して、ふふふっ、とつい笑ってしまった。


「完全にお手上げね。有りのままを報告するしかないわ」


 何かから逃れるために移動を始めたとしても、その何かすら山の中にはいなかった。

 もう考えたところで仮説の一つも立てれそうに無い。


 色々と思案しながら森を抜けると夕暮れだった。一日かけて山の中を北上した分、今からバニシュ村に向かって南下しても到着するのは明け方になる。山の中みたいに足場は悪くない、十分に駆けていける。


「水も食料も無い。せめて飲み水は確保しておきたいわ」


 森から小川が流れてきている。火を熾し飲み水を確保してからでもいいだろうと、夜になる前に森から枝を集めて火を熾した。


 汗で体中ベトベトする。満面の星空の中に月の姿は無い。暗闇の中、水の跳ねる音だけが響き渡っている。


「やっぱり今日が朔の晩だったのね」


 水浴びのあと、火の側に寄って冷えた身体を温めた。バックパックから魔物除けの香薬液が入っていた空き瓶を取り出し、身体を温めながら小川の水で空き瓶を満たして火にかけた。

 煮沸したあと水袋に注ぎ、それを何度か繰り返し飲み水を確保した。


 すっかり辺りは暗闇が支配している。焚き火を消せば方向感覚が狂う程の暗闇のはず。火を消す前に自分が向かうべき方角に向き、空を見上げた。

 一際輝く星を東西南北に見つけだし、それを頼りに南に向かう事にする。火を消した直後、思っていた通り数歩先の視界すら見えない。焦らず、まだ動く事はしない。

 そうしてその場に少し留まった。空腹を感じながら、暗闇に眼が慣れるのを待った。


「今からなら夜明けぐらいには着けるかしら」


 南の空を見上げ、夜目に慣れた頃、星を頼りにまた駆ける。

 この依頼を受けてからずっと走っている気がする。


 平野を走っているはずだけど、やっぱり魔物一匹いない。どこに行ったのかとまた思案しながら進んでいく。

 私の居た荒野の街、西方に向かった様子はない。そうなると北か南、それとも東か。東はあの山を越えても港街があるだけでその先は海だから考え難い。南か北、どちらかに向かったはず。


「でもおかしい。魔物の大移動があればギルドに知らせがあるはずよね……」


 消えた山間一帯の魔物や野生動物の向かった先すらわからない。気づけば夜空の星々が減り始め、時期に夜明けだと報せていた。

 東に眼を向けても山々の背後にまだ陽は昇っていない様子。けれど空には微かな白みが見えた。視線を戻して先を見つめると、


「土手の陰だわ」


 土を盛って造られた堤防が黒い陰となって姿を見せた。駆けながら水袋で口を湿らせ、最後の一駆けに励むと、川のせせらぎが耳に届く。


 陽も昇っていない薄い暗闇の中、川の対岸に一人の小さな人影が見えた。天秤棒の端に水を汲んだ桶を取り付けている。私の姿に気づいたようで、ジッとその場でこちらの様子を窺っている。

 まだ暗くてよく見えていないけど、頭に乗せたメイド帽子が落ちないよう手で押さえつけたのがわかった。


「マドレーよ」


 対岸の小さなシルエットにそう声を投げかけると、


「おはようございます」


 メイド帽を押さえながら会釈してみせたシルエット。彼女は村長宅に居た下女の少女だった。


「そっちに行きたいんだけど橋はないかしら?」

「それなら向こうに」


 川の流れる先に腕を伸ばして指を差す暗闇の中のシルエットは、東の空が明るくなった事で暗闇の中から少女の姿が映し出された。

 下女の示した方に視線を向けると、暗闇では気がつかなかった小船が川に浮いていた。けれど、


「渡ってきてくれないかしら?」


 その小船は対岸の、下女の居る側の岸に打たれた杭に縄をかけて停泊していた。

 コクリと黙って頷いた下女は天秤棒をその場に残し、櫂を器用に操ってこちら側まできてくれた。


「わざわざありがとね」


 小船に乗って腰を下ろすと、黙ってまた櫂を漕ぎ始める。


「橋が無いのは不便よね」


 進行方向を見ながら口にすると、


「田舎ですから」

「そうね。こんなところに橋が架かっているはずないわよね」


 対岸に渡り船を下りた直後、地響きが鳴った。

 低い重低音が足元から響いてきたと思うと、微かに地面が揺れている気がした。ゴゴゴゴゴッと物凄い音がしているわりには言うほど激しい揺れはこない。

 念のためにと、


「収まるまで動いちゃダメよ」


 しゃがんだ状態で片手を地面に付いていると、ジワリと湿る手の平の感触に地面に目がいった。すると微かに揺れている地面からジワジワと水が溢れ出てきているのがわかった。

 すぐにも傍でしゃがみ込む下女の手を引いて土手の上に向かい走ると、川が氾濫したのかと思うほどに水位が膝下まで上がっていた。


 揺れる大地と水が邪魔をして上手く進めない。振り返ると懸命にメイド帽を押さえながら必死に水の中を進もうとしている下女。


「大丈夫よ。早く登りなさい」


 土手の前まで来ると先に下女を土手に登らせ、その背後から私も土手に両手を付いて急いで登り始めた。

 長く感じる地揺れ。それも土手を登っている最中には収まっていた。


「あ……」


 土手の上に先に着いた下女から、小さく盛れた声が耳に届いた。土手の上に顔を覗かせ、そのまま立ち上がって見ると、


「え……」


 私も似たような声を洩らした。川の氾濫は起きていないはず。それを確かめようと登ってきた土手を振り返ってみると、土手から少し下、すでにすぐそこまで水位が上がってきていた。

 時期に氾濫するだろう事は一目瞭然だった。けれどもまだ氾濫はしていない。なのに……視線を村の方へ戻してみると、村のあった一帯はすでに水に浸かっていた。

 誰かが水面に姿を現すかもしれない。そう思い眼を凝らして見ていたが誰も水の中から姿を現さない。それどころか村に居た家畜一匹浮いてこない。


 理解を超えた事が起こった時、人は沈黙してしまうらしい。


「私たちも逃げるわよ」


 しばらく呆気に取られていたけれど、立ち尽くす下女の手を強引に引き寄せ、迫り来る水位から逃れようと歩き始めた。だけど逃れられない事はわかっていた。土手の高さなんて山の尾根のようなチグハグではない。ある程度は高さを揃えて造られた人工物であり、今私が目指さなければいけないのは気持ち高い場所よりもさっきの小船だ。

 あいにく川を下流に向かって流されていったみたいだから、奇跡でも信じて下流に向かうしかない。


 もう土手の両際に下りられる場所なんかなかった。

 それにこの土手自体もそう長くは造られていない。村と穀倉地帯に水害被害がでないように造られた土手なだけあって、川の下流に向かい徐々に傾斜がつけられている。

 小船が見つかるのが先か、土手の先が途絶えるのが先か。


「マドレーさんッ!」


 下女が私の名前を呼んだと同時に、水の押し寄せる音がした。振り返った先、川の上流を見てみると、


「こ、こんなのどうしろって言うのよ」


 土手の高さを優に超える水壁が荒々しい波となって押し寄せてきた。土手を崩し、流木が混じった土色の濁流。森の中の木々を薙ぎ倒してここまでやってきたに違いない。


「川は土手で挟まれていませんが、これはさすがに……」


 水が周囲に散れば助かる。そう言いたいのだろうけど、問題は地面から水が溢れ出していた事。この辺り一帯がすでに水に呑まれた……言うなればこの土手が最後の陸地、すでに陸の孤島と化している。

 下女が半ば諦めかけているのも頷ける。それでも、


「あんたはこれを使って」

「なんですかこれ」


 時間がない。迫る鉄砲水を前に下女に聖職者の女の子が魔封してくれた巻物(スクロール)を手渡した。


「スクロールよ。それであの濁流をいなしてちょうだい」

「使ったことがありません。どうすれば?」

「いいから魔力を込めてッ。あとは勝手に発動するから」


 スクロールに魔封されていた【聖光障壁(プロテクション)】が水を正面からは受け止めず、斜めに水流を逃がすようにして展開された。


「あとは神にでも祈ってなさい」


 私も結界魔法が魔封されていたスクロールを発動させて、下女と私の周囲に半円の結界を施した。

 聖光障壁にぶつかった濁流がゴーッと唸りを上げながら目の前を川のあった地形に沿って進み、流木が障壁に当たりこちらに飛んでくる。それを結界でどうにかやり過ごした。


 水に呑まれて流されていたのは木々だけではなく、どこから吞まれてきたのか、黒い毛皮を纏ったブラックベアや鉄のように硬い牙を生やしたファング・ボア、それに野生の鹿(エルク)までもが結界に衝突しては水の中へとまた吞まれていった。


「どうにかなったわ」


 水の勢いが弱まり、おもわず二人してその場にへたり込んだ。


「腰が抜けて、力が入りません」

「本当にダメかと思ったわね」


 顔を見合わせ笑顔がこぼれた。安堵の直後、今度は正真正銘の激しい地揺れが起きた。地響きが鳴り、相応の揺れが始まる。


「もう身を護れるスクロールはないわ」

「今度こそ神にでも祈りましょうか?」


 水の中から飛んでくる魔物や木々に目を奪われていたおかげで祈る暇なんてなかった。けど今回はさすがにお手上げ。

 腰を抜かしている下女は両手を地面についたまま上流に視線を向けている。私も万策つきたと下女と同じく上流を見ながら成り行きを見守った。

 周囲の水が揺れに同調して波飛沫を上げている。


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