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この世界にラガービールがあったとは、ビール醸造技術がある事に感心してしまった。食に関してあまり発展していないという認識が思考に蓋をし、無意識にないものだと決めつけてしまっていたな。ビールの歴史は古く、それこそ人類最古にして最初の文明と共に発展してきたと言われている飲料だ。発酵して作られるエールがあるぐらいだ、同じ発酵飲料のラガーがあってもなんら不思議ではないか。
ラガーでほろ酔い気分になりながら料理を振舞うのは実に気分がいい。村娘たちも呑めればよかったのだが、腹に宿している事で体調を崩しかねないのでリーサが遠慮させていた。
「あんたの店はいつ開店するの?」
グラスを片手に持つリーサに質問をされたが、誰が見ても品数の少ないを店内を見れば休業状態と気づくか。
いつ頃開店できるのか目処は立っていない。店に並べられた商品はスプーンやフォーク、お玉などのキッチン用品が少しと、ビジネスホテルに置いてあるような小さな冷蔵庫がひとつ。ポーションと薬草ぐらいなら追加で陳列できるが、生活用品が置いていないので雑貨屋らしくない。商品の入荷先がまだ決まっていない事もあり開店を先延ばしにしているのが現状だ。
「商品の補充ができていないからな。生活用品を補填すればオープンしようとは思っているが」
「ダンジョンに生活用品買いにくる人なんかいるのかしら」
難しそうな顔を浮かべたリーサを見ながら、確かに。と納得しそうになったが、そうなるとこの店に客が訪れる事はないのではと不安になったところで、リーサは言葉を続けた。
「とりあえず開店して足を運んでくれたお客さんに何が欲しいのか尋ねてみればいいじゃない。生活用品なんて街でも行商からでも買えるんだから、この店でしか取り扱っていない商品や、わざわざ訪れてくれるお客さんの需要に合った商品を取り扱うべきだわ」
思いもよらないリーサからの助言に今日一の驚きだ。
「なるほど、確かにそうかもしれない」
一度開店してみて客層を把握した方がいいのは俺も納得した。気持ちが先走り仕入先の確保を主に措いて行動していたが、需要のあるものを把握してから仕入先を熟考しても悪くない。
「殺風景な店内もどうにかした方がいいんじゃない? 両際に二段棚が置いてあるだけなんて買い物の楽しみもないわよ」
ふむ。それもそうだ。さすがは靴屋の娘だ、店の事になるとそれなりの経験がモノを言うのかもしれないな。売れ残りは一斉在庫処分で王都を拠点とする商人プレイヤーに卸すが定着していたが、そんなものは仮想世界だからできていた事だ。在庫を抱えてしまうのは今後の経営にも支障が出る恐れもある。ここは気持ちよく買い物をしてもらうためにも店内の改装も考慮した方がよさそうだな。
「色々参考になった」
「気にしなくていいわよ。それじゃあ私たちはそろそろお暇させてもらうわ」
みんなの食事も済み、帰ろうと立ち上がったリーサを呼び止めた。ゲートで帰る気だったのだろうが、その前に渡しておくものは渡しておかないと。
「和服の代金だ。勝手に見積もらせてもらったが、この額でどうだ?」
俺はゴブ村で頂いた礼金から金貨を三枚取り出しリーサに手渡した。和服セットは日本でも安いものなら数万円で購入できるが、異世界ではリーサに頼らないと手に入らないと断言できる。それに疲れていただろうに五人が徹夜して拵えてくれた物だ、少しは奮発しといた方が今後の出来も期待できるだろう。
「代金をもらおうなんて思ってなかったけど、あんたがくれるって言うのなら遠慮なく頂くわよ?」
「もちろん受け取ってくれ。元々契約自体は服を作ってくれる契約期間の話であって、製作してくれた衣類の代金は含まれていない」
「そうだったの? てっきり材料も持参だったから全部込みの契約代金だと思っていたわ」
契約内容の話は三月の間、俺の服を製作してもらうというアバウトな内容で、必要な生地は先渡ししている。糸や針などの細々とした物が要りようになるだろうと必要経費として金貨一枚、前金として一月分の金貨三枚、計金貨四枚をその場で渡してあったが、この流れだと全込みで金貨十枚と勘違いされても仕方ないか。
「さすがにそこまで阿漕な事をしようとは思っていない。この子達の洋服もお願いしたいと思っていたし、今後も贔屓にしたいと思っているぐらいだ」
今回限りの短期契約だと勘違いされては困ると思い、思っている事をこの場で述べておいた。和服の仕上がりを見るまでは、契約が切れた以降の事など考えてもいなかったが、これを着てしまったら今後の出来上がる衣服に期待してしまう。是非ともリーサとは懇意にしておきたいところだ。
「わかったわ。それじゃあこれからは値段を決めておくわ。もちろん製作に移る前に描いた洋服の絵を見せるから、不満があればデザインの変更や値段交渉も受け付ける様にするわ。どう?」
今後は製作に移る前にデザインと値段を知れるのはありがたい。まさか一着目に和服を作ってくるとは思わなかったからな。まぁ着る物がなくてバスローブだし助かったが。
「そうだ。縫製するときミシンがあれば便利なんだけど、ないわよね?」
「さすがにミシンはないな。針なら鍛冶でどうにかなるが、ミシン本体を作るとなると難しい」
「そっか、仕方ないわよね。でもま、みんなが手伝ってくれるから十分手も足りてるし、何より裁縫が早くて上手。急ぎで作って欲しい時なんかも対応できると思うわ。その分少し割り増しで頂くけど。よかったら双子ちゃんとフォールさんの採寸もしておく?」
リーサが双子、フォール、それについでだからとラックの採寸までしてくれていた。ペット用の衣類は作った事ないけど、オーダーメイドでいつでも製作してあげるわ。と商売チャンスは逃さないと言った様子で、ニコニコと笑みを浮かべながら使い魔までも顧客にしようとしていた。
採寸する様子を見ながら、残りの契約金は服が出来上がった時に渡すと言っていたのを思い出した、つまり今日渡す事になっているのだが、その話を口にすると「きちんと翌月に頂く事にするわ。あんたもほいほいと渡したらダメよ。代金を先払いなんて持ち逃げされても文句ひとつ言えないんだから」と、至極全うな事を言われてしまった。
「それもそうだな。店も早々に開店と思っていたところだし、金の管理はきちんとしとかないとな」
さっそく気を引き締めたところで、リーサが近寄ってきて耳元で一言。
「あんたが服の製作依頼を増やしてくれれば私の方からみんなに給金出すけど、どうする?」
何を言いたいのかさっぱり要領がつかめず、小声で聞き返す。
「なにがだ?」
呆れた顔をされながら「生まれるまで働けない状態だから食料もお願いしたでしょ」と言われ、ようやく思い出した。うっかり食料の事は忘れていたが、そういえばゴブが生まれるまでは働くに働けないと言う事だったので飯の方は俺が面倒みるからと言ってリーサに娘たちを頼んだんだった。
娘たちを見たところ元気は元気なので、それならと店の制服を製作してくれないかと頼む事に。明日のお風呂の時間にでもデザインを描いておくから確認してほしいとの事だったので、コクリと頷いておく。
食料の件は洋服作りの依頼を頼んでおけばリーサの方でどうにかしてくれるようなので助かる。リーサも服の代金がもらえると言う事で俄然やる気に見えた。
「お風呂は十時でお願いするわ。それじゃあ帰るわね、ごちそうさま」
双子が気に入ったのか、ギューと二人を抱き寄せてから、風呂の利用時刻を告げてゲートを潜っていった。
フロアと双子は外に遊びに行くといい、三人共口元にマヨネーズをつけたまま出かけようとしたので手拭いで口元のマヨネーズを拭き取ってやると、満足そうな笑みを浮かべて駆け出していった。
「もう一杯どうだい?」
静かになったキッチン。空いたグラスにラガーが注がれ、フォールが手にしているラガーを掴み取り、フォールのグラスにも注いでやる。
「さっきまで騒々しさが噓のようだな」
静寂の中、俺の声が響くような気がした。
「そうだね。こんなに賑わったのはいつ以来だろう」
まるで賑わい余韻に浸るように、静かに口を開いたフォールは、ラガーの注がれたグラスを片手に言葉を続けた。
「鑑定の結果、まだ途中だったんじゃないのかい?」
「そうだな。詳細情報ってのがあったんだが、別にしらなくてもいい気分だ」
気にならないと言えば噓になる。なにが記載されているのか見当もつかないが、今は別に知らなくてもいいだろう。
「そっか。それで、あの子がゴブリンを掃討したときに居た子なんでしょ?」
フロアの事を言っているんだろう。
「そうだ。もう一人が村に帰した少女だ」
「フロアという子は双子と同じ齢ぐらいかな。他のみんなは成人したばかりってところだろうね」
「十五歳から成人だったか。レレイは少し年上だと思うが、まぁそのぐらいだろうな」
「村に帰した少女も無事に保護してあげれたんだね」
「あぁ。フロアが見つけてくれた」
この世界で自身を守る力を持たない者の周りは敵だらけだ。外を出歩けば魔物に遭遇し襲われる危険がある。一人で魔物が闊歩する森林を歩き回るのは勇気が要ったに違いない。俺はニーナに酷な事をさせてしまったとは思っていたが、無事だったニーナよりもフロアの事が気がかりになっていた。
暗い顔をしてしまったのか、少し心配そうにフォールが俺の様子を気にするように口を開いた。
「また何かあったのかい?」
俺はまずゴブリンの襲撃で命を落とした村人が埋葬されていた事を話した。話を聞くフォールは、うん、うん。と頷いてみせた。気がかりになっていたのは、村人の葬儀を避けるようにフロアが村から離れていた事だ。たぶんこれは繊細な話だと思い、あえてフロアに直接聞いてはいない。
なぜフロアが同郷の葬儀に列席しなかったのか、フォールなら何か心当たりがあるのではないかと伺ってみた。
「それはたぶん、獣人だからじゃないかな。あの子は優しそうな子だし、村娘の少女達にも慕われているようだった。でもやはり、亡くなった人を弔うのは残った人の役目なんだと思うよ」
「まるでその言い方だと、フロアは人ではないような言い方だな」
尖った口調で言葉にしてしまったかもしれない。フォールの話す言葉に少し苛立ちを感じて、思った事を口にしてしまった。
「カザミの言いたい事はわかるよ。でも獣人は人ではなく亜人として見られているんだよ。僕は獣人も人も、なにも変わりはないと思ってるよ」
人と似た外見だが、人とは異なる部分がある事から亜人と呼ばれる。ファンタジー小説などに登場するので俺も亜人ぐらいは知っている。獣人族が亜人と呼ばれるのも、ふわりとした毛で覆われた尻尾や耳があるからだろう。
「すまない。フォールに八つ当たりする様な言い方になってしまった」
俺の居た世界でもどれほど平等だと謳おうが、差別意識はどこにでも存在していた。それを実感しないよう、されないように意識して過ごしていただけだ。安穏のした日本と違い、他国では差別が問題視される事も度々ある。こっちの世界では、水面下で扱われていた事が表層化しているだけに過ぎないことだ。
「カザミの世界では、種族の違いで問題視されるような事はなかったのかい」
どこか遠い国の事。俺には関係のない事だと思って過ごせていた日本でも、学校、会社、一つの空間に多数の人間が集まりその空間を共有するだけで、異物だと感じ取られれば差別は表面化する。誤魔化そうとしても、大小の違いはあれど、必ず何らかの軋轢が生じてしまう事なんだ。
「種族か・・・俺の居た世界で言葉を解す種族は人族しかいないんだ。だがその人族でも肌の色や生まれた国の違いで差別意識は確かにあるな」
「この世界でも同様で、そういう事なんだと思うよ」
とても簡単で単純、子供でも理解できる話。ただそれが人なんだというだけ。俺はこの話を深く掘り下げるのはやめておいてた。これ以上話を進めても、行き着く先は矛盾と混沌だけ。俺が獣人に寄り添おうとも、他の大勢の者が獣人に寄り添わなければ意味をなさない。大に連なるか、小に寄り添うか、どれだけ偽善を振り翳そうが、ほとんどの人間は大を形成する一人として生きていく事を選ぶのだろうから。
「十分理解できた。できたんだが・・・納得はできないだろうな。だから俺は、俺を慕ってくれる者に寄り添う事にでもするかな。せめて自分を嫌いにならないでいられる」
「ふふ。カザミならそう言うと思ったよ」
フロアの事は十分理解できた。俺には奴隷や差別への免疫がないんだと理解すると同時に、街で見かけた獣人のそのほとんどが奴隷だった事を思いだし、何もできない自分を庇うよう頭の中を振り払った。
「今はそれでよしとするか」
ニーナの事を話そうか迷った。フロアが人の臭いがすると言って駆け出して行ったあと、俺はその後を追った。その時の俺は、危険があるとすれば巣を半分奪われ激昂していた蜂か、魔物ぐらいだと思っていたが、別段気にする事もなかった。走り出して数十秒の場所にニーナが身を縮めて座り込んでいたからだ。
行く宛てがなく村から遠く離れる事もできず、だが村に帰る事も許されず、どうすればいいか考えも纏まらず、ただじっと座っていたようだ。いくら十五歳で成人だと言っても、一人原っぱに放り出されればこれが当たり前の子供の反応だ。こんな話をわざわざフォールに聞かす事もないか。
ただいまー。と子供達の声が聞こえ、思いのほか早いお帰りにどうかしたのかと思っていると、子供達の中でフロアが泊まっていく事が決定しているらしく、これからお泊りの準備を始めるようだ。一応フロアの両親に連絡をと思ったが、フロアは村長に育てられた捨て子だという事を今頃知った。捨て子を育てる優しさはあるのに、葬儀には出席させない。なんとも矛盾している話だと思うんだが、村人の中で獣人を快く思わない者でもいるのかもしれないな。
「それでいつ開店するんだい?」
子供達が二階に上がっていき、その姿を見届けてからフォールが口を開いた。二階はドタバタと騒々しいが、今日ぐらいは好きにさせてやろう。同じ年の頃の友達ができたのは宿屋の娘ぐらいだったからな。
明日は一日子供達は遊び通す気でいるだろうし、明後日でいいだろう。俺も明日は麹菌があるかゴブ村を覗きに行く予定だし、改装の方は丸テーブルを三つぐらい追加配置して商品を置けば少しは見栄えもましになるだろう。
「明日は一日俺も忙しくなりそうだしな・・・明後日は一日ゆっくり休暇をとりたいところだし、早くても三日後だな」
そう言った俺は、早めに風呂に入る事にした。徹夜明けのラガーが堪えたようだ。




