35―熊鍋が美味しい
「あったかいね」
「うん、気持ちいい」
「あー、生き返る」
簡易風呂に浸かる三人。両腕の血脂を洗い流す双子、薄赤く変色する湯船。
「カザミー。聞きたい事があるんだけどさ」
背中を湯船の中の岩肌に預け、両腕を広げるライドが声を投げかけてきた。
俺は吊るし鍋の前で湯が沸いたか確認している。沸々とこちらにも気泡が現れ、湯気が発ち込め始めた。
「なんだ?」
「あれって地竜だよな?」
「岩壁のあれか?」
「そうそう。あれ、カザミがやったのか?」
「そうだ。力加減が難しくてな」
一人鍋をする時は鶏肉を下茹でする派だったんだが、熊肉もそうした方がいいよな? 熊鍋なんて初めてだから勝手がわからん。
湯の沸いた鍋とにらめっこをして微動だにしない俺。下茹でしとくか?
「もう驚きはしないけどさ、突然襲ってきたりはしないよな?」
どうだろうか。その辺は気にもしてなかったが、あいつ竜のわりに横槍ばかり入れてくる姑息な竜だった。
「気を失っているだけだ。目覚めたら襲ってくるだろうな」
なんたって前科があるからな。有り得ない話でもないだろう。
恐がらせる気はなかったが、ライドの顔から血の気が引いていくのがわかった。内心は、のんびり風呂に浸かってなんていられないだろうな。
地竜の立体壁画を見ている双子は、
「ぜっけい? って、こういうことなのかな」
「ここでしか見られない景色が、ここにある」
絶景とまで口にして動じていない双子。二人がまったりしているのに、自分だけ風呂から上がる事はできないのだろう。こりゃあちょっとした我慢比べだな。
「そういえばさ、フォールって伝説の大賢者なんだよな?」
「僕かい? そうだね」
気を紛らわすために会話を続けていたいのか、話をフォールに振ってどうにか間を埋めているように見える。けれど俺も気にはなっていた大賢者の話だ、ライドには悪いが少し聞いてみるか。
「伝説って?」
「親が子に聞かせる子守唄みたいなものだよ」
偉業を口にするのは気恥ずかしいのか、それとも黒歴史的な何かが隠されているのか。フォールは伝説の内容については、はぐらかされてしまった。
何をして伝説になったかはどうでもいいか。賢者と言えば若返り魔法や老いない魔法ってのを自分にかけているイメージがあるんdなよな。
「フォールの見た目と年齢にはズレがあるのか? 俺と変わらないぐらいに見えるんだが」
少々質問が唐突すぎたな。
伝説の大賢者、まさに王道ファンタジーだろ。ファンタジー要素が出てくると、つい心が弾んでしまう。
「賢者に会ったのに、まさか最初の質問が年齢だとはね」
ですよね。しょうもない質問でなんかすまんな。
フォールはクスっと笑い言葉を続けた。
「僕の年齢を聞いたらビックリするよ?」
その言葉だけで俺は満足ですわ。
「帝国暦だったか? それが三百数十年ぐらいだったはずだ。そのぐらいだと考えていればいいのか?」
ざっくり三百歳か。
「このディメール王国も帝国暦を採用しているんだけど、実際はディメール王国の方がずっと長い歴史のある国なんだよ」
「そうなのか、まぁ時間はあるんだし、食事をしながらじっくり聞くさ」
三百超え確定しました。
猿から人類までの進化絵、あれフォール一人で単独進化を成し遂げてたらまさに伝説だわ。
やばい、単独進化に成功したのか凄く聞きたいけど、顔見たら笑ってしまいそうだ。
「僕も色々とカザミに聞きたい事あるんだよね。それも後で聞かせてもらうよ」
熊肉の下茹では済んだが、物凄い灰汁の量だ。熊肉はクセのある肉だとは知っているが、これが本当に美味いのか怪しくなってきた。
お風呂組三人がさっぱりした様子でこちらに戻ってくる。着ていた衣類がずぶ濡れで歩き難そうだが、
「かじゃみ、ふくものない?」
出しておくのを忘れていたな。
「悪いわるい、これ使ってくれ」
ずぶ濡れ三人組にタオルを渡すと髪をわしゃわしゃしてから顔を拭いている。双子はタオルを椅子の上に置くと濡れた衣類を脱ぎ始めた。
ライドも鎧の中はずぶ濡れなのだろう。カチャカチャと留め具を外して鎧を脱いでいく。
ロロアは荒野の町で購入しておいたサロペットや下着類があるからそれを渡して着替えさす。トトの着替えはないのでフォールに聞いてみたが、今着ている一着しか衣服はないらしい。
一年の間これ一着って、さすがの俺でもまっさきに買いに走ったぞ。
トトにはタオルを巻いて少し待ってもらった。双子の衣服を風呂の残り湯で簡単にバシャバシャと洗い、水袋の水で綺麗に洗い直す。
「フォール、風魔法で乾かしたりできないか?」
洗い終わった二人の衣類をフォールの前に持っていき声をかけた。
「できるよ。この中に入れるといい」
指先をトンっと下げると、子供の高さぐらいの小さな台風を創り出した。まさにザ・魔法って感じだ。俺を殺しにかかった危険な魔法ではなく、普段の生活をする上で十分に役立ちそうな魔法だった。
その台風の目になった部分に衣類を放り込んでみると、グルグルと廻る台風は衣類を乾燥させていく。小さな台風の足元には脱水された水が滴り周囲に散っていた。
近くに立つと温風なのが肌で感じられた。これはあれだ、洗濯機が作れそうだ。
風が止み小さな台風は縮んで消えていく。
台風のあった場所には先ほど放り込んだ衣類が一箇所に纏まっていた。衣類を手に持ってみると、まるで青空の下で干していたようなフカフカな手触りをしている。
ロロアの衣類は鞄に仕舞い、黒衣だけは渡しておく。トトにも乾いた無地の白Tシャツと青っぽいズボンを手渡し着替えさせる。
最近子供の扱いが板についてきた気がするな。
二人の着替えも済んだところで下茹でしたベア肉を水の張った鍋に放り込んでいく。少し獣臭さが残るがもう一度煮込めばましになるだろうと、次に野菜を入れようとしたらロロアが首を振りながら口を開いた。
「ゆうきゅうそうつかったら、おいしくなるよ」
俺は野菜を鍋に入れるのを止め、先に悠久草を鍋の中に放り込んでみた。
「これでいいのか?」
「うん。それいれるとね、おにくがおいしいの」
吊るし鍋の焚き火で着ている衣服を乾かそうと必死に火に近寄っているライドが、
「薬草とかを入れると肉の臭みが取れるんだよな」
少し冷えるな。と俺の服も乾かしてくれアピールをしたライド。熊鍋が出来上がる頃にはタンクトップぐらい十分乾くだろうと聞き流す。
「なるほど、確かにベア肉はクセのありそうな肉だしな」
悠久草は香辛料や香草の様な仕事をしてくれるのだろう。肉の臭みとりにはよく香草が使われたりするからな。
「ロロアがやってあげる」
お玉を手に悠久草の配置位置を変え始める。肉の上にこんまりとのせられていた悠久草を一枚一枚丁寧に肉の下に潜り込ませていた。
鍋から臭っていた獣臭さが悠久草の匂いで中和されていく。鍋が煮立ってきたところで、
「うん。いまおやさいいれるの」
「なるほど、それは入れたままでいいのか?」
悠久草を見つめて言うと、
「うん。これもたべれるんだよ」
それからは野菜を鍋いっぱいに放り込んで、一度鍋蓋をして具に火を通していく。
「味付けはどうすればいい?」
ロロアに聞くと首をかしげてしまったので、焚き火の前で動かないライドに聞いてみる。
「俺は薬草と塩で煮込んだのしか知らないが」
フォールにも聞いてみると、ライドと同じで薬草と塩が主流のようだ。
味噌があれば、さらに美味しい熊鍋になりそうだと思いながらも、鍋全体に火が通ったところで塩を指で数摘み入れておく。
「こんな感じか」
少しばかり煮立たせていると鍋蓋がカラカラと揺れ動き始めた。中から湯気が昇ると、
「いいにおいだね」
満足そうにロロアがそう言って、
「うん。なつかしい匂いだよ」
トトが匂いにつられて寄ってきた。
蓋を開けるとフォールとラックもこちらに顔を出した。熊鍋は上手く完成したようだ。
焚き火の周りに丸太椅子を置いていくと、我先にと双子はちょこんと腰を下ろした。早く食べたくてしょうがなさそうだな。
「「おいしいー」」
「うん。これは絶品だね」
皆で鍋を囲み熊鍋に舌鼓を打った。
熊肉の旨味が汁に溶け出している。それに香草がわりの香り付けがよかったのか、鼻から抜ける清涼感がたまらない。
「なぜフォール達はダンジョンに残留しているんだ? あれだけの力があれば地上に出るのも簡単な事だろ?」
好きでここに居るとは言っていたが、どうしてなのか理由はまだ聞いていなかった。
俺は開口一番にそれを聞く事に。
「僕たちは自分たちの意思でここに居るんだよ」
器の中の具を匙で掬い上げる。
ラックが言っていたように、トトはゴロゴロと大きめに切った肉が好みらしい。ロロアは薄くスライスした肉を器の中で器用に畳んで口に運んでいる。
ライドは食事をしながらフォールの言葉に耳を傾けていた。
「地竜の棲処先に僕たちの住んでいる家があるんだよ」
ダンジョン出現時に呑み込まれたと考えられる店の事だろう。ホームレス先輩だとか勝手な妄想をしていただけに少し申し訳ない気持ちがあった。
「それでここに居座っているのか?」
「そうだよ。それに地上に出ても領主の方は僕たちの事を善くは思っていないだろうからね」
どっちにしろ地下に居る方が何かと都合がいいのか。
「フォールも大変だな」
「たまに兵士が店に来ていたぐらいさ」
「兵ぐらいなら簡単にあしらえるだろうな」
「一度だけ強行してきた事もあったけど、ラックが追い払ってくれたからね。僕は兵士が怪我をしないように見守っていただけだよ」
ダンジョンに居る理由を聞き終えると、手にしていた器の中は空になっていた。ロロアがニコニコと二杯目をお玉で掬っている。
「トトもおかわりする?」
「うん、この熊鍋おいしい」
「俺にも注いでくれ」
「私もお願いする」
「僕ももらおうかな」
「俺も俺も」
皆が一斉におかわりを頼むものだから、ロロアが少し困った顔をして、
「ちょっとまってね。じゅんばんだよ」
自分の器を丸太の上に置いてから、空になった器を差し出されたロロアは順番に具材を注いでいっった。ラックが口で器を咥えながらロロアの足元に運ぶ姿が印象的だ。やはり小犬の姿でいるときは犬らしくなってしまうのだろう。
ラックの器にも並々に具材を注ぎ、ラックの食べていた場所に器を置いてあげていた。
「エールでもどうだ」
鞄からエール瓶を取り出しライドとフォールに手渡してやる。
「こりゃありがたいな」
「鞄の中に入っていたのに、ここまで冷えているなんてね」
二人は瓶の蓋を開けて喉を潤した。
大賢者も酒飲むんだな……。
「ロロアたちは水で我慢してくれ」
ロロアに水袋を手渡しておく。
「ありがと」
さっそく栓を抜いて水袋をトトに手渡していた。小さくてもお姉さんだな。
「水用の器がいるな」
鞄からもう一つ器を取り出しラックの前に置いてやった。
皆に飲み物を渡したところで、俺もエールを頂くとしよう。蓋を開けゴクゴクと喉に流し込んでいく。酒を口にしたのはいつぶりか、黙って草原に居た日を少し思い出していた。
「ぷはーっ。熊鍋にエール、最高だ」
ライドもエールを片手に熊肉を頬張り、それをエールで流し込み満足そうにそう言った。
「このエールも熊鍋も、実に美味しいね」
フォールもエールを気に入ってくれたようだ。
「いつものくまなべよりおいしいの」
「うん、こんなおいしい熊鍋は初めてだよ」
ロロアとトトも熊鍋を絶賛している。
「たぶん出汁をとっているからだろう」
そう言って鍋の底で悠久草で隠れていた昆布を取り出した。
「それでおいしくなってるの?」
「悠久草で獣臭さは取れているが、この汁の決め手は昆布の出汁だな」
ほとんど空になってしまった鍋の中に昆布を戻した。
「かじゃみのつくるごはんは、なんでもおいしいね」
なんだか褒められると照れくさいな。
「まだ食べるか?」
「うん! まだまだたべるの」
空いたエール瓶に名残惜しそうにしているライドだったが、
「俺もまだまだ食える」
ニカッと笑うライドのタンクトップは乾いたようだ。
俺はテーブルの上にカットして置かれている具材を取りにいく。
「ロロア、こっちにきて手伝ってくれ」
ロロアに野菜の入ったボールを持ってもらい、俺は肉を運ぶ。熊肉は下茹でしないと灰汁で大変な事になるので別の鍋で下茹でを先に済ませる。
その間にロロアが空いた鍋に野菜を入れて煮込み始めたので、期待の眼差しを向けるライドためエール瓶を配ってやる。
エールと野菜で肉が放り込まれるまでの間を埋めていると、
「そろそろいいよ」
下茹でをしていた鍋を見ていたロロアがそう言って、熊鍋の方へ乾燥昆布と悠久草を小さな手でパラパラと散らし、塩で味を調え追い出汁を済ませていた。
肉を鍋に放り込んで二杯目の熊鍋を前に、俺もエールを流し込んでいると、
「今、地竜の目が開いていた様な気がするんだが」
「少し前から目覚めてた」
ライドの言葉に鍋を見上げて、肉はまだかとソワソワしていたラックが応えた。
「まじでか……」
「気にしなくて大丈夫」
ラックは平然とした様子で鍋が煮えるのを待っている。
「大丈夫だよ。僕達が去るのを待っている様子だから」
チラッとフォールが地竜を見ると、目を閉じて狸寝入りを披露した。
「あの地竜が怯えているって、いったいどんな事をしたんだよ」
「あれをしたのはカザミだからね、僕じゃないよ」
そう言ってフォールはクスッと笑った。
ズズッと器の汁を呑み干したライドは俺に視線を向けて思い出した様に口にする。
「そういえば、あの地竜の姿で忘れていたが、あの高さから落ちても無事だったんだな」
「どうにかな。さすがに一瞬は死を覚悟したが」
俺はチラリとロロアの姿に目をやっていた。約束をしていなければあの時……あのまま諦めていたかもしれない。
今もまた、草原で俺の顔を見上げていたロロアの姿が思い出された。モジモジとしていた子供が「トトロさがすのてつだって」だもんな。
忘れられない約束になったよ。
「なんにしても無事でよかったな」
「かじゃみなら、だいじょうぶってしんじてた」
口の中を熊肉でモゴモゴとさせながら口にしたロロア。それを見て出来上がったのだと鍋に手を伸ばすライド。
下を向いた俺は、二人に聞こえるか聞こえないか程の小さな声で、
「あぁ、ありがとな」
顔を上げるといつの間にか消えていた姫騎士のレイミアと、その取り巻きがフォールが現れた空洞から姿を現した。
「騎士の三人が戻ってきたみたいだね」
フォールが姫騎士たちに気づき言葉を漏らした。その横で野菜の入ったボールを抱えたロロアが、
「おやさいたしとくね」
肉はたんまり入っているが、野菜類は間を埋めるのにつついていたから空っぽになっていた。ロロアに「あぁ」と相槌を打ったあと、
「みたいだな。人を寄せつけたくないんじゃなかったのか?」
「そうだけど仕方ないよ。それにあの三人が最深層に下りたところで、店以外大して何もないからね」
それなら俺を殺そうとしなくともよかったんじゃないのか? と思ってしまう発言だったが、
「ちゃんと店の戸締りもしてきたよ。ねぇラック」
「うん。心配ない」
トトとラックは誇らしそうにフォールに報告を入れていたが二人を見て、そういう事か……と納得した。たぶんあの時は下層にトトを置いてきていたからだろう。今は一緒に居るから然程気にはしていないのか。
トトに「偉いね」なんて声をかけているフォールをよそに、
「あのまま行かせていいのか?」
「どういう意味だ?」
ライドが俺に聞いてきた。引き返す者を止める必要はないだろうと思うが一応聞いてみた。するとライドは冒険者らしい目線で三人を捉えているようだ。
「ロロアちゃんと二人で居る時、騎士団が引き返して行くのを見たんだが、外はもう陽も沈んでいる頃だ」
どこを見ても岩壁の空間の中、岩の天井を見てライドがそう口にした。「それで?」と相槌を打つと、
「あの三人は食料も持っていない様子だし、ろくに休みもせず三人で夜のダンジョンを戻るのは危険だと思うんだが」
昼間であろうと光が差し込まない地下はずっと真っ暗だ。今はロロアに持たしていた光球と俺の現出させていた光球が空間内で浮遊している。それに騎士団の魔法使いが何かしたのだろう、岩壁がほどよく光を放ち空間内を照らしている。
外はどうあれダンジョン内の魔物は昼夜関係なく危険だとは思うが……
「レイミアだったか、少し話しをしないか?」
空間の中央付近で熊鍋を囲んでいるため、否応にも姫騎士たちは反対側の空洞に向かうため俺たちの傍を通過する事になる。
そうして近くまできたレイミアに声を投げかけたが、レイミアの方から俺たちの方へと近寄ってきていた。
「奇遇だな。私も確認しておきたい事があったんだ」
レイミアが真剣な表情で丸太椅子に座る俺を見下ろしている。どこかピリピリとした空気が漂いシリアスな雰囲気とは裏腹に、沸騰した鍋が鍋蓋を揺らした。
「おやさいいれたのわすれてた」
サッと手を伸ばした俺はすぐに鍋蓋を外した。




