♪16楽章 夏祭りの朝 プチパニック
そんな秀麟の恋愛は誰にも気づかれぬまま、夏祭りの時期へと突入した。夏休みといえど、全国大会を目指す茂華中学校は、休みが一切ない。
…だというのに、誰も音楽室にはいなかった。人の気配もしない。
「…おはようございます…誰もいない?」
彼がそう言った時、後ろから声が掛かる。
「末次、おはよう」
「ひえっ!?」
秀麟は驚いて振り向いた。
「…驚きすぎだ」
「や、矢野部長!おはようございます!」
その人物は部長の矢野雄成だった。彼はトランペットと、音を軽減させる器具を抱えていた。
「今日は早いな。珍しい」
すると秀麟は頬を赤らめる。
「い、いえ…、夏祭りが楽しみすぎて…早く起きてしまいました…」
「夏祭り。あー、祇園祭りね」
雄成はそう言いながら、口元に笑みを浮かべた。
「…誰かと行くの?」
雄成の問いに、秀麟は「友達とです」と答える。
「友達か。俺も友達と行けたらいいんだが…」
「矢野部長は夏祭りに行くんですか?」
「行くよ。トランペットパートの子たちと」
「パ、パートごと…なんですね」
秀麟はそれが羨ましくも感じた。
「ああ、そうか。瑠璃は夏祭りデートらしいもんね。通りで指原と行けないわけだ」
すると雄成はそう言った。
「えっ?」
「指原とふたりで夏祭りは気まずいだろ」
「ま、まぁ…はい…」
(否定してまうた!!)
秀麟は自分の不本意を恨んだ。本当は希良凛の隣にいたいのに。声に出せない本音は、夏のじんわりとした空気の中に消えた。
「…年上の彼氏とね」
その時、飄々とした声が、秀麟の身体を震わせた。
「あ、河野。おはよう」
「ぶっちょー!おはよ」
続いて入ってきたのは、サックスの3年生の河野芽吹だ。
「…河野も早いな」
「だって、夏祭りが楽しみすぎて!はやく起きたから、早く学校行きたくてな」
「ふっ、そっちもか」
芽吹の言葉に、雄成が呆れたように肩をすくめた。
「どういう事?」
芽吹が首を傾けるも、雄成は「別にな」とはぐらかす。
「…てか、末は?お囃子じゃないの?」
すると芽吹がこう訊いてきた。
「え…、今年から断りました…けど」
「悲しいな」
「え、てか!何で知ってるんですか?」
「俺が知らないとでも思ったぁ?」
芽吹はなぜか何でも知っている。それは最早恐怖心を抱かせるほどに。
「…確かに、末次はお囃子やってるって、小学生の時から聞いてたな」
「ま、まぁ…そうですけど…」
そんな話しをしていると、次々と部員がやってきた。
部員の数が全体の半分に達した時、芽吹が秀麟を廊下に呼び出した。
「末、いっこ聞きたいことがあるんだけどな」
「え、はい?」
「指ちゃん、好き?」
指。希良凛の苗字は、先輩から捩られて、指と略名されている。
「えっ?希良凛…先輩…ですか?」
その時、彼の心臓がどくんどくんと大きく跳ねた。体の奥まで謎の熱さに襲われる。
「そお。未だ確信が持てないから…気になって…」
「い、いえ。希良凛先輩は…ひとりの先輩としか、見ていません!」
ブラスバンドネット。そう呼ばれている彼は、噂を何でも知っている。希良凛への片思いを言うだけリスクでしかない。
「…そう?」
しかし芽吹は、秀麟の瞳の奥を見て手を振る。
「ありがと」
そう言って、彼は音楽室へと戻った。
(さすが…ブラスバンドネット……)
胸奥での言葉は、称賛というより彼への畏怖だった。
その直後、事件が起こる――。
笠松が9時に音楽室へやってきた。既に練習の準備は済ませ、今からでも合奏できる隊形…のはずだった。
「さて…今日の部活をはじめま……」
顧問の笠松が指示しかけた時だった。
「きゃー!蜂!?ナニ!?」
彼女の声を遮り、希良凛が叫んだ。
「…ちょ!虻だって!滅殺!滅殺!!」
同時に芽吹の指示で、一斉に音楽室はパニックに陥る。
「…ちょ!なんで虻!?」
「嫌だ!虫は嫌い!」
虫が嫌いな女子部員は、数少ない男子部員にすがりつく。それでも状況は対して改善しない。
「あ、あぶはあぶない…」
瑠璃も小さい時、虻に刺されたことがある。あの貫くような痛みは忘れられない。
「…瑠璃先輩!どうします!?」
「さ、さっちゃんは…下がってて…!」
「はい。あれ、秀麟くんは?」
「え、分かんないです!」
「きゃっ!こっちきた!」
蜘蛛は地獄に落ちるから殺せない。だがゴキブリなどの虫は、基本見つけ次第殺す彼女だ。
(虻は怖くて…駄目…!)
「ちょ!!矢野くん!ハエタタキ持ってきて!」
思ったよりも大きな虻で、パニックな笠松が、雄成に指示を仰ぐ。
「…まったく。澪子、ちょっといい?」
「う、うん」
雄成がハエタタキを取ろうとするも、あるはずの位置にハエタタキがない。
(だ、誰が持っていったぁぁああ!?)
雄成はハエタタキがないことに、驚愕してしまう。しかし同時、ぱん!!と鋭い音が響いた。
「…ふう」
力なく虻が横たわる。芋虫のようにのたうちまわる虻を、誰かがハエタタキで掬って、外へと投げつけた。
「これで大丈夫ですよね」
「…秀くん」
希良凛は驚愕した。
……虻を不殺で対処したのは秀麟だった。
「す、すご!よくやったね!」
そこへ瑠璃が駆け寄る。
「…ま、まぁ、ウチ場所柄、虻が多い所に住んでるものですから」
「そ、そうなんだ…」
瑠璃の家も山奥で、虻というよりは蜂の方が多い。
「秀くん!ありがとう!」
その時、希良凛が嬉しそうにやってきた。
「い、いえ。それ程でも……」
希良凛に褒められたことが、何より1番嬉しかった。
――そんな騒動から始まった練習も終わり、いよいよ夏祭りが始まろうとしていた。
指原家もそれは一緒だった。
「…そういえば、莉翔って誰と行くの?」
「え?僕は秀麟といくよ」
「ふぅん。秀くんと…」
「姉ちゃんが一緒に行ってあげないから…」
莉翔が呆れたように言う。希良凛は髪型を整えていた。茶色混じりの横髪がうねる。
「…だって、ふたりきりは…気まずいでしょう」
「ふぅーん。じゃ、その浴衣は飾りか?」
すると莉翔が口角を上げて煽る。
「なに!?その言い方!?」
希良凛が振り向いて怒ろうとする。
「…ふふ、来年は彼氏ができればいいね?浴衣デートとか」
「それは莉翔もでしょ?」
希良凛はそう言って、莉翔の可愛らしい色をした浴衣を見る。莉翔は小さい時から、可愛い色が大好きだった。
「…ふん!希良凛姉ちゃんよりは先にできるもん」
莉翔はそう言って着替えた浴衣を身に纏い、外へと出て行った。
(…好きな人…か)
まだ…希良凛は好きを知らなかった。
ずっと莉翔を超えることで、必死だったのだから。
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