第十八話:ルビコン川を渡る
静まり返った夜の街。
メインストリートの華やかさから外れ、人気のない裏路地を進むと、ふと視界が開ける。
その先に、ぽつんとそれは姿を現した。
忘れ去られたイベントオブジェクト――星結びの短冊。
上空に飾り付けられた天の川のイルミネーションは、既に半分以上が点灯しておらず、記帳台に載せられた短冊も埃をかぶり、色褪せていた。
それでも、確かにそこには「願いを託す場所」があった。
(……まだ、残っていたか)
ダイは、かすかに息を吐く。
掲示板の前に置かれた、特製インクのオブジェクト。
使い方は覚えている。指定のIDを入力し、願いを書き込む。
それだけで、その“言葉”は、世界の誰にも見えず、指定した相手だけに届く。
あのとき、運営サイドがお遊びで作った「秘匿性」――
開発中、冗談交じりに「まるで告白専用の裏チャットじゃないか」と笑いあった日々が、微かに脳裏をよぎった。
(……あの設定のままなら、今もログには残らない)
静かに指を動かし、インクに自分のキャラクターIDを入力する。
開発当時の記憶が次第にはっきりと思い出されていく。
「メッセージ表示、200文字以内って短くない?」
そう言ったのはアキコだった。
「情報を詰め込もうとするからでしょ?」
笑いながら返した自分の声が、記憶の中で響く。
「伝えたい核が一つなら、百でも十分だよ」
この思い出は、ただの開発者同士の雑談にすぎなかった。
けれど今、まさにその言葉が重く響いてくる。
限られた文字数の中で、伝えるべき“核”は何か。
ダイは一度、深く息を吐き、手を止める。
そして目を閉じた。
闇の中で、言葉の輪郭だけを探るように、心の中で何度も繰り返す。
(迷うな……伝えるのは、真実と願いだ)
そして短冊に、そっと願いを込めて書き始めた。
――リカさん
――あなたに伝えたいことがあります。
――私はレギオン開発者の一人、シナガワジュンです。
筆は慎重に、だが迷いなく進む。
制限された文字数制限の中に、言いたいことの核を絞り込んでいく。
――文字数制限のために詳しくは書けませんが、
――私は他の開発者によって封じられたか、消されたかもしれません。
――しかし、いま、ダイとして目覚めています。
――私のことも心配ですが、
――同じく捕らわれているであろうイワサキアキコを、助けたい。
――力を、貸してほしい。
書き終わると、周りに風鈴のような涼やかな音色が響き渡る。
短冊が光を帯びて、スカイランタンのように浮かび上がり、上空の天の川の一角へと吸い込まれていく。
光が完全に消えると、再び辺りは静寂に包まれた。
(……本当に“リカ”にだけ届くのだろうか。)
ダイは短冊の消えた空間を見つめながら、わずかに拳を握った。
届いてくれ。
もう引き返せないこの場所から――光の先へ、踏み出すために。




