♪21楽章 引退式 〜ドッチボール〜
文化祭が終わって、数日後の休日。吹奏楽部の3年生は体育館へと集められた。
「…3年生だけ集めて…どういうつもり?」
凪咲は不遜な声で、召集した主を見る。
「…矢野」
集めた人物は、元部長の矢野雄成だった。
「集めたのは…ドッチボール大会をしたかったから。このメンバーで集まることは2度とないと思ってただろう?」
「そりゃあね。でも、またこのメンバーで集まれるとは…」
凪咲はそう言って、集まった3年生を見回した。
「…笠松先生からは?許可もらったの?」
不遜そうに聞いた理由。
それは…
『こーーーら!?何、体育館で遊んでるのよ!?』
『ひぃいい!?』
『家に帰って勉強しなさぁあい!!』
『はぃぃい!』
顔を真っ赤にして怒る笠松が、容易に想像できたからだ。本当にそれだけは笑えない。
しかし、その懸念を晴らしたのは……瑠璃だった。
「…私が許可取ったから、大丈夫」
それと同時、中北が「早いね」と苦笑交じりに、体育館へと入って来る。
「…な、中北先生」
美心乃も驚きの声を出した。
この引退式を考案したのは、雄成と瑠璃と澪子だった。忙しくて、特に思い出を作れていないからと、休日を使って体育館でドッチボールをしよう、と画策していたのだ。
「…それで…かぁ」
芽吹が楽しそうに目を輝かせる。
「…あと、後輩も誘ったんだった」
そこで雄成がそう言った。
「…こ、後輩!?」
凪咲が驚いたように目を丸める。
「ああ。本当は3年生だけで…なんて思ってたんだけど、瑠璃が『どうしても』ってな」
瑠璃はえへへ…とばつが悪そうに笑っていた。
「瑠璃らしい…」
その言葉は、心の底からの本音だった。
結局、後輩は全員が来た…という訳ではなかった。皆、予定が入っていたからだ。
「瑠璃せんぱーい!」
「瑠璃お姉さん」
打楽器パートからは、希良凛と秀麟が来ている。付き合い始めて、ふたりはすぐだというのに、こうして任意の引退式に参加してくれるとは。
「…ふたりとも!ありがとう」
「いえいえー!暇なんで!」
「本当はカフェ行く予定だったけど、定休日だしね」
どうやら、ふたりの関係はうまく行っているようだ。
一方でトランペットパートからは、浅野英寿が来ていた。彼も優秀なトランペット奏者だ。
「浅野!」
「こんにちは!」
「英寿くん、来てくれたんだ…!」
「俺が誘ったんだ」
浅野に視線を向ける雄成。その瞳は、半年前のことが嘘みたいだった。
「あとは、ユーフォも誘ったんだ」
「運動したいでーす!」
そう言った少女に、希良凛は心底驚いたような顔をする。
「あ、海咲、珍しい!」
大槻海咲。希良凛と同い年のユーフォ奏者だ。普段はあまりにも静かで、1年生の時はよく話していたが、クラスが変わってからは、あまり話していない。
「えへへー。希良凛ちゃんも来たんだ」
「そういえば、霞江は?」
「あの人…?あの人は…デートでしょ。菫玲ちゃんと!」
海咲が羨ましそうに言う。その羨望混じりの声に、雄成が強く反応した。
(…あっ)
雄成は澪子の方を見つめる。
(…澪子)
澪子は、笠松とルールについて話している。母性溢れる彼女。何度救われたか。
(もう…潮時かもな)
心の中で、声にならない誓いを、静かに漏らした。
「…こんにちは!」
試合を始めようとすると、ふたりの少女が入ってきた。その人物に、音織と凪咲の表情が変わった。
「…みるく」
「世永ちゃん」
それは、フルートの中畑みるくと、バスクラリネットの御鈴世永だった。
「世永もドッチやりたーい!」
「世永!誰から聞いたの?」
「河野先輩です!」
凪咲は、芽吹の方を見る。彼はしたり顔でこちらを見ていた。その反応が少しムカついた。
こうして、ドッチボール大会が始まった。グットッパーで決めたチームで、先攻後攻を決める。
「…よし!いくぞ」
「当てられるならやれば良い」
やたら音織は挑戦的だ。
「…よっと!」
雄成が投げたボール。それは剛速球だ。ボールはうなりをあげ、音織へと向かう。
「ふむ。扇動が過ぎたか?」
冷や汗混じりな言葉。しかし彼女はボールを取ってみせた。ぱん!!と鋭い音を立てて。
「ふふっ、この鈴衛に喧嘩を売るには、3万年の修行あるのみ」
音織はそう言って、味方の外野へとボールを投げた。
「…うわぁ」
「永遠の中二だなぁ。ありゃ…」
瑠璃と凪咲は驚きつつも、呆れの方が勝った。
「…えーい!」
外野の希良凛はボールを投げる。しかし威力が足りず、ボールは敵地へと転がった。
「ありゃりゃりゃあー…」
希良凛は頭を抱える。
ちなみに敵地にボールが渡れば、それは地獄だ。世永がボールを勢いよく投げる。
「…世永ちゃんショットー!!」
「…ださ」
誰かがそう呟いた時には、瑠璃のチームで1人が脱落していた。
「いったぁー!」
美心乃にボールが当たったのだ。彼女は、逃げるように外野へと飛び出す。しかも、世永のボールは勢いが止まらず、雄成の手元で止まった。
「う、うわぁあ…」
瑠璃は想定外の光景に驚いた。世永は球技が得意、芽吹から聞いてはいたが、まさかここまでとは。しかも、まさかボールの威力を侮っていたせいで、雄成の至近だった。
「瑠璃。逃さないよ」
雄成は冷たい表情で、ボールを構える姿勢に入る。その動きに一切の淀みはない。
「ああ…っ」
しかし、投げられる直前。
「…瑠璃せんぱーい!」
希良凛が叫んだ。その叫びに、瑠璃は反射的に反応する。そして、彼の手からボールが離れる瞬間…。
「やぁあーっ!!」
瑠璃は、身体を捻って横へ飛ぶ。猫が飛び出すような勢いは、ギリギリでボールを躱すことに成功した。
「…な!?」
雄成のボールは、瑠璃を狙い過ぎていた…。
「ふっ!」
ワンバウンドしたタイミングで、凪咲がボールをキャッチした。
「うぉらぁー!!」
凪咲が力いっぱいボールを投げる。
「…今までの恨みぃぃい〜!!!!」
渾身の恨みが籠ったであろう一球。それは芽吹の肩を殴るように貫いた。
「ぐへぇぇっ!?」
(うっ…、威力がゴリラ……)
「うっほー!当たったぁ…!」
凪咲の声が昂ぶる。それは、いつもの凪咲とは、大きくかけ離れていた。
「…凪咲先輩、ゴリラみたい」
海咲が思わず口に出す。
「おい!誰だ!?今、ゴリラって言ったヤツ!?」
彼女は聞き漏らしていなかった。
しかし、それは大きな隙だった。
「えーい!」
「うぐっ!?」
澪子が凪咲を当てたのだ。結果、凪咲と芽吹、両者が外野へと弾き出された。
「凪咲!仇は取るから!」
「瑠璃ー!アドレナリン出してけー!」
しかし芽吹は、それぞれの特徴を理解していた。
(…今、もう戦力は4人。末次くんと大槻さん、3年は古叢井と鈴衛!!)
4人…。あと4人倒せば終わりだ。
(末次は狙いが性格、大槻はたぶん味方に回す、古叢井はアドレナリンの力で、勢いに乗られたら厄介、鈴衛は調子に乗っていても視野が広い!)
芽吹は、それぞれボールが受け渡った時、懸念すべき点を整理する。
(…鈴衛も厄介だが、古叢井もメンドイ)
そして…ついに勝負は決する。
「凪咲の仇ぃ!!ぎゅっとして!どーん!!」
「はや…!ひぃっ!」
瑠璃は思い切りボールをぶん投げる。それは避けた澪子の位置も読んでいた。
「…いててっ」
「やったぁ!!」
(瑠璃ちゃんは、やっぱり…知能が高い!)
澪子は瑠璃を認めつつ、外野へと出る。残りは世永とみるくと浅野だ。
「…これで向こうの3年生は全滅!」
「勝利は鼻先よ」
音織と瑠璃の気合いが更に入った。
「…音織!あとちょっと!」
「まず!世永からやるぞ!」
「うん!」
世永をやれば、敵方の壊滅は目前だ。
「……私、狙われてるのか」
すると世永は、ボールの動きに過剰に反応する。
「あーっ!じれったいこと、この上ない!」
音織がどれだけ狙おうと当たらない。
「…ふぅう!」
「…あと3分!!」
しかし最悪が起きる。
「…よっと!」
みるくの投げたボールが、海咲へと当たった。それは海咲が回避に対応できなかったからだ。
「うっ、悔しいぃっ!」
そう言いながら、海咲は負けを認めた。
そして悲劇は続く。
「えい!」
世永が不意打ちのように、瑠璃へ本気の一球を投げつけたのだ。瑠璃はあまりに急で、対応すらもできはかった。
「瑠璃先輩!!」
しかし秀麟が瑠璃を庇い、世永のボールを受ける。
「ぐっ!」
(そっちも大概ゴリラじゃねーか!)
秀麟はそう思いながら、床へと倒れた。内野に疲れてしまったのだ。
「秀くん…!」
瑠璃は、ここで復讐心に火がついた。
「世永ぁー!」
床を転がるボールを、拾い上げた瑠璃は、投げの体勢へと入る。
「うっ!」
この時、世永の視野は異常に広すぎた。だからこそ、大きく回避の動きを見せた。
「えへへぁ〜。そんなの読んでるよ♡」
しかし瑠璃は投げなかった。彼女の回避後の体勢は最高に悪かった。
(…まさか…!フェイント!?)
今の動きは…瑠璃のフェイントだった。
「小学校でもよく…やってたなぁあ!!」
瑠璃は後輩をやられた怒りを、ボールに乗せてぶん投げた。それは世永の反応速度を凌駕する。
「うわっ!」
打楽器で培った手首を、存分に生かした一球。それは世永を沈めた。
「うっー!悔しい悔しい!世永ちゃん悔しい!」
異様な悔しがり様に、全員が固まるが、これにてイーブンだ。
その時、予想外のことが起こった。
「…中北先生、笠松先生、入るってー!」
澪子が突然、声を上げたのだ。
「ま、まじ!?」
瑠璃たちは、顧問の参加に驚く。どうやら澪子の粋な計らいらしい。
瑠璃たちのチームに、笠松。雄成たちのチームには、中北。それぞれが付いた。
「…いっけー!」
そこで更に白熱する。
「…みるくと浅野と中北先生…!」
瑠璃が戦力差に嘆こうとする。中北もそこそこ運動はできる。というか、当てたくない。
しかし音織の笑みが深まる。
「問題はない。こちらには笠松神がいる。何の心配もいらぬ」
それは誰も笠松を当てるわけがない、という深層心理を読んでの言葉だった。
「…笠松神って」
瑠璃と澪子がツッコミを入れた。
それから音織は容赦しなかった。
「うぉーらー!」
「うわあー!」
音織の本気の一投に、中北は本気で避ける。
しかし、そこには希良凛が張り付いていた。希良凛は避けた笠松へ、ボールを投げた。
「先生!さよーならー!」
希良凛も意外と容赦がない。普通に中北を脱落させた。
「…うーわ、希良凛ちゃん、容赦ない」
「同感だ」
1番ドン引きしたのは、瑠璃と音織だったが。
だが、これによって、向こうチームも本気になった。
「…もう容赦しない。澪子、芽吹。笠松先生を狙うぞ」
雄成が低い声で言う。
「…え?いいのか?」
芽吹が今後の交流を懸念して、否定をしようとする。だが、雄成は悪そうな笑みを浮かべた。
「…俺たちはもう"引退"したんだ。本気でやろうが、何の問題もない!」
「うーわー。もうヤだよ、この元部長」
雄成たちも、目には目を、歯には歯を、顧問には顧問を狙うことにした。
「…うぉー!」
雄成とみるくの強烈パス。その間にも、音織が浅野を脱落させた。
これで残りは、みるく1人だが、いかんせんボールが回らなくなった。皆、笠松を狙って本気で投げるからだ。しかし笠松は、異様な反応速度でのらりくらりと躱し続ける。
(まるで…1年前の写真撮影みたい…)
瑠璃は、あの合同演奏会練習の時の記憶と、今の笠松の動きを重ね合わせた。
「…俺の本気についていけるかなぁ!」
しかし、雄成の標的は、知らず知らずに変わっていた。彼の瞳の先は、音織へと移る。
(鈴衛。次の一投、避けられるかな?)
そう思い、みるくからのボールを受け取る。そして彼は、音織へと照準を定めた。
しかし予想外が起こる。
「…既知」
音織は既に大きく、ボールの軌道から逸れていた。やはり反応速度が異様に高い。
だが、雄成は諦めない。
「…でも逃さない。君に当たれば終わり…だから!!」
しかし体育館シューズの靴底が突然、悲鳴を上げた。
「うお?」
彼はこの土壇場でつまづいた。
「あっ!」
その時、ボールは勢いよく手元を離れる。そのボールは暴走したように、空を舞う。
「…うがっ!!」
しかし偶然、誰かに当たった。
それは…笠松の顔面だった。ボールが顔面にめり込む勢いで、当たってしまったのだ。
「ぐぐっ…!矢野ォ」
「あちゃちゃちゃ…」
「だから、やめとけって思ったのに」
「雄成のバカ」
雄成が慌てるのをよそに、芽吹と澪子が呆れていた。笠松に「すみません!」と大きな声で、謝ると笑い声が響いた。
「…すみません…じゃあ、ないでしょーーーう!?」
しかし謝罪は彼女に届かなかった。阿修羅の如き弾丸ボールは、みるくに直撃。
奇しくも、雄成の凡ミスで、彼らの負けが決定してしまった。
「ああー、矢野があんな…ミス…するなんて…」
すると凪咲が床へ倒れ込んだ。
「ダサぁああ!!」
そして爆笑しだした。
「い、伊崎先輩…」
希良凛が思わず、驚いたように目を丸めた。
(…確かに)
ずっと、ミスなどしてこなかった雄成。この日、奇しくもその仮面は外れてしまった。
一方、笠松は心配そうに、みるくへ駆け寄る。
「ああー、ごめん。中畑さん。大丈夫だった?」
「あっ、ギリで肩に当たらせたので…」
「…ふう、良かった」
「先生こそ、顔面…大丈夫…です…か?」
「ええ。まあ、痛むけど…」
すると、みるくも笑い出した。
「あははははっ!」
(…んもぉ、おかしい。でも、楽しかったぁ)
瑠璃も心底、そう思えた。
結局、この引退式は爆笑で終わることができた。
本当に楽しかったから。




