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何かが変わったとするならば、それは多分変わったのではなくて変えられたのだとぼくは思う。
ぼく以外のだれかの力で、ぼくの未来が変えられたということ。
それはもはやぼくの未来ではなく他人の手による未来だ。
ぼくがだれかに明け渡した、いつかのぼくのものだった、未来。
じゃあ、ぼくは。
どこへ向かえばいいのだろう。
身を切る寒さに凍えながら。
◆ ◇ ◆
冬の冷たい空気が肌を刺す。思わずぶる、と身震い。
寒い。ガチで寒い。コートかジャケットを着てくるべきだった。
外に出ないし自分から出る気もなかったので、装備を完全に間違えた。ここ数年のひきこもりの結果、11月という時期の認識が甘かったことを痛感する。
薄手のパーカーに学ランを羽織り、マフラーを巻いただけという軽装。実際にここまで来るのに周りの人達との防寒のギャップにいたたまれない思いをしながら来た。
伊達メガネの度なしのレンズが、自分の吐く息で曇る。視界は相変わらず見通し悪い。
ああ、ぼく、病み上がりなのに。また風邪がぶり返したらどうしよう。でも今更だ。もう目的地に、着いてしまったのだから。
唯一ぼくがこの敷地内で馴染みのある場所。旧校舎側からまわって屋上へと続く階段の踊り場。正門や昇降口を通らずとも、入り込める場所で、一般の生徒は滅多に立ち入らない場所だ。
ぼくと月子ちゃんが初めて出会った場所。
なんだか感慨深い気持ちで壁にもたれかかる。ひやりと冷たい感触に体も思考も一瞬で凍る。
ああ、どうして…どうして、こんなことに。
再び体がふるえる。今度は寒さのせいじゃなかった。
ぼくは今、学校に居る。ひとりで。
朝、朔夜くんからぼくの携帯に電話があった後。ものすごい葛藤とぼくは戦うことになった。
思い悩むことは今までたくさんあったけれど、今回は、違う。
例えば食事の際、今日はどんな嘘を捻出しなければならないんだろうというあの憂鬱な気持ち。例えば、桜塚からの呼び出しメールを受けた時の、行かなきゃダメなんだろうか、どうしようというあの脅迫的な気持ち。いろんな絶望が混ざり合った時の、カッターに手を伸ばす、あの絶望的な気持ち。それはぼくにとって避けようのない葛藤だった。
──でも。でも今回は違う。
『月子がムリしないよう、見ててやってくれませんか?』
朔夜くんにそう言われた時、チキンなぼくは電話口ではつい「わかった」と返事してしまった。後先考えずに約束してしまったのだ。
だけど実際は月子ちゃんの様子を見れなかったとしたって、約束を守れなかったとしたって、朔夜くんにバレるわけじゃない。
多分朔夜くんから月子ちゃんにそれを確認することはないだろうし、月子ちゃんからわざわざぼくがひきこもりだってことを言うこともないだろう、きっと。
避けようと思えば避けれるし、逃げようと思えば逃げてしまえる。
だから、「うん」て言っちゃったけど、約束しちゃったけど、このまま何もなかったことにしよう。
朔夜くんからの電話も、月子ちゃんが具合悪いってことも、約束も。何もなかったことにしよう。
それなら得意だから。
だってぼくが約束を守るためには、この部屋から出なくちゃいけない。絶賛ひきこもり中のぼくが学校に行かなくちゃいけないわけで。意気地なしのぼくがそんなこと、到底ムリなわけで。
それはもはやひきこもりではないわけで。
だけど、なのに、どうしてか。
ぼくは結局今、ここにこうして居るわけで。
「……じゃあぼく、一体なんなんだろう…」
零れた言葉と白い息が、冷たい空気にすぐに溶けて消えた。
…だって。
月子ちゃんの風邪は、明らかにぼくがうつしたものだ。心底申し訳ないし、ものすごく心配もしてる。
月子ちゃんともあんな別れ方をしたままで、ものすごく気まずいのだけれど、それはまた別の問題だってこともわかってる。
それに、朔夜くんには自転車の乗り方を教えてもらった借りがある。朔夜くんに嫌われてることに変わりはないとしても、苦渋の選択だったとしても、頼ってもらえたことは単純に、嬉しかった。だから考える間もなく返事してたんだ。
なにより一番はきっと…どんなに意気地なしで弱虫で嘘吐きなぼくだったとしても、カンタンに約束を破るのだけは、イヤだった。
カンタンに月子ちゃんを見捨てたりすることだけは、できなかったんだ。
だからここに、来たんだ。
とはいえ、ここがぼくの限界だった。流石に教室には行けない。絶対にムリ。それだけは超えられない。
胸元で握り締めていた携帯を、ちらりと覗く。とくになんの知らせも入っていない。
「月子ちゃんメール気付いてないのかな…」
家を出る時とここに着いてからと、月子ちゃんに2通メールを送った。きっとマナーモードにしているであろうことを信じて、電話も1度だけかけた。月子ちゃんからの反応はないけれど。
マジメだからなぁ。授業中にメールとか、しないんだろうな。電源は切ってはないみたいだけど。
「どうしよう…そろそろお昼休み入っちゃうよ…」
情けなく零れた呟きと同時に、まさにチャイムが鳴り響いた。校内いっぱいに。
遠くで喧騒が教室から廊下に、外に、溢れ出す。こんな遠くの場所でもそれを感じる。
ぎゅう、と携帯を強く握りしめる。ヘンな汗が体中から吹き出ている気がした。
こわい、何がともわからず、ただ。
どうして月子ちゃんはこんな所に、毎日来るのだろう。体調を崩してるのに、そうまでしてムリしてまで。なんの意味が、価値が。あるのだろうこんな所に。
「…ううう、月子ちゃん…!」
呼んで、どうしたいのかもわからないくせに。ただ無意識に口から漏れただけの情けない自分。こんな時に結局は、助けてって思ってる。月子ちゃんに。
ぼく、月子ちゃんを助けにきたんじゃなかったっけ。それもやっぱりおこがましいんだ、ぼくなんか。
さんざん迷った末、月子ちゃんの携帯の番号をコールした。
もはやぼくひとりの力の限界を超えていた。こうなってはここからひとりで動くことすらままならない。
機械的な呼び出し音が、全身に振動を伝える。どくどくと、騒ぐ弱虫な心臓は相変わらず。
やっぱりぼくは、変われない。いつも、誰かと、途方もない助けを求めるばかりの、意気地なし。変われるわけないんだ、こんなぼくが――
『……もしもし…?』
「…っ、つ、月子ちゃん…?!」
どうしてだろう最近は、きみのことばかり呼んでいる気がする。きみの名前ばかりを、呼び続けている気がするんだ。
だって月子ちゃんはいつだって、呆れた顔しながら結局は。
ぼくを助けてくれるから。
電話が通じたことへの安堵感で、ぼくはすっかり油断していた。電話の相手が月子ちゃんだと疑わなかった。
だけど電話に出たのは、月子ちゃんじゃなかった。
『あの、もしかして山田さんの、ご家族の方ですか…? 山田さん、教室で倒れてしまって、今保健室で寝ています…お迎えに、来てあげてください…』
言うだけ言って、電話はすぐに切れてしまった。聞いたことあるような、初めて聞くような、か細い女の子の声。
ぼくは最初の一言以外なにも言葉を発せられず、通話の切れた携帯を耳にあてたまま、呆然とした気持ちで目の前の階段を見つめる。
頭の中で必死に状況を整理してみる。
えっと、今月子ちゃんの携帯に出たのは月子ちゃんじゃなくて、それは月子ちゃんが倒れてしまったからで…。
信じられない。あの月子ちゃんが、倒れるなんて。だって月子ちゃんはぼくなんかよりぜんぜん強くて、 今までだって何度だってぼくが月子ちゃんだったらすぐに泣きべそかいて投げ出しているようなことだって、月子ちゃんはなんでもないような顔して、「平気」って。月子ちゃんがそう言うのなら、本当にそうなんだろうって。
月子ちゃんはぼくと違ってそんなカンタンには、折れたりなんかしないと。
そう、思っていたぼくはやっぱり──バカだったんだ。




