初音の初恋の人
俺の部屋に、雨宮青児を招き入れるとハザマはすっと席を離れ入れ違いに自室へ帰っていってしまった。青児に会いたくないようだ。
部屋にいた光が、珍しく他人に興味が出たようで、青児の顔をじっと見つめている。だが、顔はよく似ているがハザマじゃないと知ると、途端に興味を失ったようにふいっと顔を背けてしまった。
「息子の光だ。障がいがあってコミュニケーションができないんだ」
「……そう。……こんにちは、光くん」
雨宮は優しく頭を撫でて挨拶してくれたが、光はとことこと庭の方に出ていき、そのまま景色を眺めはじめた。
「父から聞いていたんだけど、僕の兄の透青が室生の『神の器』に選ばれたとかで、様子が普通ではなかったって。……今度は、あの子が?」
「まぁね。お前の兄さんは今は普通に喋れるし、結婚もしているよ。お前の息のかかった屋敷の女達から、とっくに聞いてるとは思うけどな」
そう話しつつ、俺がいつものようにドクダミ茶を用意しようとすると、雨宮は唐突にこんな事を言った。
「初音さんの『初恋の人』の話、既に知っていますか?」
俺はドクダミ茶を淹れる手を止めた。
「え? それ知らない。何それ? ちょっと詳しく聞かせて? ……雨宮、飲み物はアイスコーヒーで良い?」
「ええ、アイスコーヒーが良いです。それと……ちょっとだけど、僕、お屋敷の壁にヒビを入れちゃったんですけど……許してもらえます?」
それを聞いて、俺は我に返りイラッとして抗議した。
「雨宮……ちょっとだけヒビが入ってるだと? あの壁、傾いているのがわかんねぇの!?」
「初音さんが『事実婚』にした本当の理由、もう知っているんですよね?」
「!!」
「青児くん、壁なんてどうでもいいよ。この屋敷も古くってね、君の壁ドンのせいだけでなく、今年の豪雨の影響もあったことは確かだから。はい、アイスコーヒー。ブルーマウンテンだよ」
ついでにガムシロップとコーヒーフレッシュも出してしまった。
「で、初音の初恋の相手って?」
俺はブルーマウンテンを差し出しつつ、さっそく本題に切り出した。
「彼女、昔、危ない所を助けてもらったそうなんですが、その『初恋の相手』を探しているそうなんです」
「……ほう?」
「この家って蔵が3つありますよね? 初音さんが小学5年生のころ、親戚の集まりがあった時に、外戚の男性にその蔵に押し込まれ、襲われそうになっていたところを男の子に助けてもらったそうです。暗い蔵から明るい外を見たので、逆光になってその男の子の顔は見えなかったそうで……」
「あっ、それ……あの時の女の子って、初音だったのか……!」
俺の脳裏に、当時の記憶が鮮明にフラッシュバックした。薄暗い蔵の中で震えていた、見知らぬ少女。まさかあれが初音だったとは。
「やっぱり御影さんでしたか。その男の子は去り際に『別にお前を助けたかったわけじゃない。あの男の弱みを握っとけば屋敷では有利だから』と、名前も告げずに去っていったそうです」
「そうか……初音の初恋は、俺かよ……」
なんか、とんでもなく胸アツの展開が来た……!
しかし、俺の中の『ツンデレの美学』が猛烈に邪魔をする。今更「あの時助けたのは俺です!」などと、自分から名乗り出るわけにはいかない。
「初音さんは、当時助けてくれたのはハザマ様なのでは? と予想しているんですが……どうします?」
雨宮が、意味深な笑みを浮かべて首を傾げた。
(雨宮……コイツ、俺の性格まで読んで嫌な揺さぶりをかけてきやがる。よし、取り引きだ!)
「ふっ、俺から言うのは思い出が台無しになるじゃないか」
俺が余裕を装って格好をつけて言うと、雨宮は悪魔のように微笑んだ。
「僕から初音さんに真実を伝えたいんですが……。壁は弁償しなくていいですよね?」
俺は間髪入れずに答えた。
「あぁ、青児くん。アイスコーヒー、もう一杯どう?」




