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派閥や上司といったものから遠ざかろうと努力し続けた結果が今の安寧だっただけにこの状態を継続したいのは山々だったがいざ課長が昼食に誘っている、それもさしで、というのであれば断るほうが波風が立つだろう、シャララは外務省に勤め始めて初めての昼食会に発った。
職場を出て、財布の中身を確認する。たぶん課長のほうが支払いを持つのだろうけど、と思いつつ、いったいどんな所で食べるのだろうか、一食いくらぐらいになるのだろうか、と下世話な好奇心を抑えられない。付き合い慣れしておくのも大切なことかもしれないと思う。だが悪目立ちだけはしたくない。なのに。
他の職員が三々五々歩く街中を地図を頼りに角を曲がり、左手に公園を見ながら前進するとしばらくして通りにイスとテーブルを並べたレストラン街が見えてくる、のだがそこもまっすぐに突っ切りもう一区画歩いた左手に、シンプルながら厳めしい造りの料亭がある。『青葉』。指定された飲食店だ。その威容に少し怯みながら敷居を跨ぐ。
玄関には緋色の絨毯が敷かれ奥へと続いており、入り口脇に設置された蓄音機からは耳障りにならない程度の音量でアニズの小品集が流れている。スヴェミの民族舞踊を取り入れた短い曲に気分が華やぎ緊張も少し緩和される。ドアを開くと呼び鈴が鳴る仕組みになっていて、髪をきれいに結い上げた案内係がすぐに姿を見せた。
「こんにちは」「こんにちは」「お名前を伺ってもよろしいですか?」「あ、シャララです。タマリ氏と会う約束なのですが」
タマリの名前を出しても案内係は顔色一つ変えず人当たりの良い微笑を浮かべたままで、「かしこまりました。こちらへ」と怯みもてらいもなく案内する。この女の顔自体あまり印象に残らない灰汁の弱い顔だがここまで感情に起伏がないとまるで機械だと思う。だが現実に女は楚々として歩き、折れ曲がった廊下を曲がりながら自分を一つの部屋へと案内した。
ドアを開けた先にはタマリがいた。教科書の肖像画に出てきそうなくっきりした眉を少し上げてシャララを歓迎してくれる。若くして課長に出世したやり手と噂のタマリが一体自分に何用だろう。粗相のないようピシッとした歩調でタマリの座るテーブル、その対面に座すとタマリは愉快そうに笑い、「そう硬くなることはないよ、取って食うわけじゃないんだから」と再びくっきり眉毛を動かす。
「食前酒は?」とタマリが訊く。「いえ、午後も仕事があるんで」と答えると、「はは、そりゃそうだ」と言って後方の案内係に目配せし、彼女は扉を閉めて足音で去っていった。
何とも言えない居心地の悪さに座り直すと、タマリは微笑みながら他愛もない話を振ってくる。最近アンミで流行っている飴の話。男女の交際の話。この王都で出くわした意外に使えない配管工の話。料理も運び込まれ次第にこちらもほぐれてくる。そんな、何気ない会話の一環のようにタマリが言った。
「情報が共有されてないかもしれないけど、今度ロンダリでヒサナ11世の暗殺計画が実行されるよ」
やましいことを指摘された時のように一瞬肝が冷える。それからじわじわと体がほてってくる。
「それは、本当の話ですか」
「本当も本当、事実も事実だから話してるんだよ。当然君も、呼び出されたからには飴や配管工の話だけで終わるとは思ってなかっただろ?」
課長クラスに呼び出されるのだから何もないわけがない、とは分かっていたものの、この会合は単なる親睦会であると信じ込もうとしていた。現実を突きつけられて喉も鳴らない。
二週間後、ロンダリの王都モンタミで催される建国祭でロンダリ王ヒサナ11世がパレードを行う。その場に出てきた、警護の手薄になった瞬間を狙って銃で撃ち殺すのだと言う。
「しかし、そんなにうまく事が運ぶでしょうか」肩をすくめてみせる。
「ま、五分、かな。死んでくれたらラッキー、てなもんさ」タマリは楽しげに笑う。
「……国王に死なれては、ロンダリ国内が混乱するのでは?」
「そうなればガリバス侵攻などしている場合ではない。あれほどの大国だ、象徴たる国王が亡くなれば有象無象が天下取りにまい進して、外国をどうこうできる状態じゃなくなるだろう。ロンダリの弱体化。それが狙いなわけさ」
「ヒサナ11世が、仮に暗殺に成功して死んだとして、彼の後継はいますはいますよ」
「生後二年の赤ん坊がね。ヒサナ11世は25歳の若造だが強い意思がある、国を治める力がある。おまけに『ロンダリによる平和』なんて構想をぶち上げる頭もね。だが赤ん坊には政はできない。さて、意思なき赤ん坊が王座に座ったとして、それからロンダリはどうなると思う?」
「……より過激な連中が政権を握るか、あるいは自国内の権力争いに終始して、先ほど仰った通り、少なくとも他国に構う余裕はなくなるでしょうね。一か月前に占領したスリヨエから撤退する可能性もあるし、ファンセのような人物が摂政となればスリヨエを自ら返還してガリバスと和平を探る方向に向かうかもしれない」
「どうなるかは蓋を開けてみないと分からないが」タマリはお湯のように湯気を立ち昇らせるじゃがいもをナイフで小さく切り、バターを乗せ、口に放り込む。「ヒサナ11世よりはましだろう。彼は本気で『ロンダリによる平和』を信じているらしいからね、ガリバスを占領したなら次はうちだろう。ボンダミに行くかもしれないがね」
ちゃ、ちゃ、とナイフと皿の触れ合う音がする。シャララもタマリに倣い飯を食う。
「ところで」と尋ねてみる。「スヴェミがロンダリ国王暗殺に一枚噛んでいると知られたら――」
ノックの音がして慌てて口をつぐむ。いいのか、という目でタマリを見ると彼はシャララを見ることもなく「いいですよ」とドアに向けて言う。
給仕係がワゴンと共に部屋に入ってきて、開いている食器を片付け新たな料理を配膳して去る。
「その」聞かずにはいられなかった。「大丈夫なんですか」
「ん?」料理を目で味わうことに集中しているタマリは気のない返事だ。「大丈夫さ。ここはしっかり身辺調査を受けて白だった者以外雇わないし、第一情報が漏れたところでスヴェミに影響はない」
「影響がない、とは?」
「言葉そのままだよ」顔を上げたタマリは狡賢そうな、悪い表情だ。「全部ロンダリ人が企画してロンダリ人が実行する作戦だからね、スヴェミはこれに一切関係していない」
「と、言いますと?」
ふふ、とタマリは鼻で二度笑う。「まず、ロンダリの大学生らが騒ぎを起こす。彼らは『直訴』と称しているらしいがね。それとは別グループでヒサナ11世暗殺を企てている集団がある。彼らには大学生たちの起こす騒乱についてそれとなく知らせてある。もちろんロンダリ人を使って伝えてあるわけだが、その騒乱に乗じて暗殺を行う。ロンダリ人が騒ぎを起こし、ロンダリ人が暗殺を実行する。ここにスヴェミの関連を示す証拠はない。あり得ない。なぜならロンダリ人が望んで事を行うからだ」
「つまり……すべてロンダリ国内の問題である?」
タマリは口端を吊り上げる。
「スヴェミ側が焚きつけた可能性は、出てこない?」
「個人により思想が説かれていた、程度の話で、それを受信したロンダリ人が勝手に行動しただけの話、だからスヴェミは何もしていないことになる」
「……となると、ゴレド氏ですか?」
「ゴレド氏だけじゃない、我が国の国民も『ロンダリによる平和』に反対する言説を国内向けに唱えている。それが外国に飛び火した、という話で、我々がゴレド氏を利用し思想的洗脳を行ったわけでは断じてない」
こんがりと焼けた羊肉をナイフで切り、タマリは口に運んだ。少し眉をひそめたのは塩気でも強かったのだろうか。シャララに供された肉も若干だが塩辛い。
「事件を起こせば、ゴレドをよこせとロンダリが言ってくるのでは?」
「それはあり得るね。暗殺が失敗に終わった場合は引き渡しを要求してくる可能性はある」
「外交カードを一つ与えてしまうのではないですか?」
「なに、要求に従わなかったところで何の痛手もないよ。むしろ、ロンダリによるゴレド氏への人権侵害の可能性を国際世論に訴えれば逆にロンダリにダメージを与えることだってできるかもしれない。ま、ヒサナ11世様は剛直だからそれを理解した上でゴレドの引き渡しを要求するし、ガリバス侵攻を緩めるような真似はしなさそうだが。とにかく、首を取れる可能性があるかもしれないなら、見守ろうという話さ」
確かに、ロンダリ人が勝手に地下活動で暗殺を行うならそんな旨い話はないように思える。このまま何もしなければ隣国ガリバスは大国ロンダリに征服され、そこを足掛かりにロンダリは本気でスヴェミを攻めてくる。同盟国であるミール王国と力を合わせるとして、形勢は五分と五分、いや、生産力としてはロンダリのほうが上だろうから長期戦になるとスヴェミは負ける。となると、軍隊と軍隊による表の戦争ではなく、暗殺やテロといった地下の戦いで勝負しなければならない。その矢先に持ち上がった、スヴェミに何のリスクもない暗殺計画。
ふと思う。
「なぜ、ロンダリ人がロンダリ人の足を引っ張るような真似をするんですかね? 今は内乱よりガリバスとの戦争に集中したほうがいいような……」
訊くとタマリは興味なさげに、料理をナイフで一口大に切り分けながら答える。「不満、なんだろう」
「不満?」
「何が正しくて何が正しくないか、真実は不明だ。だから人は自分の信じる真実を選び取り、それに基づいて行動したい。そこから外れると不安だ、気持ちが悪い、なのにどうも『全体』と自分の信じる真実が違う。この時どうするか。大きな流れに不承不承ながら方向修正する者もいるがたいていは自分の信じる真実を曲げることができない。真実を曲げることは闘争的な人間において負けを意味する。負けは被支配であり死だ。だから易々と転向するわけにはいかない。だが、『全体』の流れは自分と違う方へ、潮が引くように流れる。自分が否定される。否定されると不安だ、でも主義・思想は変えられない、となると不満が出てくる。この不満が、行動力となって噴出する。つまり、『ロンダリによる平和』を支持できない連中が不満を噴出させて暗殺を企てる。その先にあるのは自分の信じる真実による征服だ」
「思想が思想を食う?」
「そう、かな。私たちは遺伝子を越えて、思想の征服合戦を行っているのかもしれないな。そういう意味では『ロンダリによる平和』は理解できる。ただ……」タマリがフォークで肉を突き刺し、シャララに向けて持ち上げる。「それは殺戮の世界だ。畜類の世界だよ。やがて食われる思想の一つだ」と言って肉を食う。
シャララもタマリに合わせて肉を食む。弾力と微かな臭みのある肉を噛む度に肉汁が出る。この寄る辺なき世界で実感のあるものと言えば、食、食べることではないかと思う。この弾力と臭みには嘘がない。咀嚼されて後も血肉骨と還るべき場所がある。だが、これも結局は弱肉強食の世界だと思うと虚しさを感じる。思想による闘争も、暴力による闘争とさして変わるところがないのかもしれない。そう考えると外務省としての自分の仕事が海の水を掻くような徒労に思えてくる。
「そういえば」そもそもの疑問を尋ねてみる。「なぜ、私にこの話を?」
「この話とは、暗殺のこと?」
「はい」
と頷くとタマリは穏やかに微笑む。「君はね、デキる奴って、ちょっとした噂になってるんだよ。知ってたかい?」
「いえ、あまり」と答えたが実際には噂を直接聞かされたことがあるので知っている。
「その謙遜も素敵だよ」とタマリは頷く。「君はどの派閥にも属さずに、それでいて仕事を完璧にこなしている。上司にもほとんど頼らない。ほぼ全部自力でやる。まったく大したもんだよ。私なんか、先輩や上司に随分と、言い方は悪いが、助けてもらってね」
だから若くして課長に? とは死んでも言わない。こういう時は微笑しておくに限る。
「どこでどう教育を受けたらそんな完璧人間ができるのか、部下の教育のために聞いておきたいものだがね……」タマリのくっきりした眉に力が入る。「でも、君の、そのどの派閥にも属さない生き方も、今日で終わりだよ。暗殺計画を聞いた以上、君には選んでもらわなきゃならない」
どきりとシャララの心臓が跳ねるがタマリは分かっていてたたみかけてくる。
「大別して二種類の意見に分かれているんだがね、一つは計画黙認派。私のような人間だ。タカ派とでも言えばよいのかね。それからもう一つは計画順延派。君と同期のカイルら若手がそうなんだが、彼らはさすがに暗殺は強硬すぎると、諫める方向に走りたいらしい。急進的な地下組織じゃなく、民意でヒサナ11世の意向を変えさせたいと考えている。私から言わせれば机上の空論だよ。言葉遊びしている偽哲学者と同じさ。さて、君は――」
と言うタマリに右手を掲げて少し待ってください、と示す。これは決断の時だ。今までどの派閥にも、職場の誰にも極力依存せずに独立独歩で仕事をしてきたのも身の安全のためだった、中立地帯に立っていれば何かしら大きな問題が起きたとしてもダメージなくやり過ごせる、これが誰かの側に属していたら勝つ時は勝つが負けた時は階段をすっ飛ばして零落する、落魄する、だから誰かとの深い関わり合いを避けて来たのに、タマリは一対一で呼び出し、逃げ場のない場所で選択を迫っている。これはもう、のらりくらりとはかわせない、今、この場ではっきり自分の立場を表明しなければならない。では、自分の今後の出世、あるいは地位を保つためには、タマリに付くべきか、カイルらに味方すべきか……
「なぜ……」訊く。
「ん?」肉を口に運ぼうとしていたタマリの手が止まる。
「なぜ、私に、この話をしたのですか?」
中立地帯に逃げ込んでいる者はシャララ以外にもいる。なぜ自分だったのか。
意味を察したタマリは寄せていた眉を緩め、どこか楽しげに笑った。「それは君、君を取り込んだほうが我々にとって得だと判断したからだよ」
言い終わるとタマリはフォークに刺した肉を口に運び、顎をもごもごさせて咀嚼する。もう一切れ食べ、ごくりと飲み下したタマリはやはり楽しげに言う。「最後にデザートが来るわけだけど、まだ食べられるかい? もうお腹いっぱいかな?」
シャララは沈黙し、十分に思弁してから、質問に答えた。
「私は――」




