28―地下五階層 勇敢なロロア・上
「進もうロロアちゃん、きっと深層に落ちたんだ」
崖下を覗くロロアちゃんに俺の声が聞こえているかどうか……
「俺たちが進めば下の階層で会えるはずだ」
四つん這いで深淵を覗いていたロロアちゃんが首を捻ると、傍らに居た俺の方を見たあとムクリと立ち上がった。
「まだそれがひかってるんだもん。きっと、かじゃみはいきてるよ」
頭上で辺りを照らし続けてくれている光球に指を差しながら、ロロアちゃんはそう言った。
少しは取り乱すと思ったが、そんな事は杞憂だったみたいだ。カザミに寄せているロロアちゃんの信頼は本物らしく、それが少し羨ましくも思えた。
俺の仲間は今頃何をしているのだろう。ライアンとエミーラにはカザミとダンジョンに行くと伝えたが、二人は反対も賛成もしなかった。
カザミと対峙した二人はカザミの強さを認めざるを得ないだろうから、引き止めもしなかっただろうし、
快く送り出しもしてくれなかった。
ただ二人は俺の話を聞き終えると、どこか達観した様子で窓の外に見える空を仰ぎ「任せる」とだけ言った。
本当は二人も、その場に居なかった他の仲間も、一緒に使い魔とその主に会いに行きたかったはずだが、二人とカザミの出会い方が悪すぎた。
だから二人は敵か味方かもしれないカザミと同行すると言った俺を信じて、任せるとだけ言った。
「いくよ。かじゃみがしんぱいしてるかもしれないから」
自分の身の心配よりも、自分がカザミに心配されている方が心苦しいと言っているように聞こえた。
入り口側の様に大きな半円の足場のある岩壁に空洞が開いている。なぜ地下に崖がある空間が出来ているのか、それは迷宮だからとしか云い様がない。
ロロアちゃんは次の階層がどうなっているのか気にする様子もなく、ただ先を急ごうと杖を握り俺の前を歩き始めた。
「この光る球は俺たちの前を進むようにしてあるのか」
半円の足場から空洞の中に入ると、光球がカザミの存在の有無に関わらず俺たちの視界を明るく照らしてくれている。
「そうみたい。これがあればくらいとこもへいきだね」
ロロアちゃんの隣に移動して並んで歩く。ロロアちゃんは光球を見上げながらそう言うと、現れた分かれ道を前に歩みを止めて俺の顔を見上げてきた。
どっちに進めばいいの? と言った顔で見てくるので慌てて地図を確認する。
「こっちだよロロアちゃん、この先を進めば次の階層だ」
「あっちはどうなってるの?」
左側の空洞を見ながら指を差して聞いてきたので、
「左の空洞はアンダーベアの居た階層みたいに入り組んだ道になっているんだ。迷うだけ迷って最後は行き止まり。結局時間を無駄にするだけの偽ルートだよ」
そうなんだと口にしたロロアちゃんは「じゃあこっちだね」と右側の空洞内を先に進んでいく。
平坦な空洞内を少し歩くと、すぐにも螺旋空洞に辿り着いた。
「ここを降りれば次の階層だよ」
説明すると、突然喉の渇きに見舞われた。
ついゴクリと生唾を飲み込むと、足が鉛のように重く感じて、鼓動が徐々に早くなっていく。
俺は下の階層に行けばカザミと合流できるだろうと考えていて、ロロアちゃんもそう口にしていたので思いは同じだ。
けれども目の前にある下層へと続く螺旋空洞を前にして、突如として現実に引き戻された気分になった。
下りると言う事はロロアちゃんを一人で魔物から護り、進み続けると言う事。
俺の力量で本当に下層に辿り着けるのか。
カザミの戦い振りを見て俺も強くなったと錯覚していただけじゃないのか。
七階層にはあの地竜もいるんだ。
もしカザミがさらに下層、俺の知らない未到達地点まで落ちていたとすれば、俺は単独で地竜を相手にする事になる。
……無理だ。
俺の思考は先に進む事への不安や恐怖で支配され始めた。
次は地下五階層。まだ地竜が棲処としている地下七階層までは猶予がある。
大丈夫だ……それまでにカザミと合流できるはずだ。
「いこうライド。かじゃみがまってるよ」
木偶の様に動けなくなった俺とは違って、螺旋空洞をなんの躊躇もせずに一歩踏み入れたロロアちゃんの小さな背中。
俺は自分の小ささに恥ずかしくなった。
"冒険者は冒険するな" 死にたくない冒険者の決まり文句だ。みんながそうだからと、俺は何も恥じる事なくその大多数の冒険者の中に身を置いている。
大鬼と戦ったときも死ぬと思って戦っていたわけじゃない。勝算があったのかと聞かれれば言葉が濁るが、負けるとも思っていなかった。
今考えれば負けた理由は簡単だ。冒険をした事がないからだ。負ける戦いをした事がないからだ。
安全マージンを十分にとり、死なない戦いしかしてこなかったからだ。
俺は仲間たちと、勝てる相手としか戦ってこなかった。
悔しい。もっと強くなれたかもしれない。
悔しい。もっと違った俺が此処に居たかもしれない。
悔しい。もっと早く気づけていれば……実行できていれば。
これまで過ごしてきた時間はただの浪費だったかのように思えてくる。
やり直す? 過去に戻るなんて、そんな事はできるはずがない。
なら、この瞬間から生き直そう。
他人の目なんて気にせず、一から、今を境に始め直せばいい。
数年後、数十年後、俺はあの日と……そう胸を張って振り返る事ができる冒険者になりたい。
いつの日か今抱いた気持ちを笑い話として語れるようになったら、俺は自分に恥じる事のない人生を生きたと、満足できる日が来るはずだ。
「そうだなロロアちゃん。行こう、カザミが待ってるな」
こんな小さな背中が俺よりも先へ進み続けている。
……冒険者の俺が冒険しなくて、なにが冒険者だ。
もう後悔はしない。俺は人生を賭けて生き抜いていこう。
螺旋空洞を抜けると、地下五階層が姿を現した。
◇◇◇
俺は肉体に身体強化を施し黒刀を鞘から抜いた。
「スキル【炎雷拷撃】」
刀を落下する方へ向け振り抜くと、雷を纏った炎が闇の中に吸い込まれていく。炎を下方に噴射し、落下速度を緩めようと試みる。
気持ち的には火炎放射で落下速度を抑えられる思ったが、全く変わらなかった。
「なら、これでどうだ。【業雷】乱れ撃ち!」
数度刀を振ると、ビシャーン、ビシャーンッと甲高い音と共に落雷が発生し崖底に向かって落ちる。
雷は闇の中に消えると崖底に衝突したのか、轟音を轟かせ空気が震えた後に、瞬く閃光が見え崖底との距離を把握する事ができた。。
だが、落下速度が緩む事はなく崖底に叩きつけられるのは、もはや時間の問題だった。
足掻き損。無駄な足掻きにも思えてくる死へカウントダウン。閃光は死地へのおおよその時間を知っただけ。けれども一度目の足掻き、炎雷拷撃が近くに聳え立つ岩壁を闇の中で映し出してくれた。
地下四階層で細い道になっていた岩壁だろう。
俺はスキルを発動させて、最後の望みに出た。閃光が煌いた距離を考えると、これが失敗すれば次の瞬間には地面に叩きつけられるだろう。
迫り来る死との葛藤。その中で俺はスキルを発動させた。
迅雷との併用スキル、
「【雷竜の鉤爪】」
迅雷を発動し青白い雷を纏わせた刀を振り下ろしながらスキルを発動させると、白雷の三本の鉤爪が創り出される。
本来の雷竜の鉤爪は雷で創り出された三本の鉤爪を一度だけ振り放つ事ができる短距離の放出スキルだが、俺は黒刀に魔力を注ぎ込み続け、迅雷と雷竜の鉤爪を強制的に持続させた。
黒刀はバチバチと音を発てながら現出させた白い三本の鉤爪と青白い雷で繋がったままだ。魔力から変換され現出しているこの青白い雷がまさに俺の生命線とも言えるだろう。
岩壁に喰い込んだ鉤爪が壁面をガリガリと削り落とす。たまに岩壁が崩れ崩落を起こしているが、それでも俺は落下しながらも岩壁を削っていく。
崩落した岩の塊が崖底に落ち、ゴンゴンッと大きな音が響いたとき、落下速度が少しずつ緩み始めた。
「いけそうだッ」
落下は止めれそうにないが、魔力をひたすらに黒刀へと注ぎ続けた。ガリガリと岩壁を削る振動で、黒刀を握る手の感触が鈍くなり始めた頃、
「がはッ――」
強制的に放出させらた酸素。
同時に全身を襲う激しい衝撃と痛みで一瞬、意識を手放しそうになった。
「……生きているのか」
背中から地面に強く叩きつけられたらしく、俺は仰向けになり今度は闇を見上げていた。
しばらくして地面に密着させていた身体を起して、両手で全身を触りながら異変がないか調べていた。
「なんともないようだな」
地下四階層からかなりの深さまで落ちたはずだが、足掻き続けたのが功を奏したらしく、かすり傷と全身に感じる微かな鈍痛程度で済んだ。
「身体強化していなかったら、バラバラになっていただろうな」
肉体に宿る魔力が衝撃によって肉体が飛び散らないように、体中を繋ぎとめていたような感覚が鈍痛に紛れて残っている。
神経を細く伸ばされたような痛みだ。けれど今はその痛みが少しばかり心地よい。アドレナリンでも出ているのだろう。生きていると実感すると、それだけで身震いがした。
「こんな高揚感は初めてだ」
どうにかバッドエンドは避けられたようだが、さて、ここはどこだろうか。どこを見ても暗闇しか見えず、平衡感覚が馬鹿になりそうだ。
足元が沈む感覚、身体が左右に振れる感覚。ただ立っているだけなのに妙な錯覚を引き起こしていた。
たまらず光球を現出させて周囲を照らし出す。
光に目眩を覚え、光源を直視しないように周囲を見渡した。光源の届かない闇の中はどうなっているのか把握できないが、どうやら崖底はそのまんま崖に囲われた開けた空間となっているようだった。
近くには空洞一つ開いてなく、この崖を登ることは不可能だ。生き延びたというだけで、生還したとは言い難い状況である。
閉鎖空間に一人取り残された気持ちになり頭上を仰いだが、開放感に溢れた天井のない空間は逆に落ち着かない。
誰かが助けに来てくれるだとか、そんな希望は許されないのだと、生物が立ち寄る事のない、立ち寄れない崖底に居る現実を叩きつけられる。
それに拍車をかけたのは俺が斬り伏せたアンダーベアの亡骸だ。亡骸と言えば聞こえがいい。周囲に散らばっている血と臓物と肉片が鉄臭さを漂わせていた。
無残な姿のアンダーベアを見て、俺もこうなっていたのかもしれないと自覚すると背筋に寒気が走った。いつの間にか高揚感も落ち着きを取り戻していたようで、今は肉片を見ながら、生き抜くため容赦せず斬り捨てると覚悟を決めた。
異世界は俺の常識が通用するほど甘い世界ではないんだと、否応にも再認識させられたところで、俺は散らばる肉片の中を歩き始めた。
◇◇◇
「きゃーッ、ぞろぞろでてくるー」
棍棒や古びた剣を装備した一団が、俺たちを追い回してきた。戦力差は歴然で、囲まれればひとたまりもない。
「こっちだッ!」
叫び逃げるロロアちゃんの手を掴まえ、空洞内に開いた無数の横穴の一つに引き入れ身を隠した。
散々追い掛け回され、周囲はロロアちゃんの黒衣に移ったパージーの焦げた臭いで充満している。おかげで臭いでばれる事はない。俺たちは息を殺し、全身緑色で獣の皮をなめして作られた腰巻を身につけている亜人が去るのを待った。
「あれもまもの?」
「あいつらはゴブリンだ。一匹見たら三十匹はいる厄介な奴らなんだよ」
ゴブリンの群れが去ったのを確認して横穴から出たが、歯切りの悪い言葉を口にするしかなかった。
「この先なんだがな……」
隠れる事しか考えていなかったせいで、進行方向にゴブリンを向かわせてしまった。これも経験が足りなかった証拠だ。
生き直す覚悟はしたが、こればかりは気持ちだけで何とかなるような事じゃない。次同じような場面に遭遇した際は、関係のない場所に誘導できるよう心がけよう。
「ん?」
杖でコンコンと俺の膝を叩いたロロアちゃんは、小首を傾げてどうかした? と言いたげな様子だ。
「ゴブリンの向かった方に、次の階層に続く螺旋空洞があるんだよ」
戦闘力の低いゴブリンは危険が増す下層へ下りる可能性は低いはず。なら戻ってくると考えるのが妥当な判断。
「もう少し様子を見ようか」
急ぎたいはずのロロアちゃんも「そうだね」と言ってくれたので、一度出た横穴に戻りしばし横留まることにした。
もしかするとロロアちゃんは状況に適した判断をすでに頭で理解しているのかもしれない。それなら俺も俺で先へ進むため、最前の手を考えないと。
俺が単独で魔物と戦ったところで致命打を与える事は不可能、ゴブリン程度なら盾で殴打すれば討伐できるが……それならロロアちゃんの火球でも十分か。
「ねぇロロアちゃん」
「ん?」
杖でゴリゴリと地面に落書きをしていたロロアちゃんに声をかけた。
「俺は見ての通り、攻撃は盾で殴りつけるぐらいしかできない。それでこの先でゴブリンにかち合ったら、ロロアちゃんに攻撃を任せたいと思うんだ」
「えッ?」
ロロアちゃんは自分に白羽の矢が立つとは思ってもみなかったみたいで、少しばかり驚いた様子を見せた。
「前衛で俺がゴブリンの足を止めている間に、後方から火球を飛ばすだけなんだけど……」
本当なら俺一人で、カザミみたいに護ってやれる事ができればいいんだが、俺の力では二人で下層に向かうにはどうしてもロロアちゃんの力が必要だ。
以前の俺、ダンジョンに潜ってすぐならば一人でやってみせると格好をつけていただろうが、今の目標は下層へ進みカザミと合流すること。明確な目標があり、それを実行するためには二人の力で進むしかない。
子供の力を当てにするなんて情けない。それでもそれが今俺たちの取れる最前手だと俺は信じている。
「うん。やれるよ」
ロロアちゃんはコクリと頷きながら、ハッキリと言い切った。
その応えに、どこか胸を撫で下ろす気持ちになった。
「それと、その黒衣に付与された魔法を発動させといてくれないかな」
居ないカザミも力に頼るのもまた情けない話だ。だけどもこうしてひとつひとつ自分たちの欠点を見直していると、それだけで十分下層に進める力が備わっているのだと実感できた。
「あっ、わすれてた。これいつもきてるから」
と、冒険者が普段から着慣れた只の外套のような扱いだった。えへへッと照れ笑いするロロアちゃんがどこか可愛いく感じる。子供ができるなら男の子がいいと思っていたが、女の子もありかもしれない。
「ろりーたまじかー」
魔法少女のように杖を高く掲げてそう唱えたロロアちゃんの姿に、心の中を覗き見られた気分になって苦笑してしまった。
「たしか魔力装填だったはず……」
心中複雑な思いだが、カザミから説明されていた起動魔法の名を伝えた。
気を取り直し、ロロアちゃんが魔力装填と唱えると、着ている黒衣が今朝カザミに見せられた時と同じ様に、淡く少しの時間光を纏ってみせた。それに杖も心なしか黒衣同様の反応を見せている。
「できた」
ロロアだってやればできるんだよー、とその表情が訴えていた。
「からだがポカポカしてる。しぜんちゆだね」
確か物理無効と魔力拡散、それと自然治癒だったはず。
胸元のペンダントを服の内側から取り出すと、嵌められた魔石が淡く赤紫色に色づいていた。
思わず笑い出しそうになる光景だ。今のロロアちゃんに勝てる気がしない。
「準備は万端だ。ゴブリンを蹴散らして先へ進もう」
横穴から出てゴブリンたちが向かった方向に進もうとしたが、その先からゴブリンの群れが大慌てで引き返してくるのが見えた。
「なにか様子が変だ。俺から離れないで」
地面に抉り込ませた盾を構え、ゴブリンの突進に備えた。ロロアちゃんには俺の背後で待機してもらう。
押し寄せてきたゴブリンの群れは立てられた盾を避け、左右に分かれ走り抜けていった。
「どうなってるの?」
「俺にもわからないが、あいつら怯えているようだった」
ゴブリンの群れが通り過ぎると、空洞の先には巨大な蛇型の魔物が三体のゴブリンを長い胴体を使って締め上げていた。
大きく開かれた口を、締め上げた一体のゴブリンの頭上まで運んでくると、それを一呑みしてしまった。
すぐ目の前でゴブリンが抗う事もできずに喰われていく光景を目に、これが迷宮なのだと現実を突きつけられた。
理想と現実は無慈悲だ。覚悟を決めた所で、それを実行できる時間が残されているとは限らない。
「……」
カザミなら、怯む事なく邪魔だと斬り捨てて進んでいくんだろうな。




