↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとりぼっちの勇者たち  作者: 長月イチカ
ベッドの下の嘘吐き
PR
29/53

◇6


「……な、に…してるの」

 すぐ傍で聞こえてきた声に、は、っと顔を上げると、うっすらと目を開いた月子ちゃんの視線とぶつかる。ぼくは慌てて自分の涙を拭い、握っていた手を解く。

「あの、ぼく、月子ちゃんが倒れたって、聞いて…!」

「……あたしが…?」

 月子ちゃんはまだ事態が呑み込めていないのか、きょろきょろと視線を彷徨わせる。意識が朦朧としているのだろう、焦点が合ってない気がする。

「……ここ…」

「…保健室だよ、学校の」

 なぜだかぼくはうしろめたい気持ちから、ぎゅ、と自分の手を握り締める。

 月子ちゃんの顔を、まともに見れない。

「どうして、あなたが…」

 月子ちゃんが呟いたのとほぼ同時に、保健室の扉の向こうの廊下から、声が聞こえた。複数の人の気配と供に。

「山田、本当に保健室にいんの?」

「らしいよ、ぶっ倒れたって聞いたけど」

 授業中のはずなのに、声を潜める様子もなく、大声で近づいてくる。もはやぼくも聞き違えない、それは。

「病人で遊んでもつまんなくない? …恭子」

 堀越恭子たちの声。

「…別にビョーキだろうがカンケーないし。あたしが今、むしゃくしゃしてるから、アイツで憂さ晴らしするのよ」

 サーと、自分の顔から血の気がひいていくのがわかる。体中から熱が逃げていく。

 まるで悪魔がこっちに向かってくるみたいだ。実際それに近い。あっちには悪意しかないのだから。

 そろりと月子ちゃんに視線を戻すと、月子ちゃんはいたって無表情のまま。わずかに上がった息と青い顔のままだった。

 怯える気力もないのか、それともこの状況は月子ちゃんにとって、それほどまでの状況ではないというのか。ぼくですらこんな、恐怖しているのに。

「つ、月子ちゃん、に、逃げたほうが…」

 怯えた声で、ぼくは咄嗟に月子ちゃんの手をとった。月子ちゃんの手はひやりと冷たく、まるで陶器の人形のようだ。その顔色も、表情も。まるで何も、感じていない。

 僅かに口が動く。その目はぼくを見ていない。何も、そう何も。

「…どうして。逃げたってムダよ。次会った時に倍以上殴られるだけ。だったら今の内に殴られておいた方が、楽に済む…それに、今ならどんなに殴られたって、平気だから。だから、いいのよ」

 どうして、月子ちゃんは。そんな哀しいことを平然と言うのだろう。

「いい、わけ、ないよ…」

「…いいから、あなたこそ逃げなさいよ、彼女達に出くわしたら、いろいろと、厄介でしょ…」

 そんなの、わかってる。堀越恭子達が桜塚達と繋がっていて、ぼくにとっては厄介中の厄介人物だってことぐらい。ぼくだって十分、わかってる。そんな、弱っている月子ちゃんに心配されなくたって、わかってるんだ。

 だけど、月子ちゃんにとってだって、最悪の相手じゃないか。こんなに、誰の目から見ても弱っている月子ちゃんを目の前にしたって、きっと彼女達の中には容赦とか躊躇とか同情なんて、微塵も存在しないんでしょう?

 月子ちゃんだってそんなことぐらい、もう十分わかっているんでしょう?

 でも月子ちゃんは抵抗どころか、逃げも隠れもしない。

 それは強さなのだと思っていた。月子ちゃんは強いんだと思っていた。ぼくなんかとは、ぜんぜん違うって。

 だけど、ちがう。

 今のぼくの目に、もう月子ちゃんは強く映ったりなんかしない。

「どうして月子ちゃんは自分から傷つこうとするの…」

 もしもそれを、月子ちゃんが望んでいるのだとしたら…月子ちゃんはやっぱり、似ているんだと思った。もうひとりのぼくだと思った。

 掴んでいた手に力が篭る。ぼくのこの手の熱が、月子ちゃんの手にはいっこうに移らず、ぼくの手の内だけで虚しく彷徨っている気がする。

 月子ちゃんのこの手は、救いの手すらきっととらないのだろう。


 それはかつてぼくも抱いていたものだ。あの狭くて暗くて小さな世界でただずっとそれだけを願っていた。

 望んでいるのは救いなんかじゃなくて、自らの罪に相応しい罰。赦せないのは誰より自分自身。

 ずっと、ずっと。あの日奪ったものに値するくらいの、相応しい罰が欲しかった。

 どんなに重たくたって苦しくたって辛くたって、自分で望んだものだから受け入れられる。

 ぼくはそれを自らの命で償う代償だと思ってた。どんなに罰を受けたって日向兄さんは戻ってこないから、帰ってこないから。だからせめて兄さんが生きるはずだった時間を、まるごと差し出そうと、そう思っていた。それだけを思いながら生きてきた。

 ぼくにはそれくらいしか、差し出せるものがなかったから。

 でも月子ちゃんは決して死を望まない。大切な家族が居るから。

 だからきっと。生きながらずっと。痛みを負うことで贖い続けるつもりなんだ。


「前に、月子ちゃんはぼくに言った…自分を卑下することしかできない、そんな言葉しか出てこない、ぼくに向かって」

「……な、に…言って…いいから、はやく…」

「“あなた自身が自分をそう思うから、動けないんでしょう”って。今の月子ちゃんも、いっしょだ」

 月子ちゃんが望む罰は、一時だけでもきっと、救われた気になるんでしょう? 傷つけられることを望みながら、償っている気に、なるんでしょう。もう居ない相手への、贖罪は。

「“それ”、は…償いにはならないよ…だってそれで救われた気になるのは自分自身だけであって、償うべき人には、何も届かないんだから…! 何も返ってはこないんだから…!! 月子ちゃんだけが、受けるべきだと思っている罰は、ひとりよがりでしかないんだから…!!」

 大声を出しすぎて喉が痛い。情けないな、カッコ悪い。だけどやっぱり今更だ。久しぶりだ、こんな声を出したのも、荒げたのも。

 怒って、いるのだろうか。自分でもよくわからない。

 ただ、哀しい。

「月子ちゃんが、よくても…」

 でももうぼくは。自分以外の痛みを知った。そしたらぼくの痛みなんて、くだらないことに気付いたんだ。幼稚で世間知らずで思い上がりで。そしてやっぱり、ひとりよがりの断罪だったんだ。きっと月子ちゃんだって。本当は気付いているんでしょう…?

「ぼくはイヤだよ…!」

 月子ちゃんにかかっていた白いシーツごと、ぼくは月子ちゃんの体を抱きかかえた。月子ちゃんは小さくて軽くて、ひ弱なぼくでもカンタンに抱き上げることができた。

 軽いけどこの重みが、やっと感じた温もりが、生きている証だ。

 堀越恭子達の声は、もうすぐそこまで近づいている。品のない笑い声はそれはそれは楽しそうだ。

 彼女達にとっての遊び、ただの暇つぶし。月子ちゃんを、傷つけることが。

 だけどそんなの、やっぱりどう考えたっておかしいんだ。

 月子ちゃんだって、そう言ってたじゃないか。ぼくに言ったのは、月子ちゃんだ。もっと周りのことを考えろ、って。生きてるうちに、失くさないうちに、もっとちゃんと、大事にしろって。

「ちょ、なに、す…っ」

 思わぬ事態に月子ちゃんが腕の中で小さく暴れた。だけど体だけは男のぼくが押さえ込むと、弱っているせいもあってか、すぐに抵抗はなくなった。

 窓の鍵はまだ開いている。空きベッドをひとつ挟んですぐそこが窓だ。

 外に逃げた方が良いだろうか。でもこの距離じゃ、逃げたこともすぐにバレるだろう。人数的にも追ってこられたら不利な気がする。堀越恭子の影に桜塚の顔がちらついた。こわい、だけど、今は。

 視線を辺りに巡らせる。せめてどこか、隠れられそうな場所。さほど広くもなく見通しの良い保健室に、そんな都合の良い場所は見当たらない。焦って息が上がる。月子ちゃんが腕の中からぼくを見上げて口にした。

「いいから、はやく…っ、あなただけでも逃げて…!」

 それだけはぜったいに、イヤだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。