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   11.


 宝石を散りばめたような、と形容すべききらびやかな光景を前にスライは、しかし見惚れることもなく頭の中では沈んだ色の思考が右となく左となく飛び交うのを感じていた。

 ロンダリ王国王都モンタミ、その王宮の大広間においてミール王国の外務大臣を招いた歓迎会が行われ宴もたけなわ、男女一人ずつが組になって音楽に合わせ踊り狂っている。狂っているのだ、とスライは思う。音楽と酒と少しばかりの痴気が人々を狂わせ、まるで獣の交合のような臭みを帯びるのだ。

 ミール王国外務大臣の、素朴な、ミール王国のあり様を反映したような穏やかな踊りに目を向けながらスリヨエとクスピーノ国境線を思う。実際にそこを見たことは一度もないが、ティティーとダゲタの、一歩西に踏み込めばガリバス領土、一歩東に戻ればロンダリ、なのに鉄条網のせいでその一歩が遠い、という、はっきり区切られた国境を参考に思い浮かべ、いや、スリヨエ・クスピーノ間はもっと脆弱な仕切り線で区切られているのだろうな、と考え直す。

「よ」

 と小さく呼ばれ、振り返るとサトバがいた。よ、なんて気楽な挨拶は返さない。マッチョだと性格も悠長になるのだろうか、なぜこんなに落ち着いていられるのか知りたい。

「ちょっと来てくれ」

 手招きに従い歩くとサトバは大広間の外まで誘導する。きょろきょろ、と左見右見、人がいないことを確認してから喋り出す。「例の話、なんだけど」

「はい」背中が日光を浴びたように加熱するのを感じる。

「今日の夕刻、スリヨエからクスピーノへ我が国の軍が侵攻する」

 さっと耳まで赤くなったような気がして、しかし確認のしようがなく、とにかく可能な限り頼もしい声を出す。「はい。知ってます」

 歳以上に落ち着いたサトバは、やはり落ち着いた、肩に止まった蛾を払うような何気なさで言う。「状況が少し変わったらしい。軍部によると、今時分、時間が変わったんだよ、今時分に、ガリバス側が仕掛けてきたという手前で偶発的衝突、ということにしてクスピーノに侵攻し、それからここも違うんだけど、可能な範囲でクスピーノを占領し、そこに我が軍を常駐させる、というシナリオに変更になった」

「……クスピーノを、占領するんですかっ?」思わず頓狂声を出してしまう。

「ああ」しかしサトバは欠伸でもしそうな顔だ。「スリヨエに戻るシナリオが、クスピーノ常駐に変わった。軍部の奴ら、えらく強気に出たよ。将校を続々スリヨエや周辺地域に送り込んでいるとはいえ、兵站は間に合っているんだか。下手に色気出してクスピーノを掌中にしても、ガリバスからの猛反撃を受けるだけだし、何より国際社会の非難は避けがたいだろうな」

 言ってサトバは、非難ならもう十二分に受けてるか、と笑ってみせる。

 難攻不落の城のように泰然としたサトバに、スライはだんだん脳みそが湖面のように平静になっていくのを感じる。「……非難は上等ですが」大広間から漏れる音楽と狂乱が耳にはっきり聞こえるほどに冷静になっていく自分を感じる。「クスピーノ奪還にガリバスが血道を上げるのは知れたこととして、少なくとも今、楽しそうに踊ってるミール王国外務大臣の、我々とガリバス間の和平仲介は頓挫することになる。つまり面子丸潰れですね」

「ほんとだよ。仲裁に入ったミールの顔を立てるために占領は止して、それでも侵攻の余地を残すべくガリバスからの手出しに反撃したというシナリオを用意したのに、軍がクスピーノを占領する気なら細かい外交は全部おじゃんだよ。オレらの、繊細にして絶妙なる小細工が、ここ一か月ぐらいの苦心惨憺が」サトバが、台詞ほど苦ではなさそうに肩をすくめてみせる。

「しかし、軍部のシナリオ通りなら、今頃開戦しているはずですよね? きっと報告がそろそろ来るだろうし、ミール側にもガリバス侵攻の情報が入るんじゃないでしょうか」

「だろうね」鼻で笑う。「そしたらあの人の好さそうなウパニ大臣、どうするだろうな。速攻で帰るかな。いや、それはさすがに陛下に対して無礼か」

「私がウパニ大臣なら、」

 と言った瞬間に廊下の奥から侍従長コノモが歩いてくるのが見え、「それにしても楽しい宴ですね」と何気ない会話に変更する。「実に愉快だね。オレなんかニルン見ちゃうよ」「こけないか、ですか」「こけないかもあるけど、何か思いもしなかったドジを働くんじゃないかと思って、ついつい目で追っちゃうんだ」と話していたところに「うちのニルンがどうしたって?」とコノモが話しかけてくる。

「いや、かわいいなって」サトバが笑いかけると「何言ってんだい」とコノモが怒るのは、半分は冗談、半分は実際にコノモに思うところがあってのことだろう、「あの子はね」と喋り出したら止まらないコノモは長年王宮に勤めているといってもスライと十歳しか差がない、それがまるで巨木のような泰然とした雰囲気を醸し出すのだからよほどの傑物なのだろう。あるいは地位が人を育てるのだろうか。

「まったく、ウパニ大臣ったら、人使いが荒くってしょうがないよ」コノモが嫌悪と呆れとをないまぜにした顔つきになる。「ガス燈が明るすぎるだの手紙書くのにもインクの乗りが悪いだの、文句が多すぎるったらないね」

「意外ですね、人の好さそうな顔してますけど」こういう、外交官としてでは引き出せない一面は、思いがけない時に有効に働くのだから根掘り葉掘りしたくなる。生活に地続きの者だからこそ探れる情報は貴重だ。それに、下世話な興味がないわけではない。

 コノモは少しの間にウパニ大臣に関する濃厚な話を圧縮して喋り、「はあ忙しい」と言い残して大広間の中へ、騒乱の内に姿を消した。

 サトバが、外向けに用意していた笑顔を納め、で、何だったっけ?と訊く。

「ミールの面子を潰したことに対する、ウパニ大臣の反応です」とスライは答える。「私がウパニ大臣なら、報告を受けたなら抗議の意をすぐに陛下に上申して、少なくとも遺憾に思っているというポーズだけは示しますね。面子を潰された以上抗議しないと。でないと腰抜けだと笑われてしまう」

「ヒサナ陛下に抗議、か。まあ、妥当な線だろうな」サトバが少し楽しげに眉を上げる。「陛下、どうするだろうな。抗議なんて、そもそも受け付けなかったりな」

「それをしたら余計にミールの面子が潰れるでしょう」スライは本気で心配になってくる。

「でも、陛下ならやりかねない。あの方は本気でロンダリ人以外を人間と見做していないきらいがあるからな」

「しかし、こうしてミールの仲裁を受け入れようと……受け入れるふりをしようとしてはいるのだから、さすがに他国を不用意に侮辱はしないでしょう」

「どうかな、分からんよ」と鼻で笑い、サトバは腕を組む。「侮辱して、ミールと、それからスヴェミとの対立を、敢えて先鋭化させるかもしれないな。……侮辱、ね。案外、そういう、実はたいして重要でないプライドが、人間を闘争へと仕向けるのかもな。舐められるのが嫌だ、決闘だ。やられっぱなしではいられない、それは国民が許さない、ではなくプライドが許さない。そんなもんなのかもな、人間って。器の小ささが争いの種になっている。逆に言うとプライドの、人間における重要さが見て取れるわけだが」

 プライド、か、とスライは呟いてみる。ヒサナ11世の『ロンダリによる平和』も、結局は自国民の優越を根拠に他国人を支配しようというのだからプライドの一環なのかもしれない。自分のほうが他者より優れている。それは、確かに人間を構成する元素のようなもので、自らを誇れないようならば自立する力もなく貧困に窮死することになるだろう。問題の底は奈落のごとく深く、学問を教授されたとはいえ一人の外交官レベルが覗き込んだところで何も得られぬ、逆に吸い込まれて死ぬのがオチだろう。分からないものは分からない、だから、せめて分かることだけはやっておこう。

「そろそろ、踊りが終わりますね。終曲だ」

 本題に戻るとサトバが頷く。

「王宮にはミール人が出入りできなくしてある。でも、窓の外から暗号か何かで王宮内のミール人と意思疎通して、大臣にクスピーノ侵攻を知らされる恐れがある。今までは踊りに夢中で誰も近づけない、会話を交わす余裕のない状態だったが、これから誰が情報をもたらすか分からない。ミール人の動きに注意を払って、可能なら侵攻を知らぬままお家へ帰ってもらおう。さて」

「仕事ですね」

 スライがサトバと大広間に戻ると、踊りを盛り上げる曲が、じゃん、と大きく鳴って終わりを告げた。


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