29―地下五階層 勇敢なロロア・下
足の裏から妙な感触が伝わってくる。
辺りに散らばったアンダーベアの肉片をグチャリと踏みながら、滑りとした血溜まりですべりこけないよう岩壁に右手を当てて進んでいた。
どうやらこの先は洞窟とでも呼ぶべきか、想像を絶するほどの大きな入り口が開いている。
天井が無いのに光が差し込む事の無い崖底はどこか孤独を感じさせたが、この洞窟に感じた最初の感情は畏怖だった。
岩壁に添えた掌からジワリと感じる汗が気持ち悪い。恐れを抱いたのは確かだったが、その感情が俺の歩みを止める事はなかった。
そのまま洞窟内でも掌を岩壁に添えながら進んだ。
岩壁の中がたまに、うっすらと発光している。他にも白桃色の濁った水晶のような塊が岩壁から突出していた。
発光して見えている光景に、ロロアと出会った草原をふと思い出した。
「草原の草も光ってたな」
俺にはチラホラと見えていた光だが、あれだけ悠久草を採集したロロアなら、この光景は夜空に輝く星々の様に見えるのかもしれないな。
発光している岩壁の中には鉱石の類が埋まっているのだろう。それに水晶の様な塊はおそらく岩塩だろうな。
砕いて味を確かめたわけではないが、知識にある岩塩と見た目が酷似していたので一目でそうだと思った。
二人と合流するのが先だと思い、鉱石も岩塩も今は採取している場合ではないので、光球を頼りに洞窟内を徘徊する。
起き上がってからそれほど時間は経たず、手を添えている岩壁に開いていた空洞を光球が照らし出した。
どこにも繋がっていない崖底でも、ただの洞穴でもなかった洞窟に一安心しながら、他にも空洞が開いていないか光源の届く範囲に視線を飛ばし周囲を確認した。
すると傍に開く空洞とは別にもう一箇所、極端に言ってしまえば突き当たりだと思っていた岩壁にも空洞が開いていた。
「どっちに進むべきか」
一箇所だけなら悩まず進んだだろうが、二箇所あるなら話は別だ。入る空洞を間違えるとアンダーベアの居た地下三階層のように、何度も同じ場所を彷徨う事になりかねない。
ただの一本道が続いていれば運が良いが、ちぐはぐに枝分かれした空洞だった場合は、その空洞を一つひとつしらみ潰しに回る事にもなってしまう。
地図を手に正確な道筋を辿ってきた分、そうなる事だけは避けたいと思ってしまう。あの騎士団、確かバレッドだったか。よくもまぁ地下三階層を地道にマッピングしたものだな。
姫騎士が進んだ空洞をあえて最後にでもしたのだろうか、そこが正解だとマッピングの途中から薄々感じ始めていたはずだが、それでも迂回してくるかもしれない姫騎士のため最後に回したのだろう。
忠義心の厚い男だが迷宮には不向きだな。彷徨う分だけ臭いを残し危険は増す……そうか!
俺の中で何かが閃いた。
「よし。魔物でも探すか」
どちらに進むか、具体的な閃きではないが、目印になる物があれば闇雲に進むよりは幾分かましだろう。そう思い、未だ右か前かで悩んでいた俺は、探知察知で魔物がいる方角を探った。
行き止まりかもしれない空洞を進むより、冒険者を待ち構えているだろう魔物のいる方に進む方が、二人に合流できる確立が高くなるだろうと判断した。
レーダー表示された探知察知の端の方に赤い光点が一つ表示され、魔物の存在を認識できた。
少しの間レーダーと睨めっこをしながら、その魔物が自身の縄張りを徘徊中なのか、それとも拠点で待ち構えているのか確かめる。
どうやら移動している様子ではないようだ。じっとその場に留まり続けていたので、俺はその魔物を道標に前に開いた空洞に向かう事にした。
傍に開いている空洞はレーダーの右に向かって開いているので魔物の居る方角から外れてしまう。もちろん枝分かれした空洞があるならば、それが魔物の居る方角へと続いている可能性もある。
それでも単純に直進したいと言うのが、人の性ってもんだろう。急がば回れと云う諺はあるが、あれは安直に危険を犯してな近道をするよりも、安全に遠回りを選んだ方がかえって得策ですよと言うだけだ。
「危険しかない迷宮で、ことわざが通用すると思うなよ日本人ッ」
すでに関係の無い世界の事を当て擦りのように口にしてしまったが、俺の言葉は洞窟内を反響してブーメラン的に戻ってきただけだった。
なんにしろ前の空洞に入ってみると俺は運が良いのか、光球が照らした空洞内は真っ直ぐ伸びる一本道。
宝くじでも当たった様な歓喜が込み上げてくる。光球を先行させて内部を確かめてみると、遮蔽物もなく奥まで浮遊していく。
光球から発せられる光量が小さくなり、かなり奥まで続いているのがわかる。
奥行きは申し分ないほどに、探知察知に映った魔物の傍まで伸びている事は間違いない。これは見事なまでの当たり道を引き当てた。
たかだか二分の一、されどこのダンジョンでそれを引き当てた自分に酔い痴れそうになる。これはすぐにも二人と合流できそうだと確信した俺は、奥へと飛ばした光球を一度自身の元へと引き寄せた。
光球の位置は自由に変える事ができる。位置をある物体とリンクさせると、光球はリンクした物体の周囲を照らし出すように、移動する物体に対しても自動で浮遊移動を続けてくれる。
落下前に慌ててライドに光球をリンクさせておいたから、二人もどうにか先に進んでいてくれているだろう。
二人も深層に向かって進んでくれているのなら時期に会えると思いつつ、俺は一本道の空洞を最奥に向かって進んだ。
迷宮と呼ぶに相応しいほどの横穴が噓のように一つも開いていない。
まるでこの先に居る魔物に呼ばれているような気になってくる。
「ゲームだったらセーブしておこうと思わせるシチュエーションだな」
◇◇◇
ゴブリンを丸呑みする、食事中の蛇型の魔物と向かい合ってしまった。
視線を逸らさずにゆっくりと後ずさるが、シャーと威嚇して動く事すら許してくれそうにない。
動けば餌と化したゴブリンを捨てて奴は問答無用で俺たちを襲ってくるだろう。
迂闊には動けない。だが奴がゴブリンを喰い終われば、次は俺たちだという事は明白。
「こんな巨大な蛇型の魔物は今までいなかったはずだ」
カザミが倒したアンダーベアと同じ亜種なのか、それともダンジョン特有の新たな魔物なのか。亜種ならば地下蛇の進化か、新種だとすれば地下大蛇とでも名付けておくか。
思考は十分にできていたが、圧倒的な存在に言葉通り<蛇に睨まれた蛙>の様に身動きが取れなくなった。
どうしたものか……悩める俺と違い、後ろに控えるロロアちゃんはそうではなかった。
「いまやれば、いいんだよね?」
いったい何の事だと思ったが、先ほど説明した作戦を実行しようとしているのだとすぐに考えが至った。
今は手を出してはいけない。そんな緊張の中、声を小さくし、できる限り蛇型の魔物を刺激しないように言葉を口にしようとしたが、ロロアちゃんは隣にひょこりと姿を現すと、蛇型の魔物に向けて杖頭を構えた。
突然俺の背後から姿を現したロロアちゃんに警戒したようで、喰らったゴブリンで喉元を膨らませていたと思えば、丸呑みにしてゆっくりと味わっていたゴブリンを一気に胴まで流し込んだ。
すると残りのゴブリンを放り出すと、頭を高い位置まで伸ばして警戒態勢に入ったみたいだった。
その場で崩れ落ちた二体のゴブリンは絶命済み。目を覚まして俺たちにちょっかいを出してくる事はない。
となればこの蛇だけ。絞め上げられれば鎧ごと絞め潰すことも容易そうだ。
前衛として盾になるとは言ったが、覚悟を決めた一戦目からこのプレッシャーとは……
俺の思いは露とも知らず、ロロアちゃんは先ほど話した前衛、後衛としての役目を果たそうと、魔法を現出させた。
「ふぁいあーぼーる」
杖頭の先に現れた火球は、小さな火球から徐々に大きく膨らんでいく。すぐ隣に居るロロアちゃんが前に突き出した杖でファイアボールを現出させたものだから、鎧がその熱を帯びてしまう。
「なんか、さっきとちがうよ」
ロロアちゃんの現出させた火球に見覚えがあったが、今は絞め殺される前に蒸し殺されそうだ。
火球の表面に現れている炎が火球の内と外を移動し始め、火球そのものが外囲の炎を喰らいだした。
太陽の如く荒れる炎が、渦巻く大きな火球へと変わっていった。
戸惑うロロアちゃん、劫火を纏う火球、蒸される俺。
魔物はロロアちゃんの魔法を脅威と捉えたようで、火球がそれ以上大きくなる前にロロアちゃんに襲い掛かろうと視線だけでロロアちゃんを標的にしていた。
そのまま頭部は高く上げたまま、胴体で地面を這うように進んできた。が、一歩遅く、空洞の中に収まるギリギリの大きさまで大きくなった火球が、魔物に向かって放たれた。
もう少し魔物が動くのが遅ければ、俺は間違いなくあの時の二の舞になっていたはず。
苦い思い出が脳裏をかすめる中、蛇型の巨大な魔物は地面を這っていた胴から尾を残し、頭上に伸びていた頭部は火球によって消し飛ばされた。
ロロアちゃんは自身の放った火球に固唾を呑んでいた。
火球は魔物に衝突しても勢いを弱めることなく、空洞の奥に向かって飛んでいく。どこかの岩壁にでも衝突したようで、轟音と熱気を帯びた爆風がこの地下五階層を走り抜けた。
盾に二人で身を隠し、爆散した熱気を凌いだ。
「ハハハッ。今のは大鬼が使っていた炎獄の火球だよ」
もう笑うしかなかった。詠唱も無しに上級魔法と並ぶほどのこの威力。
「ふぁいあーぼーるって、となえたよ?」
「リロードマジックで杖に蓄えられた魔力が火球を上位魔法にまで底上げしたんじゃないかな」
俺の常識が完全に消し飛んでしまった瞬間だった。ハハッ、アーハッハッと大きな声で呆れたように笑い声を上げた。
魔力が魔法を昇格させたなんてのは只の推測だけど、間違っていないと思う。
「魔法学院なんか必要なくなっちまうな」
俺はポツリと呟きながら額に手を当て俯いていた。
ロロアちゃんの放った火球は、俺の知る魔法から根本が違っている。魔力で魔法陣を形成し、その陣に刻まれた魔法文字が特定の魔法を具現化させる。
魔法の扱えない俺でも知っているが、ロロアちゃんのは無詠唱、無陣、そして相応の魔力が魔法を昇華させていた。
さっきのは杖の魔力が尽きたから勝手に放出されただけで、ロロアちゃんが放とうとすればただの火球程度でも放出できていたはずだ。
「ライド?」
俯き思考していた姿に、急にどうしたんだろう? と心配そうに声をかけてきてくれた。
俺の想像を絶する領域があるを知ってしまった。俺もカザミやロロアちゃんの立っているその高みに届くだろうか……
ロロアちゃんの力はカザミからの借り物だとわかってはいるが、大きな蛇に怯んでしまった俺とは違い、ロロアちゃんには戦う意志があった。
そして臆する事なく戦いの場に踏み込んでいた。俺はロロアちゃんに気持ちでも劣っていたみたいだ。
弟が居るかもしれない、カザミが待っているかもしれない、そんな曖昧なものに、どうして命をかけてまで進み続ける事ができるのだろう。
君は勇敢な幼女だよ。
「なんでもないさ。一度で杖の魔力は使い切ったみたいだから、もう一度唱えておいてくれない?」
もしもオーガとメテオの打ち合いをしたのだとしても、一撃でロロアちゃんに軍杯が上がったことだろう。オーガのメテオをその身で味わった俺には痛いほどよくわかる。
ロロアちゃんは俺の言葉に「うん」と良い返事をしてくれ、魔力装填と唱えていた。
杖と黒衣が消費した魔力を補うようにペンダントの魔石から魔力が補充されると、
「これも、そざいとっていくの?」
「ゴブリンたちが戻ってくる前に、螺旋空洞まで進んでしまおう」
頭部を無くしても、まだ動き続けている魔物を見てロロアちゃんはそう言ったが、俺たちは動く胴体を横切り先へと進んだ。




