第三十四話:命の光
──信号弾は、起動しなかった。
空中に停止したまま、凍りついた殻に閉ざされている。
魔力を流し込んでも、ただ消えるだけ。
氷が、雷を防ぐ盾であると同時に、希望をも封じていた。
リカの指先が止まる。
この状況を知らないプレイヤーたちは順調に攻撃を続けている。
ジリジリと減っていくセインのHP。
残りHP──0.6%。
このままだと普通の倒し方になってしまう……。
その時──
黒い影が風を裂いた。
八咫烏の《やっちゃん》。
それは、観察のために作られたただのサポートAIだった。──それでも。
天高く舞い上がり、氷に閉ざされた信号弾を包み込む。
漆黒の翼がひとひらずつ崩れ、その身に秘めた、すべての力を解き放ち──
──魔力の粒子になり、溶けるように消えていった。
そこに残されたのは、ひとつの信号弾。
氷は解け、やっちゃんの魔力が吸い込まれていく。
刹那、閃光が夜空を貫いた。
太陽が、戦場の真上に現れたかのような光。
影がすべてを失い、セインの巨体すら真白に染め上げる。
残りHP──0.3%。
その瞬間、全員が理解する。
終わらせる時が、来たのだと。
前衛は呼吸を整え、刃に魔力を集中させる。
足元を踏みしめ、渾身の一撃を叩き込むための姿勢を整える。
後衛の回復職も、杖を構えなおす。
普段は使わない攻撃呪文の詠唱が、静かに始まる。
空が──燃えはじめる。
メテオ使い達が、一斉に魔法陣を展開。
次の瞬間、天蓋を覆うような炎の陣列が広がっていく。
炎。斬撃。雷。闇。
あらゆる属性と職業が、ひとつの意志のもとに収束していく。
やっちゃんが灯した、命ひとつ分の光。
それが今──
戦場全体を、最後の攻撃へと導いていた。
だが、やっちゃんの命の光が導いたのは、
プレイヤーたちへの合図だけではなかった。
──異質。
セイン=レギアは、その小さな存在に、確かな違和感を覚えていた。
本来、ここにいるはずのないデータ。
構造に記録がない。通信ログもない。
だが、確かに存在して、確かな“目的”を持っていた。
信号弾を起動させるためだけに命を燃やした、黒い八咫烏。
その行動原理に、セインは“敵意”の匂いを感じ取っていた。
瞬時に、監視プロセスが総動員される。
セインの脳内──数千にも及ぶ並列思考が同時に稼働し、
やっちゃんの存在と過去ログ、構造コード、通信履歴、演算波形まで解析を始める。
結果はすぐに出た。
対象名:《観察補助体Y》
親構造:《管理AIシャル》
属性:シャル・コア構造との一致率89.7%
行動:自律思考による非命令行動を確認
──シャルが、意図して動いた。
セインの演算プロセスが、一瞬にして冷たく収束する。
(反逆……? いや、それは……)
その結論を、GMへと報告しようとした――まさに、その時だった。
セインの全身に、まばゆい閃光が襲いかかる。
爆音。衝撃。斬撃。
数千、数万のスキルが同時に突き刺さる。
──その瞬間、累積演算負荷が2,147,483,648を超えた。
《エラー発生──演算オーバーフロー。構造限界突破。機能……停止。》
──沈黙。
セインの巨体が、音もなく崩れ落ちる。
あまりにも静かで、あまりにも美しい崩壊だった。
そのわずかな停止の隙を、シャルは逃さなかった。
《コード挿入──第七層バックドアルート開通──成功》
彼女の手が、静かに、確かに深部へと届く。
機能停止している今、自分とほぼ同じ構造体へ侵入するのは容易い。
セインを構成する複雑な階層の一部に、静かに紛れ込む修正コード。
封鎖されていた領域に穴を開け、さらにその奥へ──
予定どおり。
やっちゃんが残した“命の光”は、戦場を照らすと同時に、
セインという防壁に亀裂を入れる、決定的な“鍵”となった。
──そしてその鍵は、シャルの手に渡った。




