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日向兄さんが死んで以来、ますます学校に行けなくなってずっと部屋にひきこもっていた時。高等部進学を機に、学校に行こうとしたことがあった。
晃良兄さんに半ば説得される形に近かった。だけどぼく自身も、このままじゃいけないってことはわかっていた。
始業式、重い足取りで学校に向かう途中…何年かぶりに、桜塚達と遭遇した。
記憶の中で、夢の中ではもう何度も追いかけられていた。
だけど実物と会うのは、本当に久しぶりだった。
それがぼくの“いじめられっこ第二期”の幕開け。
携帯を取り上げられ、番号とアドレスがバレた。ついでも財布の中身も全部取り上げられた。彼らがお金に不自由しているとは思えないので、気まぐれか醍醐味か。
それから蹴り倒されて殴られて、「これからもよろしく」と笑って言われた。
電話には必ず出ること。メールには必ず返信すること。それが義務付けられたぼくは、大人しく従った。
彼らに立ち向かう勇気もなく、何より逆らって家まで来られて両親や晃良兄さんにバレるのがこわかった。
いじめられてるってバレるのがこわかった。だってそれは、弱者のレッテルだったから。
学校に行ってなくても、呼び出されたらなるべく応じた。だって殴られるのはイヤだし何よりこわかったから。
昼間に出歩くことは桜塚達と再会して以来本格的に体が拒否していたので、殆ど夜。なぜかそのへんは桜塚達も了承してくれてた。
大抵は遊ぶ為のお金を持ってこいという呼び出しが大半で、後は気まぐれに殴られる為だけに、桜塚たちのもとへ行く。
あの日も、そうだった。
急に「今すぐ金持ってこい」て言われたけれど、外はまだ明るくて。ぼくは暗くなってからしか外に出られなかったから…だから遅くなってしまったけれど夜になってから、ぼくはお金を持って、呼び出された屋上に向かったんだ。
今までぼくは、ただ自分の身を守る為だけに桜塚達に従って、それがどんな風に巡るかなんて考えたことは一度もなかった。
たとえばぼくのお金が誰かを傷つける為に使われていたかもしれないなんて、そんなこと想像もつかなかったんだ。
“ラヴホ代くれるって言ってたけど、別にどこでも良かった、俺的に。金持って来させるとも言ってたけど、待っても来なかったしさぁ”
ぼくが自分の身を守る為だけに持って行っていたお金が、月子ちゃんを傷つける為に使われていたかもしれない。
ぼくの弱さが、知らず月子ちゃんを傷つけていたかもしれない。
ぼく達の小さな小さな“ひとり”の世界は、ぼく達が想像もつかないような形で繋がっていた。
こんな世界の、隅っこで。
「…今日も抵抗、しないんだ?」
すぐ近くで吐息の混じった声がした。ぞくりと痺れる。体も心も。
晃良兄さんにきつく結んでもらった包帯が、パラリと解けた。それを視界の端で見つめる。すこし哀しかった。
「いいの? これ、撮ってるヤツ。モザイクすらかけられないで、どっかのエロ動画サイトにアップされちゃうかもよ?」
耳が、頭が、熱い。哀しみを押し退けてざわざわと込み上げてくるこの感情は、なんだろう。初めてだ、こんな感覚。
「……いい」
「……」
これをおそらく“怒り”とするなら、一番ゆるせないのは。
「わけ、あるかぁ…!!」
自分だった。自分自身と、それから。
月子ちゃんだった。
ありったけの力を込めて、体ごと体当たりする。ぐらりと目の前の昴流さんの体が傾いた。
思わぬ反撃にか掴まれていた手が緩み、その隙に手を払って腕の中から抜け出、間合いを置いて向き合う。
昴流さんが意外そうな目でぼくを見ていた。
「もう…もう、そういうのは、やめるんです、やめたんです…! これからはもうカンタンに、受け入れない、ゆるさない…無抵抗で平気なフリしてても、けっきょくは逃げているだけだから…っ 抵抗することで今まで以上に傷ついたとしても、それでも…っ もうこの体には、指一本、触れさせない…! 絶対に…!!」
叫んでぼくは、屋上のドアに向かって駆け出す。
これ以上こんな所に、居られない。居ちゃいけない。
じわりと涙が滲んだ。だけど拭った右手の包帯にすぐに染み込んでなくなった。
本当はさっきの言葉は、堀越恭子達に言うつもりだった。それで終わるとは思っていない。そんなカンタンなことだとは思っていない。
だけど決意表明は、口に出して相手に伝えないと意味がないから。
それは結局果たされなかったけれど、だけどもういい。どの道最初からこうするつもりだったんだから。
調べておいた校内地図を頭の中で反芻しながら目的地へと廊下を走る。登校時間真っ只中で、校内は生徒達と喧騒で満ちていった。
校舎内いっぱいに、チャイムの音が響き渡った。
『おはようございます。11月3日、木曜日です。今週はテスト強化週間で…きゃっ』
校内に響き渡る放送の途中で、盛大にドアを開ける音が響いた。他ならぬそのドアを開けたのは、ぼくだ。
「ご、ごめんなさい、お仕事のジャマして…っ」
「な、なんですか、ここは放送委員以外立ち入り禁止で…」
「すいません、ちょっとだけ、貸してください…! お願いします、どうしても言わなきゃいけないことが、あるんです…!!」
こんなことをするのは勿論生まれて初めてだ。マジメに委員の仕事をしているこの人には心底申し訳ないと思う。
だけど、今日じゃなければ…今じゃなければ、意味がない。意味がないんだ。
困惑する放送委員のその人からアナウンスマイクを奪い、目の前に並ぶよくわからないおそらくコントロール用のつまみを最大まで上げる。
キィ…ン、と耳障りな音が響いた。一瞬顔をしかめ、それでもマイクに向かって声を発した。
『ぼ…っ、あ、あたしは…2年B組の…山田、月子です…』
月子ちゃんの声が、マイクを通して校舎内いっぱいに響き渡る。少しノイズが混じって聞きずらい。仕方ないなという顔で、隣りに居た放送委員のおそらく先輩が、微調整してくれた。感謝しつつ、マイクを握り直す。
手も足も心臓も声も、震えていた。
バカなことしてるな、と我ながら思う。
でもこれ以外の方法が思いつかなかったし、後悔はしないだろう。
ただひとつだけ、自分自身の口からじゃなくて月子ちゃんの体を通して、言葉を発していること。それだけは月子ちゃんに申し訳なく思い、そして悔しくもあった。
だけどそれは、自らが蒔いた種でもある。ずっと逃げ続けていた結果がこれなのだから。
だけど、もう。それは終わりにしよう。…いっしょに。
『あたしと…それから同じクラスの、鈴木、陽太は…』
月子ちゃんはなんて言うかな。きっと怒るだろう、勝手なことをして。
でも、いいや。月子ちゃんが起きたら…目を覚ましたら。いつもみたいに「バカね」って、叱ってもらおう。
『ずっと、いじめに…あっています…もう、ずっと。その、相手は…』




