夜光の再会
片足を引きずりながら、アルエは、愛しい再会を果たしたかのように、若木の細い幹へ肩をぶつけ、身を預けた。両膝は赤く擦り剥けている。
乾いた呼吸音が、その頭上、枝葉を渡る風に混じる。
「だめ…………いま座ったら……もう、立てない」
沈みかけた腰を上げ、身体で幹を押して離れる。そこに自身の血が着いていたが、アルエは気づかず、次の幹、次の幹と進んでいく。
両膝の傷からだけでなく、その上部、片方の太腿にも血が流れている。それは、肩からの出血だった。
下草は少なく、見通しのきく森だったが、アルエは隣接する幹を見つけるので精一杯だった。 近付いてくる――複数の足音にも、全く気づく事はない。
「ミグ……くふっ……ソシェウ――!」
その呼びかけは、自身の集中を繋ぎ止める意味合いのほうが強く、名前の持ち主達の返事はこの狭くはない森の中では簡単に得られないと、今のアルエでも茫洋とではあるが把握していた。
人影が、アルエの正面に立つ――文明の息のかかっていない、植物の繊維で作られた衣服をまとった男性だった。その背は高く、アルエがはっと息を飲んで見上げたまま、戦意を喪失したほどだった。屈強な肉体と、隆起した額――それは蛮族の特徴とされているものであり、まさしく彼らこそがその古き記録の原本たる存在だった。
アルエはその情報を絶望を持って意識の表層に引き上げ、数人に増えた彼らひとり一人にぼやけた視線を向けた。
幹に背を預け、今でもまだ悲鳴を上げられるかと、喉を確かめるために力無く咳払いをした。
彼らは黙したまま互いに目配せをし、アルエの処遇に関して何らかのためらいがあるようだった。少なくともそれは、伝承に残る狂戦士がとるはずのない、明らかに温和な態度であったが、そうした書物に反した識別をできるほどアルエの意識は明瞭ではなかった。
「――アルエさん!」
ミグの声だった。アルエは、二度目に呼ばれた時ようやくその方向を見て、
「ミグ――とコフト……!」
泣きそうに引きつった笑顔をつくった。思わず一歩進み、叫ぶ。
「逃げて!」
その時、脚がもつれ、身体が棒倒しに傾いでいった。
「わ――危な――」
そこで、アルエの意識は途絶えた。
原毛のような、不可思議な繊維そのものの、ごわつく掛け布団を跳ね上げた頃、辺りはもう深い夜の闇に包まれていた。
アルエはそれでも、周りを見える限りに見て、
「……涼しい」
ようやくそれだけを言った。
「早起きですね、アルエさん」
ミグが、隣の寝具の中から静かにささやく。
アルエは驚きを隠しながら、時間をかけて問うべきことを探した。
「あれから、半日しか経っていないの?」
頷いたのか、衣擦れの音が暗闇から聞こえ、次いで声が届く。
「ええ、そうです。肩の傷を縫う時に麻酔をかけたそうで、ちょうど夜中頃に切れてくると言ってました」
「ソシェウが? ソシェウが麻酔を使ったの? それとも縫ったのもソシェウ?」
「はい。すごく的確で素早い処置だったと、彼らも言っていました」
「そう……麻酔を受けるようになっちゃいけないって言われてたのにな……」
アルエはうなだれ、やがてようやく真に聞くべき事を悟った。
「あ、私を囲んでた蛮族たちは? やっぱりソシェウが? あと彼らって? ここは? 木造の建物みたいだけど」
「落ち着いてください、麻酔でまだ頭がぼうっとしているでしょう」
「いや、いや。反対に……熱い。首も熱い」
「順番に話しますから、聞いてください。まず、蛮族の皆さんは友好的です」
アルエは早速口を挟んだ。
「え! なに、その……わけのわからない話は。人間を食べるんじゃないの?」
「食べないでしょう。そういう意思はありませんでした。ともかく、あの時彼らは誰も武器を持ってなかったでしょう?」
アルエは蛮族達の姿を思い浮かべてみた。
――穴の空いた袋のような上半身の衣服と、下半身に着た膝下までの長い腰巻きはどちらも淡い染色が施され、着古されてはいたが少なくとも血で汚れた形跡はなかった。
履物は樹皮を加工して作られたものらしいもの。足の甲は網の目で、脛は面が覆っており、それはちょうど丸太が並んだような様相だった。
「そうだったかな……何も持ってなくてもあまり格闘能力に違いはなさそうだけど。私は、木を引き抜いて振り回してくると思ったし」
「まさか、彼らは見た目こそ逞しいですが、中身は僕ら聖者とほぼ同じですよ。だからこそこの森で隠れ潜むようにして何世代もその生活を続けてこれたのでしょう、もし本当に野蛮は人々だったら、外へ略奪しに行ってその存在が露呈していたはずですし、とにかく争いに次ぐ争いで、この地方を支配するか、滅びるかのふたつにひとつだったでしょうね」
「うーん、確かにここに彼らが生存しているという事実があるからね……不思議だ。本当に、いるなんて……」
アルエは自分が今居る建物全体に意識をざっと巡らせてみた。木造で、意外な事に高度な技術が駆使されていた。自分たち以外には、十以上の部屋全てに誰もおらず、しかしどの部屋も普段は彼らも寝室として使っていたようだった。
それ以上に不可思議なのは、一本の長い廊下が部屋を従えながら巨大な樹に巻き付いて昇っていくという、その構造だった。
アルエは理解の限界を越えたこともあってそのあたりで一旦魔力を控え、心地よい夜風を取り入れている窓から外を見てみた。空には星が出ているはずだが、窓の位置が低く、山に隠されているせいかひとつも見えない。建物の周りには、どうやら見張りか従者のように、立っている者が何人かいるようだった。こちらが起きていることに、彼らが気づいているかはわからない。
誰も手に武器は持っていなった。どこにも火はないらしく、音は風が起こすものと、時折遠くに響く動物の鳴き声だけだった。
「できれば、もう少しまともな状態で観光したかったよ」
「彼らは食事も振る舞ってくれますが、アルエさん、気に入ると思いますよ」
「私、肉はそれほど好きじゃないんだけど……」
アルエは意識の表層で受け答えをしながら、床に敷いてある形の寝具から出た。
「ソシェウさんのところに行きたいのですか?」
彼女は、胴の上半分を包帯で巻かれ、上にはそれ以外着ていなかったが、暗闇に任せてあまり気にしていない様子だった。寝具の横に平に、供物のように置いてあった自分のマントだけを蹴り上げて肩に掛け、一度腰を大きく折るともう見事に着ることができていた。
「あう――」
口に入った髪に出て行ってもらう。
「――うん。どこにいるかわかる?」
「彼らが連れて行ってくれますよ。ああ、ほら来ました」
重量のある足音が近づいて来た。建物内に入ると、木の軋みや振動が建物全体に伝わっていく。間もなく、戸口が淡い光に染まった。
その大男は、その手に持った、わずかに脈動する青白い光源に照らされていた。
「うわ……怖いよ」
アルエは思わず、失礼な感想を素直に口走ってしまった。
「大丈夫ですよ。僕も行きましょうか?」
ミグが上体を起こしたが、アルエは首を小さく振って、戸口へ向かった。
「いや……いいよ。寝てて」
男は一歩身を引き廊下でアルエを待ち受け、自身が持っているカゴの中から複数あるキノコのひとつを取り、アルエに差し出してきた。
ややあって、髪を巻き付けて受け取り、軽く眺める。
軸は細くて固く、カサがめくれ上がるようにやたらと発達しており、そのカサの裏面にあたる、これ見よがしなヒダヒダの部分が発光していた。どうやら、風があたるとより濃く光を発するらしい。
「ここまで強く光るキノコは、初めて見た、かも……」
とアルエは、男がこちらを見下ろしていることに気づき、慌てて歩き出した。
男は落ち着いた動作で出口へ足を踏み出し、先導し始めた。同じ距離を進むのでも、アルエの半分の歩数で済みそうな歩行だ。
アルエはキノコを腰のあたりにぶら下げ、その髪の引っ張られる感触で、荒野での記憶が閃光のごとく鮮烈に蘇った。
血の匂い――。
アルエは壁に寄りかかり、腰を落としてく。にわかに呼吸が激しくなった。
と、数歩先で男が振り返り、無表情ながらも心配そうにこちらへ歩み寄って来た。目の前で片膝を突き、自身の大きな肩に指先でちょんちょんと触れた。
それを見て首を振ってから、
「いいや、傷が痛むんじゃないの――通じないかな、まあ、とにかく大丈夫だから……」
アルエは長い息をついた。数回強く目をつぶると、出来るだけ活発に立ち上がり、顎で男に案内を促した。その微笑はごく自然で、無理をしている様子はなかった。
男は、アルエのその微笑を思考の見えない表情で寸時検分して、のっそりと立ち上がった。床板を鳴らしながら歩き出す。
間もなく湾曲した廊下が終わり、外に出た。
シルエットになった木々が隠す星空を、アルエは振り仰いだ。月は鋭い曲線で、闇夜を溶かす強さはなかった。かすかな星明かりだけが、眠静まる森に注いでいた。
ただ踏み固められただけの道らしきものを通って木々を縫い、やがて、すこしばかり開けたところへ出る。
そこは崖に面した広場のような場所だった。男の持つカゴが強力に発光し、見ると腕を上げてその崖の方を指しているようだ。また腕を下ろし、歩き続ける。
崖にはいくつも穴が開いているようだった。その中のひとつに入ると、いっそう濃い闇が二人を出迎えた。
洞窟の内壁は湿っていて、なめらかで細かな隆起がひたすら続いており、光を受けると魚の鱗のように光った。アルエが前を歩く男の足元を見ていると、階段を上がり出した。やはりその段差は一段一段が大きいもので、アルエは二歩づつ使って上っていった。
「ああ、もうわかった」
アルエの反響する声を聞いて男は振り向いた。アルエは顎でその方向を指しながら男を追い抜くように進み、言った。
「案内ありがとう。あとこれは、返さなくて――いいの? じゃあ貰っておく」
アルエが進む先には広い空洞にぶつかるらしく、そこから揺れる赤い光が漏れていた。
そこには、居住空間が広がっていた。岩壁に空いた穴では薪が赤々と燃え、ぱちぱちとはぜているが、その煙はどこかに排出されているらしく、空気は澄んでいた。寝具ほどの大きさのじゅうたんが敷かれ、そこで炎の影が踊っている。脚の太いテーブルの上には、重厚なつくりの茶器が並んでいた。
「良いでしょう、この部屋。私は何も手を加えてないんだけど」
高く、そしてやや甘く掠れた声がした。
その声を発した人物は、揺り椅子にかけ、座面の端に黒いブーツの踵をふたつ揃えて乗せている――行儀の悪い座り方をしていた。
緩くうねる長い髪が、彼女の肩や椅子の背もたれに流れ、火の色に照らされて絹のように輝いていた。体つきはアルエとそう変わらないが、その顔はいっそうアルエと同年代に見える。齢というものから断絶された、まるで幼い瞳が、アルエに、向かいの椅子を使うよう目配せする。
「えっと、そうですね……」
アルエは椅子にかけながら部屋を見回し、対面するソシェウへ――首元の大きく開いた、いかにも寛いでいるといったような白い衣服を上下にまとい、気怠げな笑みを浮かべている師へ向けて、穏やかな表情のまま言った。
「こういった洞窟の奥にしては、竜なんかは居そうもなくて、安全そうで良いと思います」
ソシェウは頬杖をつき、火にかけてある小さな鉄鍋を見た。
「竜ね、ここに来るまでそんなに恐ろしい景色はなかったはずけど……。アルエ、私が居ると聞いてなにか暗い思念に囚われたのかな?」
「洞窟と竜を簡単に結びつけて考えてしまうのは軽卒であると今学びました」
「よろしい。でも、もしかして、私は竜かな?」
「いいえ、全然」
師が軽く上げた視線へ、アルエは真っ直ぐに答えた。
「もっとずっと恐ろしい存在です」
「罰が欲しいみたいだから、お茶を任せる。ちょうどお湯が沸くところだから、急いで」
細いつくりの手が、受け皿に添えられている。ソシェウは、背後のテーブルに向かって自分の分をいれている弟子へ、優しく、からかうように言った。
「試練なんて要らないと思ってたでしょう」
アルエは首を横に振る。慎重に師の頭部を見据え、柔らかい吐息に「いいえ」と混ぜた。
「あれ、そんな真面目に育てた覚えはないんだけど」
ソシェウは袖口を延ばして、指先を熱からまもりながらカップを持ち上げた。静かに口をつけ、次は質問を向けた。
「どうだった? ここまで全体として」
「初めてのことばかりで、気を抜く余裕は……ほぼありませんでした」
「初めてのこと、ね。うん、慣れてないことをすると疲れるよ。お茶のいれ方くらいなら失敗してもいいけどさ……まあ、これは上手くいったね」
「私、ソシェウが仰った通り、聖者を連れて来ました」
「ここの葉は面白くて、お湯の温度が高い方が甘くなるんだよ、香りもまるくなる」
「あの……次は、どうすればいいのでしょう」
「正解、まだまだ試練は続きます。でも、そう焦らないで、何か話してごらん」
アルエにはそれが「何か言い訳をしてみろ」と聞こえた。カップから昇る湯気を見ながら、身体を柔らかく脱力させる。発光が大人しくなったキノコは椅子の座面の上に残されていた。
「荒野で、魔女に襲われました。街の方角から私たちに追いついて、私は……」
間が開いてもソシェウは横やりを入れなかった。なのでアルエはそのまま一部始終を説明することにした。といっても、敵に関する説明に偏らせた。
対面する椅子に戻ったアルエへ、師は簡単に感想を述べ始めた。
「ふうん。まあそいつは〝つくられた魔女〟だね。アルエ、あなたなら手こずってはいけない程度の相手だよ。素質じゃなく、人為的に無理矢理に魔力を引き出されたってだけの存在なんだから。そんな我が身を顧みない闘い方をするってことは、よほど深くいじられたみたいね、可哀相に……あ、あとその腕や脚にあった模様って、こんなの?」
ソシェウは顔の横にある自分の髪を操り、その模様を再現した。
「ええ、たぶん同じです」
「やっぱり。これはね、蛮族の模様だよ。アルエ、本で見た事あったでしょう? だめだよ忘れてちゃ」
アルエは時間をかけて驚きを顔に表していき、ようやく声を出せるようになった。
「え……じゃあ、それは、どういうことですか?」
「さあ、どういうことでしょうかね」
「では、蛮族は、やはり……」
ソシェウは緩やかに首を振った。
「彼らは善良この上ない種族ですよ、聖者の元となったくらいなんだから。もう、むしろ聖者よりも聖者ね。発声機能が退化してるのが唯一欠点と言えば欠点かな、歌えなくて気の毒、でもお互いに考えていることが伝わり合うらしいから――」
「ちょ、ちょっと待ってください。色々と耳慣れないことが続いていますけど、えっと、まず彼ら蛮族は……その、頭の中で会話できるんですか?」
ソシェウは少しだけ頭を傾け、意外そうに言った。
「あれ、ミグ君にまだ聞いてなかったの? うん、そういう能力がある種族みたいだよ。古来からそうして意思を共有しながら生きてきたから、彼らには個の概念が希薄なのよ。面白いでしょう。彼らは、全体で〝個〟なの。蜂みたいな感じかな」
「とんでもない話ですね……、それで、聖者の元となったというのは」
「ここにはつい最近まで、相当に強力な魔力を持つ者がいたの。その人が聖者をつくったそうだよ」
アルエが驚き固まるのを、ソシェウは少しだけ楽しそうに見て、続けた。
「生体操作をまさしく極めていたみたいね、森の動植物も大体魔力で改良されているし、この洞窟も壁を見てわかったかもしれないけど、たぶん土ネズミに掘らせたはず――もちろん、大型に改良してから。で、その人というのは、どこから来たかはわからないけど、この場所で人間達が蛮族を狩り始めた頃に現れたそうよ、人間だったけど蛮族の側について、でも表立って攻撃するのは気が引けるということで、蛮族と人間の中間のような人種をつくって、こっそり人間側に紛れ込ませていく作戦をとったそうなの。穏健派だけどある意味過激よね、でもそれは即効性が薄いから、結局その人がえいやっと大地の養分を吸い尽くして侵攻を止めさせたんだって。豊かな土地が欲しいという敵の動機を断ったのね。アルエ、人間側の言い伝えは覚えてる? 『聖者が蛮族の怒りを鎮め、我らの土地から追い払った。蛮族たちは山へ帰る途中にお互いに殺し合い、その血で汚れた大地は枯れ果てた』……今聞くと人間に都合のいい大嘘だとわかるけれど、あながちおとぎ話でもないでしょう、特に前半、聖者が蛮族〝に対する〟怒りを鎮めた。と言い換えればそのまま事実かもね」
「つくられた、種族……。それでその人は、その後どうなったんでしょう」
ソシェウはカップから目を上げると、鷹揚に両手を広げた。カップを持つほうの手は、まだ袖に包まれている。
「私です――というのは冗談で、ここに暮らしていたの。ざっと三百年くらいかな。それで何年か前に突然消えてしまったそうだよ。残念、会いたかったのにね」
アルエも改めてこの部屋の岩肌に意識を這わせてみたが、確かにそれくらいの古さと、ほんのかすか魔力の気配が残っていた。数年前まででそれだけ知覚させるということは、本人にどれほどの魔力があったのか、それについてはアルエには比較する材料がなにもないため判然とはしなかったが、勘では、やはり相当なものではあったろうと察していた。
それはさておき、アルエは思いついた事をぶつけてみることにした。
「もしかしたら、聖者と蛮族もまた、お互いに頭の中だけで会話できるんでしょうか」
「それなりには、できるんじゃない?」
「では、聖者同士では? 聖者と人間では?」
「面白いね、アルエ。聖者の謎に興味が湧くお年頃かしら」
「完全ではなくとも、何となく、人間の感情を察知するくらいの力が聖者には備わっていると思うのですが」
「どちらかと言えば私もそれは支持するけど、だからってそれを確かめる術もないし意味もない。今はこの国では絶滅秒読みの種族だし……あ、じゃあ救って」
「え? なんですか?」
アルエは師の突拍子もない発言には馴れているつもりだったが、まだ甘かった。
「試練ですよ。ミグ君も可哀相だし、家族とまたあの街で幸せに暮らせるようにしてあげなさい」
「ちょと、待ってください! 言っていることがあまりにもめちゃくちゃですよ。なんでいきなり国家規模の難易度に跳ね上がってるんですか。彼らを街に入れたところで炭にされてしまいますよ。冗談なら早めにそうだと自白してください」
「そんなに無茶じゃないと思うよ、例えばあなたがこっそり地下にでも隠して養うとか」
「……それが幸せな暮らしですか?」
「じゃあ本題に入るけど、あなたを襲った模造魔女といい、先の聖者追放の触れといい、これは、そう弱くはない魔力を持った人物が介在しているのはまず間違いない。その人物を探し出してもらおうかな」
アルエは眼光鋭く、身を乗り出すようにして言った。
「それが出来たら、私は一人前の魔女として認めてもらえるのですね?」
「そうだね――あ、あとミグ君を護りながらね」
「わかりました、今日のような失態はもう二度とさらしません」
「そうそう、怪我をするのもだめだし、ミグ君をふらふらとひとりにするなんてもっとだめですよ。大事な預かりものなんだから」
「ソシェウ……あの、どうして聖者を連れてくる必要があったのですか? 私はそれを完璧にこなせばもう試練はそれだけだと思ってたんですが、どうも、今回の試練が上手くいってもいかなくても、その今仰ったふたつ目の試練が最初から用意されていたような気がしてしまうんですが……」
「さてね、そんなこと気にせず、見事に成し遂げてみなさい。今度は頭も使わないとね」
と言ってソシェウは、跳ねるように揺り椅子から立ち上がると、空になっていたカップをテーブルに置く。
「私、必ず一人前になって、それで師を越えられるまでは旅のお供としてソシェウにずっとついて行くつもりです」
ソシェウは岩壁に吊ってあったマントに手を伸ばした所で止まり、振り返った。
「あれ、私って旅するんだっけ?」
「え……家を出るとき仰ってたじゃないですか。この家はもう手放すって。ここへだって、来てみたかったから来たんじゃないんですか?」
先に両肩を入れ、すとんと落としてマントを着たソシェウは、
「そうそう、勘に従って正解だったよ。そろそろ夜明けだから、いいものが見れるよ」
と言ってアルエについてくるように顎で合図し、颯爽と部屋を出て行った。
アルエは火のついた薪をそれぞれ離してから、光るキノコを持ってその後を追った。
ソシェウは、アルエに帰り道も案内するべく待っていた男に、手を振って感謝と先に帰っても良いという意を伝えた。
「アルエ、男性を無駄に待たせちゃいけませんね」
ようやく追いついたアルエは、唐突にそう言われ、怪訝な表情で師の意味深な笑みを見つめたが、その意図は掴めなかったようだった。
ソシェウがキノコを持って先導し、なおも階段を上って行くと風の音が強まっていき、やがて、円く口を開けたもう薄明るい夜に行き当たった。二人は外へ出ると、まず並んで下を見下ろしてみた。
それは、まるで巨大な神殿か教会のようだった。
太い石柱とアーチの連続が、崖の面に沿って、やや倒れ掛かるような角度で積み重なっていた。それらをこの最上部より見下ろすと、鱗か波浪、あるいは日輪の模様に似た、放射状の模様となって知覚された。
その先の遠い地面を見て、アルエは、この崖を最初に見た時に無数に穴が開いていたように見えたのは、この構造のせいだったのかと納得した。
「アルエ、面白いでしょう。でも、これは建造物じゃなくて、彫刻ですよ」
「本当だ……、継ぎ目がどこにもないですね」
「すごいでしょう。彼らが歯で彫ったんだよ」
「彼らって、土ネズミのことですか」
「想像にお任せするよ」
「ソシェウはいつも嫌なものばかりを私に任せて来ますよね」
「そんなことはないですよ。さあほら、朝陽が見えてきた」
「すっかり曇ってますけど」
その時、男が地上へ着いて地面を歩いて行ったが、アルエは空を睨んでいたため、それを見過ごすこととなった。
「少し透けて見えるよ。これくらい眩しくなかったら、心置きなく直視できていいでしょう」
「なんだか侘しいです……」
それでも二人は、薄暗い夜明けの光景をしっかりと見届け、
「では私は街に戻るから――あ、でも家には戻らないから、あなたが自由に使っていいからね」
とソシェウが素早く終わらせた。アルエが返事をする隙も与えず、飛び降りる。
マントで少し滑空し、やがてこんどはキノコのようにカサを開き、ゆっくりと垂直落下して着地した。
「ったく……もうっ!」
悪態をつきながら、アルエも師を追って飛び降りる。
滑空で石柱群と距離をとり、そして律儀に、カサのように開くところまで真似た。
少し風にふらついていたが、何とか樹上に引っかかることなく地面へ降り立つことが出来た。
ソシェウは、弟子が降りてくるのをちゃんと待っていた。片足を庇う様子のアルエへ歩み寄りながら、軽く拍手を送った。
「えらいえらい。どういう状態でもしっかり訓練しないとね。でも、今のキノコみたいな飛び方は、あんまり役に立つ機会はないと思う。だから今まで教えなかったんだけど、でも、楽しいでしょう?」
アルエは、ほとんど片足だけに体重をかけて立っていた。真剣な表情をしている。
「ソシェウ、またさっさといなくなってしまうつもりですか?」
胸に何かつかえているような、引きつける響きの声だった。
「私、あまりソシェウと離れていたくありません。もちろん、それが試練ならある程度は我慢しますが、とにかく、結果を報告するのは、いつどこでだとか、そういうことをあらかじめ決めておいていただけると私としてはありがたいんですが、そのあたりのこと、どうですか?」
「そんなに言うんなら、わかった。約束します、また近いうちに会えるから、だから信じて」
「はあ……。わかりました。では私は、ここでもうしばらく休んでから行きます」
とアルエはそう言い終わらないうちに、もう振り返って歩き出していた。
「……アルエ、執着心もほどほどにね」
口の中でささやいたソシェウは、アルエと反対の方向へ歩き始めた。




