雨宮青児の考察
「で? 初音は何故、事実婚にしたと?」
「これは、この間初音さんにモデルをしてもらっていて気づいたことで、彼女から直接聞いたわけではないんです。ただ……僕、自分の事に関しては鈍いですが、他人のことなら手に取るように心がわかるんですよ。疑うなら、御影さんお得意の能力で確かめるといい」
「ああ、信用するかしないかは、俺が判断しよう。で、雨宮の見解は?」
雨宮は少しだけ声のトーンを落とし、静かに告げた。
「初音さん、後々は光くんの本当の母親に、妻の座を譲ろうと思ってるんじゃないかと」
「なっ……! どうしてまた、そんな……!」
俺は絶句した。
「最初は、障がいを持った子に対して、自分が本当の母親のように接することができるか不安だったようで……。そして、光くんがこの家に慣れて療育も順調にいったら、本当の母親と一緒に暮らす方が光くんのためだと信じ込んでいるんじゃないかって」
絶望的な推測に言葉を失う俺に、雨宮は追い打ちをかけるように続けた。
「それに彼女、絵の道を諦めきれなかったみたいですね。本人は諦めたなんて言っていましたが。今は奨学金を返すために働かなくてはいけないと言っていましたが、その後で、再び芸術の道を歩むつもりなんじゃないでしょうか?」
「…………」
ズキリと、胸の奥がひどく痛んだ。
俺の前では決して見せなかった、妻の自己犠牲と秘めた決意。
「……それは……いかにも初音なら言い出しそうなことだな。わかった。本人にそれとなく探りを入れてみた後で、自分の力で視てみる」
俺は動揺を悟られまいと、強がるようにそう答えるのが精一杯だった。
重い空気が流れる中、雨宮は視線を外し、ミントやドクダミが異常に生い茂った窓の外の庭を眺めていた。
「お前の兄さんが、嫌がらせで植えていったんだ」
俺が努めて平坦な声で言うと、雨宮は驚いたように質問してきた。
「凄く茂ってますね。肥料を大量に入れてます?」
「いや? 何もしなくても凄い繁殖力だが?」
すると雨宮は、スッと目を細めて不穏な推測を口にした。
「…………透青兄さんが、光くんを使って何かしてるかもしれませんよ? ほら、あの室生家の同人誌を読みましたけど、兄さん、御影さんに初音さんを取られたと思っていそうだから……」
「……まさか? 毎日茶を飲みに来て、光にも優しく接してくれるのに?」
俺が怪訝な顔をすると、雨宮はグラスに残った最後の一口を飲み干して立ち上がった。
「月島の家系を甘く見てはいけませんよ? ……では、僕はお暇します。アイスコーヒー、美味しかったです」
雨宮青児はそんな特大の不穏な置き土産を残し、悠然と帰っていった。
*****
産婦人科から帰ってきた初音は、上機嫌だった。俺は頃合いを見計らい、雨宮から聞かされた件について、それとなく探りを入れてみることにした。
「御影様〜、お腹の赤ちゃん順調ですって! 良かったぁ」
「おぉ、それは安心だな。さぁ、今日は光の面倒は俺が見るから、お前はゆっくり休んでくれ」
俺はソファに腰を下ろした妻のために、温かいドクダミティーを淹れて差し出した。コーヒーは刺激が強いので、お腹の子のためにしばらくはノンカフェインのものを飲ませているのだ。
ティーカップを受け取る彼女を見つめながら、俺は意を決して口を開いた。
「なぁ、初音。……ひょっとしてだが。光の療育がいい方向に進んでひと段落ついたら、お前、また絵の道に進みたいと思ってるか?」
ピタリと、初音の手が止まった。
彼女ははっとして、顔をこちらに向けたまま石のように固まっている。
「…………」
その反応……やっぱりか!
「今、ふと思ったんだが……お前、光の本当の母親を呼び戻そうとしてるんじゃないか?」
静寂が落ちた後、初音は今度はきっとした顔で、真っ直ぐに俺を見つめ返してきた。
「……いけませんか? 光様だって、私なんかより、本当のお母さんと暮らす方が良いに決まっています」
「本当にそうだろうか? それは光の意思を聞かないとわからないだろ。それに……お前のお腹の子は、俺と一緒に育ててくれないのか?」
すがるような思いで問いかけると、初音はわずかに目を伏せ、しかし揺るぎない声で答えた。
「生まれてくる子の認知はしていただけると、ちゃんと公正証書を作成してもらえましたから。そのお約束さえ守っていただければ、私はそれで十分です」
俺は何も言い返せず、呆然と妻を見つめた。
自分がいなくなる前提で、そこまでキッチリと腹を括っていたのか。
なんだ、これ。
女の人って……子供を産む前から、もうこんなにも強くて覚悟の決まった『お母さん』なんだな……。
【参考URL】室生一族に出回る同人誌
https://ncode.syosetu.com/n1063mw/8/




